ごめんあそばせ婚約者様、ジャンルを変えて私は幸せになります!
私、エルシーア・ラインには前世の記憶がある。
七歳の頃、突然高熱を出して倒れたことがあった。三日三晩うなされ続け、四日目に目覚めた時、私には「日本」という国で「会社員」をしていた二十九歳女性の記憶が蘇っていたのだ。
毎日会社に行き、自分の仕事に同僚のフォローに休みなく働き、オフィスで倒れて帰らぬ人となった。
彼女の楽しみは通勤時間にスマホで読む電子書籍。特に異世界が舞台のラブストーリーを好んでいた。コミックではなく小説が多かったのは、満員電車でも人目が気にならないから(つまり背後が気になるような作品を好んでいた)。
恋愛にも結婚にも憧れがあるけれど、仕事に忙殺されて出会いもない。
大切な人に愛し愛されたいという願望を満たしてくれるのが、恋愛小説だったのだ。
そしてどうやら私は、亡くなる直前まで読んでいた作品の中に転生したようです(当然背後が気になる系)。
そのことに気が付いたのは高熱にうなされてからしばらくたって、両親とともに、王妃様主催の茶会に呼ばれた時。
それはこの国の王太子であるアルバート殿下がお友達を作るために催された茶会だったので、公爵令嬢である私を筆頭に、同世代の令息令嬢がたくさん招かれていた。
私はそこで、王太子であるアルバート殿下、侯爵子息のクラヴィス、伯爵令嬢のアマリエと出会い、ここが物語の中であることに気が付いた。なぜなら、この物語は途中までしか読んでおらず、私はそのことがずっと気になっていたからだ。そして上述の三人は、挿絵付きで物語に登場していたので、目にした途端にすぐわかった。
金髪碧眼で優しい顔立ちのアルバート殿下。ふわふわのピンクブロンドにエメラルドグリーンの瞳を持つ、丸顔で年齢より幼く見えてしまうアマリエ。濃紺色の髪と目の、理知的な顔立ちのクラヴィス。
そして癖のある長い赤髪に真っ青な瞳、きりっとした眉につりあがった目。いかにも悪役、といった顔立ちの私。
描かれていたイラストにそっくりだわ。
なお、私たち四人は全員同い年。
ちなみにこんな私ですが、前世で最期に思っていたのは「この若さで死にたくない」に加え、「仕事終わっていないどうしよう」だったので、エルシーアより前世の私のほうがだいぶ真面目。
で、この物語。主人公は私ではなく、アマリエ。
このあとアマリエは没落し、平民になってしまうのだ。そしてのちにアマリエはアルバート殿下と再会し、恋に落ちる。けれどアルバート殿下はエルシーアと婚約中。エルシーアはアマリエとアルバート殿下の仲に気付いてアマリエをいじめ抜く。クラヴィスはアルバート殿下の友人として、アルバート殿下とアマリエの恋路を応援し、いじめの主犯格である私を追い詰める役どころだった。
物語は途中までしか読んでいないけれど、こういう話での悪役はあまりいい扱いをされない。
エルシーアに明るい未来はなさそうだ。
そして前世の私はなぜかエルシーアに感情移入していた。エルシーアに限らず、前世の私は悪役ポジションのキャラに感情移入することが多かった。
何もしなくても無条件に愛されるヒロインと、何をしても好きな人に振り向いてもらえないどころか邪険にされる悪役令嬢が、弟妹をかわいがり、母親に「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言われてきた自分と重なるから。
悪役令嬢は高慢で嫌な性格として描かれることが多いけれど、そうなってしまったのは誰のせいなんだろう。彼女は生まれつき悪人なんだろうか。ただヒロインをいじめるためだけに作られた存在なのだろうか。だとしたら悪役令嬢があまりにも救われない……物語を読み終わるたびに、前世の私はそんなことを考えていたのよね。
それはさておき、そういうことならエルシーアは悪役として成敗される運命にある。
冗談ではない。
私は幸せになるために生まれてきたのよ、アルバート殿下とアマリエの恋の障害になったあげく、ひどい目に遇うために生まれてきたわけではないわ。
ならどうするか、というと。
ヒーローとヒロインに近付かない。これしかない。
物語スタート時点で私はアルバート殿下の婚約者だったから、婚約しなければいいのよ!
と思っていた私が甘かった。
宰相である父のごり押しで、私はアルバート殿下の婚約者に決定してしまった。
エルシーア・ライン、十五歳。
そして月日は流れ……
***
十八歳の初夏。
所用があって王宮を訪問していた際、私は見てしまったのだ。
王宮の片隅で侍女見習いをしているアマリエと、アルバート殿下が抱き合っているところを。
頭が真っ白になった。
え、物語はとっくにスタートしていたの?
まだ何も対策を立てていない。
だって亡くなる直前に読んでいた作品とはいっても、今から十八年も前のことだから、細かいところはすでに曖昧になっている。
ただ、ずっと「本当に物語の中なのかしら?」という疑念があったのは確か。でも、二人の抱擁によって消し飛んだ。
と、その時。
驚いて固まる私の口元を背後から押さえ、ぐいと引っ張る手があった。
ぐいぐいとその腕は私を引っ張り、廊下の角を曲がったところで解放される。
振り向くと、そこにいたのはクラヴィスだった。
濃紺色の髪の毛に瞳、理知的な顔立ちはそのままに、今は眼鏡をかけているので理知的な雰囲気が増し増しの彼こそ、アルバート殿下の親友で、二人の恋路を応援する人物。
私の悪事を暴いて追い詰めていく役どころでもある。
つまり私にとっては非常に都合の悪い人物でもあった。
「シッ。大きな声は出さないで」
そのクラヴィスが唇に人差し指を当てて「静かにしろ」のジェスチャーをする。
「な……何事ですか、いきなり。公爵令嬢に対して失礼でしょう」
十八年間、公爵令嬢として培ってきた高貴な令嬢っぽい態度で言い返せば、クラヴィスが少し距離をとって「申し訳ない」と答えた。俯いた拍子に眼鏡のフレームがキラリと光る。
わかってやっている?
わかってやっているわよね!?
私、優しい雰囲気よりもこういう理性的で物静かなタイプが好みなのだ。
前世の私も、この作品で一番気に入っていたのはクラヴィスだった。
前世でクラヴィスに萌えていた記憶が蘇りかけたものの、エルシーアの立場でキャーキャー騒ぐわけにはいかない。
気持ちを抑え、キリッとした顔で私はクラヴィスを見上げた(身長差)。
「ここで騒ぎ立てたら、あなたにとってもよくないと思って」
「どうして」
「まるであなたが、嫉妬のあまり短絡的な振る舞いをしてしまう女性に見えたら大変だろう」
「別に、騒ぎ立てるつもりなんてなかったわ。あの二人については勘付いていたもの」
少し前から、アルバート殿下は心ここにあらずという様子になることが増えていた。
アルバート殿下は、穏やかな性格をしており、人格者としても知られる。その彼が目の前に婚約者がいるにもかかわらず、考え事をしているというのはとても珍しい。そして多少は「この先の展開」を知っている私にはピンときていた。
最近、王宮で見かけるピンクブロンドの侍女見習いが原因だろう、ということに。
「勘付いていた? すごいな、エルシーア嬢はアルバート殿下をよく見ているんだな」
クラヴィスが驚く。
「まあ……婚約者だし……」
ただ、あの物語と違って私はアルバート殿下に恋心は抱いていない。前世の記憶がなければ恋をしていたかもしれないけれど。
アルバート殿下は眉目秀麗、文武両道、真面目で穏やかな性格と、実にできた人物だ。そんな人に婚約者として特別扱いされたら私でなくても落ちると思う。でも彼の気持ちがアマリエに向くことを知っていれば、そんな気持ちにはならない。
「そうだな。エルシーア嬢は、アルバート殿下によく尽くしてきたものな」
クラヴィスがしみじみと呟く。
婚約者として私は常にアルバート殿下のパートナーをつとめてきた。
彼にふさわしくあるために、妃教育も頑張ってきた。
それは私に与えられた課題だからであって(できないとお父様に叱られるのだ)、アルバート殿下を思ってのことではないけれど。
「あなたはいつ頃気が付いたの、クラヴィス様」
「ひと月くらい前だな。……アルバート殿下から相談されたんだ、いろいろと」
「いろいろと?」
「すまない。これ以上は言えない」
クラヴィスが眼鏡のブリッジを右手中指でクイッと押し上げ、黙る。
仕草が絵になりますね……さすが脇役にもかかわらず挿絵に登場していたキャラクターだけある。
この物語におけるクラヴィスは、アルバート殿下の協力者だ。
アルバート殿下の望みは、アマリエを正式に妃として迎えること。
そのためにしなければならないことは、
・正式な婚約者(つまり私)の排除
・アマリエを妃にふさわしい存在として、国王および議会に認めさせること
議会には私の父がいる。
私をごり押しして王太子の婚約者にした父が、私の代わりにアマリエを妃に、などという案を承認するわけがない。
と、いうことは、アマリエを妃にするためには私と父をまとめて社会的に抹殺するしかない。
……これを立案し実行するのが、目の前にいるクラヴィスなのだ。ストーリーと照らし合わせるなら、相談事とはこのあたりだろう。そして切れ者のクラヴィスはすでに計画を練り始めている可能性がある。
冗談ではない。
私はアルバート殿下に対してなんの感慨も抱いていない。
アルバート殿下に嫁がなければ家が没落してしまうという瀬戸際にあるわけでもない。
この婚約、放棄できるものなら放棄したい。
けれどそのためのハードルはとてつもなく高い。
少々の理由では宰相たる父が揉み消してしまうからだ。
かといってそのために、実家を没落に追い込むのはダメ。私まで巻き添えを食ってしまう。
私が悪役になるのもナシ。私は幸せになりたい。
【急募】穏便に王太子殿下との婚約を破棄する方法【誰か助けて】
つまり、私以上に「アルバート殿下の伴侶にふさわしい」女性が現れればいいのでは?
誰もが納得できる、反論しようがない、完璧な条件を持った女性となると……?
「聖女ちゃんだわ」
突然閃いたため、私は思わずそう口走ってしまった。
現在、この物語は不遇ヒロインが悪役令嬢にいびられ、ヒーローに救われるパターンになっている。
これを聖女がなんやかんやあってヒーローとくっつく話に変えてしまえばいいんだわ。
悪役令嬢が出てこないパターンに変えてしまうのだ。
私が悪役令嬢ポジションだから断罪されるのであって、悪役令嬢でなくなれば問題は解決。
相手が聖女なら婚約破棄されてもしかたがない。お父様も文句は言えないはずだ。
よしこれでいこう。これなら今からでも破滅を回避できる。
「聖女?」
クラヴィスが反応する。
「いえ……なんでもないわ。忘れてくださいな。では失礼し……」
踵を返しかけて立ち止まる。
待てよ。
クラヴィスの目的は私をアルバート殿下の婚約者から外すこと。
私の目的は、アルバート殿下の婚約者から外れること。
私たちの利害は一致する。
クラヴィスを仲間に引き入れることができるのでは?
それに私の悪事を暴いて追い詰めていく役どころのキャラクターを味方につけておけば、断罪エンドを遠ざけられるかも。
「ねえクラヴィス様、私の話を聞いてくださる?」
突然振り向いて笑顔で話しかけてきた私に、クラヴィスが怪訝そうな顔をした。
***
クラヴィスは混乱した。
クラヴィスと王太子アルバートは幼なじみである。そのアルバートの婚約者である公爵令嬢エルシーアが突然、「アルバート殿下との婚約を破棄したいの。相談に乗ってくださる?」と持ちかけてきたからだ。
クラヴィスはエルシーアとは派閥が違うから、あまり関わったことはない。
クラヴィスにとってエルシーアとは、権勢を誇るライン公爵家の一人娘であり、宰相である父親のごり押しでアルバートの婚約者におさまった娘という印象が強い。
見た目も、真っ赤で癖のある長い髪の毛に、真っ青な瞳、きりっとした眉毛につりあがった目元はいかにも気が強そうで、強欲なライン公爵の娘! という感じがして以前から苦手だった。
あまり関わったことがないから性格については伝聞だが、人前ではおしとやかに振る舞っているが、案外ズバズバものを言うらしい。
アルバートは「正義感が強いだけだよ」と婉曲的に表現していたが、ようするに気に入らないことには一言言わなくては気が済まないタチなのだろう。
甘やかされて育った令嬢らしい。
クラヴィスが一番苦手なタイプだ。
そのエルシーアから相談を持ち掛けられた。その内容が、まさにアルバートから相談されていたことと一致していたのだ。
「私はアルバート殿下の婚約者だけれど、アルバート殿下にはなんの感情も抱いてはいないの。アルバート殿下に好きな方がいるのなら、その応援をすることになんのためらいもないわ」
「……」
「でもそのためには、私との婚約破棄が必要。でもこの婚約は国王陛下と議会が決めたもので、ちょっとやそっとじゃ破棄できないわ。何よりも私の父が納得しないもの。逆にいえば、父を納得させれば婚約破棄はかなうのよ。そうでしょう?」
「……ああ、確かに」
「だからアマリエ様には聖女になっていただくわ」
「せ、聖女?」
「そう、聖女。天が地上に遣わした聖なる存在よ。彼女の持つ不思議な癒しの力こそ、この国の繁栄に必要なものなの。彼女は特別なのよ。一方の私はただの公爵令嬢。癒しの力なんて何も持っていないわ。この国に繁栄をもたらす存在ではないの」
エルシーアは両手を広げ天を仰いだ。
元がかなりの美女なので、その仕草は神々しく見えるほど。
しかし語っていることはかなり突飛。
「そのために協力してくださるかしら? ええ、たいしたことではないのよ。アマリエ様が聖女だという噂を広めるのを手伝ってくだされば」
ニコニコ顔で提案され、クラヴィスは思わず頷いた。
アルバートからは「アマリエを妃にする方法があるだろうか」という相談を受けていた。
「難しいだろうな」と答えた。
だって、アルバートの婚約者は宰相の娘だ。
宰相ごり押しで決まった結婚の破棄なんて、まず無理。
「エルシーア嬢を正妃に、アマリエを側妃にするのが無難だと思う」
そう答えたクラヴィスに、アルバート本人も「そうだよな……」と力なく頷いた。
アマリエは父親が金策に失敗して没落した元伯爵令嬢であり、彼女自身には何の非もない。明るくて優しい性格のアマリエに、何かと孤独なアルバートが癒されているのは傍で見ていてもわかる。お互いに静かに思い合っているのもわかる。一方のエルシーアは、「アルバートの婚約者」として行動を共にしなければならない時以外はアルバートとは別行動をしており、ビジネスパートナーという言葉がぴったりくる関係だ。
「でもそうすると、エルシーアの心を傷つけることになると思う。もちろんアマリエも……。可能なら、エルシーアとの婚約を破棄して、アマリエを妃に迎えたいんだ」
「無理だろう。ライン公爵が許さない」
「……どうしても無理だろうか」
「逆に、どうしてそこまでアマリエを正妃として迎えたいんだ? 元伯爵令嬢とはいえ、今は平民のアマリエに、王妃は荷が重いだろう」
クラヴィスの問いかけに、アルバートは「どうしても」としか答えなかった。
「なあクラヴィス、エルシーアとの婚約を破棄するにはどんな方法があると思う?」
問いかけてきたアルバートの目は真剣で、「まずいなあ」と思ったクラヴィスである。
もしもやるとしたら、エルシーアにありもしない罪をかぶせるか、ありもしない不貞疑惑をかぶせてアルバートの婚約者にはふさわしくないと騒ぐくらいしかないだろう。
――恋は盲目というやつかな。本当にやりそうだから怖い。
しかし、それではエルシーアがあまりにも救われない。
苦手なタイプだが、だからといってエルシーアにひどい目に遭ってほしいとは思っていない。
――アルバートの説得には骨が折れそうだな。逆にエルシーア嬢に注意喚起するべきか?
あなたの婚約者がろくでもないことを考えているようです、と。
それでエルシーアの気分を害して本当にアマリエを傷つけるような真似をされたら?
エルシーアの行いがうまくいってもいかなくても、禍根しか残らない。
――……できるわけがない……。
さてどうしたものか。
とりあえず、アルバートに早まらないように釘を刺しにいくか、と王宮に赴いたところで、アルバートとアマリエが仲良く逢引きしている現場に遭遇。マジかよと思っていたら、そこに今度はエルシーアが現れ、驚いた顔をしていたので慌ててエルシーアの口をふさいで廊下の片隅に引きずってきたわけだ。
そして、そのエルシーアから「アルバート殿下との婚約を破棄したいの。相談に乗ってくださる?」と提案されて驚いた。
まさかエルシーア自身も婚約破棄したいと思っていたとは。
さらに婚約破棄のための計画も練っていたことに驚いた。
――聖女とは、いい案だな。
しかしアマリエは普通の女性だ。聖女に仕立てることが可能なんだろうか。
***
「古今東西、人を集めて金儲けをした集団ならいくらでもいる。たいていは奇跡を見せつけることで無知蒙昧な人を騙す。この際の奇跡というのは、タネも仕掛けもある奇術だな。あとはサクラ、つまり奇跡があるかのように騒いでくれる仲間がいるか」
場所を変えて王都にあるクラヴィスの自宅、つまりフェルス侯爵家のタウンハウスにて。
私はバラが美しい中庭がよく見えるテラスに通された。
メイドがお茶を淹れてくれる。いいにおい。
その茶を飲みつつ、私とクラヴィスは「アマリエを聖女にする方法」について相談していた。
「あまり変な奇跡だと、それこそカルト宗教の教祖様になってしまうわね」
「……かると……?」
私の言葉にクラヴィスが首をひねったが、あいにくと私はカルトをこの世界の言葉に変換する語彙力がなかった。
「王妃様になるのだから、奇術系の奇跡もなし。できれば一発芸ではなくて、ずっと再現できるもののほうがいいわよね。クラヴィス様はどうお考え?」
「そうだな。異論はない。……できれば特別な知識、のようなものならいいのだが……。この国にはないような知識であれば。たとえば、病気を治す知識とか」
ああ、なるほど。医療系の専門知識。
ないわ……持っていない……前世の私は一般人でした。すみません。
いやでも待てよ?
「……健康増進の知識は?」
「は?」
「この国の女性は華奢であるほど美しいとされているわよね。だからコルセットで体を締め上げて細く見せることが一般的なんだけれど、実は私、コルセットは窮屈でたまらないの。コルセットで健康被害は出ていないのかしら」
「どうしてそんなことを知りたいんだ?」
「私、こう見えて筋トレマニアだったのよね」
もちろん前世の話である。
エルシーアは筋トレをしていない。
「きんとれまにあ……?」
私の言葉に再びクラヴィスが首をかしげた。
「決めたわ! アマリエ様には筋トレ聖女になってもらいましょう! そうと決まったら、善は急げだわ」
私はガタンと立ち上がった。
こうはしていられない。早速行動開始だ。
「おいおい、勝手に暴走しないでくれ」
「気になるのならクラヴィス様もお付き合いくださいな。動きやすい服装でいらしてね! ああ、お茶をご馳走様」
私はそう言い残すとクラヴィス邸をあとにした。
***
作戦はこう。
私とアマリエ二人で筋トレをする。
私が健康増進して「奇跡だ!」と吹聴する。
実際、今の私はなんのトレーニングもしていないので、しっかり筋トレをすれば効果を実感できると思う。
あながち嘘ではない。ここがポイントだ。
まったくの嘘っぱちなら、バレた時のダメージが大きい。
嘘ではないから、アマリエの聖なる力は本物ということになる。
奇跡の体験者が私だけでは少なすぎるので、第三者が私たちの筋トレに参加して奇跡を体感する。
こうしてアマリエは筋トレ聖女になる。
この国で高貴な女性は継続的に体を動かす習慣はない。
労働は労働者層のものであって、貴族階級の、特に女性は屋敷の中で優雅に過ごしていることがよしとされる。
運動不足は健康によろしくない。
きっと効果があるはずだわ。
それに筋トレの知識は私しか持ち合わせていない(動画サイトで見たものだけど)。
聖女の力にぴったりだ。
というわけで、私は自宅に戻ったあと、大急ぎでメイドに命じて「体操服」を作った。
学校で着ていたものではないわよ。伸縮性のある生地が手に入らないので、ゆったりめのブラウスにズボン。
この世界の基準でいうと、下着かな? というような代物だ。
***
筋トレ聖女を思いついて数日後。
私はライン公爵家のタウンハウスにアマリエ、クラヴィスを呼び出した。
アマリエには「アルバート殿下への気持ちが本物なら私のところに来い」というもの……まるで果たし状……
クラヴィスには「聖女爆誕の立会人になりなさい」という内容で。
なのでアマリエはびくびくしながら、クラヴィスは何が何だかという顔で我が家に現れた。
そして出迎えた私は「体操服」姿。しかも両脇に二人のぶんの体操服を抱えている。
「……なぜ下着姿なんだ」
現れた私に、クラヴィスが呆れ果てる。
「体操服よ。あとであなたたちにも着ていただくわ」
「……なぜ令嬢の前で下着姿になる必要がある!」
「その! ピチピチのズボンにシャツにベストにタイに上着姿で、筋トレができるわけないでしょうが! 動きやすい服装でいらしてねと言ったのに!」
私の剣幕にクラヴィスがあわあわする。
その隣でアマリエまであわあわする。
……やだ、かわいい……
ちょっとキュンとしちゃった。
「アマリエ様、まずおうかがいしたいのですけれど、あなたのアルバート殿下へのお気持ちは本物ですか?」
私はアマリエを見つめた。
私の声に、アマリエが真剣な表情に戻って私を見つめる。
「もちろんです」
「アルバート殿下の妃になりたい?」
「か、かなうのなら」
「側妃でもいいとは思わなくて?」
「……私は側妃でもかまわないと思っています。でもアルバート殿下はどうしても正妃として迎えたいと。そうしなければ私の立場が弱いままでつらい思いをすると。それはいやなのだと常々おっしゃっております。アルバート殿下が私に正妃をお望みでしたら、私はその思いに応えたい」
私の質問に、アマリエが真っ赤になりながらも真剣な表情で言い返す。
なるほど~……。
「であれば、あなたは私を倒さなくてはなりませんわね。私はアルバート殿下の婚約者なのですから」
「……」
「実は私、好きでアルバート殿下の婚約者をしているわけではありませんの。今からあなたに私を超える力を授けます。私を超えておゆきなさい、アマリエ様。あなたならきっとできます! そして私を超えるガッツをお持ちなら正妃の座などチョロいものでしょう!」
「は、はい……?」
アマリエが首をひねる。
私の言っていることがよくわかっていないわね。私もよくわかっていないもの。
「声が小さいですわ!」
「は、はい!」
「というわけで、二人ともこれに着替えていらして。更衣室はあっち。部屋は別々にご用意してあります」
私がパチン、と指を鳴らすと、部屋の外に待機していたメイドたちがスススと入ってきて、「こちらへどうぞ」と二人を誘った。
「本気か? 下着だぞ、これは。下着姿で令嬢二人に男が一人って、すごくまずい気がする」
「だったらご自分で体操服を用意していらっしゃいな!」
こう見えても試作を重ねて作った体操服なのだ。文句を言うクラヴィスに腹が立って、私は小脇に抱えていたクラヴィスのぶんの体操服をクラヴィス目がけてぶん投げた。
ボン、といい音がしてクラヴィスがキャッチする。
「……コントロールがいいな……」
「でしょう」
ふふん、と胸を張ったが、たまたまである。
こうして私の「アマリエ筋トレ聖女化計画」はスタートした。
ところでこの計画、私の筋トレ知識をアマリエに伝授するというものだけど、はた目には私がアマリエの聖女の力に心酔しているように振る舞った。
突然急接近した私とアマリエに、当然、周囲の人々は不思議に思う。
特にアルバート殿下は私を警戒した。
この計画、私のほうが知識の持ち主だということがバレたらアマリエを聖女にできないから、口外禁止である。
アマリエはけなげにも恋人であるアルバート殿下にすら、ちゃんとこの計画を黙ってくれていたようだ。
さて、筋トレ。
私たちは週に三回、筋トレの日を作って一日に一時間、せっせとワークアウトに励んだ。
アマリエは見習いとはいえ侍女なので、時間は仕事帰り。つまり夜だ。
アマリエはアルバート殿下のためにちゃんとその時間にやってきた。
驚くべきはクラヴィスね。そんな時間にもかかわらず、彼もまたちゃんとやってきた。
素晴らしい。
筋トレも、最初は「どうだったかなー」と記憶がおぼろげな私だったけれど、やっているうちにいろいろと思い出してきて助かった。ありがとう筋トレにハマっていた前世の私!
若くして死ぬことをあなたは嘆いていたけれど、あなたの人生は決して無駄ではなかったわ。
あなたの生きた証が、こうして転生した私を助けてくれる。
思い出したことはノートにしたためてアマリエと情報共有。
私たちの筋トレにクラヴィスも付き合ってくれた。
***
二か月もすると、私たちはその効果を実感できるようになってきた。
季節は夏。
「おなかが引き締まってきたわ」
体操服の上から自分の腹部をさすると、
「私もです、エルシーア様」
アマリエもおなかを触る。
「それに心なしか胸も大きくなったような」
体操服の上から自分の胸をもむと、
「私もです」
アマリエもモミモミ。
「僕がいることを忘れているだろう」
すぐ近くからクラヴィスのツッコミが聞こえたが無視をする。
「ということは、いよいよアレを実行する時ね」
「いよいよですか」
「ええ、いよいよ」
「エルシーア様はスタイルが抜群なので、きっと社交界の皆様の注目の的になりますね!」
「ええ、まかせてちょうだい」
私はガッと体操服のズボンの裾をまくり上げて脚をあらわした(膝から下だけよ)。
「私の脚線美で必ずや社交界のご令嬢方の視線を釘付けにしてくるわ」
「……」
「クラヴィス様、ここはツッコミをいれる箇所です」
私のダメ出しに、クラヴィスは微妙な顔をしてみせた。
最初こそ下着に見える体操服に動揺していたクラヴィスだけど、みんな同じ体操服姿で筋トレをしているうちに、そのかっこうでいることへの抵抗感もなくなってしまったらしい。最近では真夏ゆえに「暑い暑い」と私とアマリエが上着の袖やズボンのすそをまくり上げても何も言わなくなった。
クラヴィスは暑くてもそんなことはやらないけれど。
私たちの国では社交シーズンの始まりの日と終わりの日に宮廷舞踏会が開かれる。
そこで私は新しいデザインのドレスを披露するつもりだ。
コルセットなし、体の線を出したスタイルのドレス。日本でいうところのマーメイドドレスだ。
この国では上身頃はコンパクトでデコルテを出し、スカート部分は大きく広がるドレスデザインが主流だ。ウエディングドレスでいうところのプリンセススタイルというものね。マーメイドドレスは相当に目を引くだろう。
豆知識だけど、ハリウッドセレブがこうしたドレスを着るときは下着をつけない。ブラもパンツもナシだ。
私はパンツははくわよ。そこまで勇気はないから。ただしドレスに下着の線が出てはいけないので、極小の紐パンである。現世はもちろん、前世でもこんなセクシーパンツなんてはいたことはない。
マーメイドドレスを作ろうと思ったのは、エルシーアが長身で元々のスタイルがいいからだ。たぶん筋トレ前でも着こなせた。しかし筋トレをしたことで体が引き締まり、よりメリハリがついたので「これはマーメイドドレスを着るべき」と閃いたのだ。
エンパイアスタイルと迷ったけれど、筋トレの効果を見せつけるにはやはり体のラインを出したほうがいい。
問題は斬新なスタイルが受け入れられるかだけれど、夏の間のお茶会で友達や知り合いにそれとなく聞いてまわったところ、みんなぎちぎちコルセットには閉口していると言っていたので、解放的でも上品なデザインならいけるはずだと踏んだのだ。
何よりマーメイドドレスはロマンチックだものね。
仕立て屋を招いて話をしたら斬新すぎて「えー」という顔をされたけど、あまり得意ではないイラストでせっせと説明をしたら引き受けてくれた。
まだ仮縫いで仕上げまではもう少しかかるのだけれど、私が思った以上に素敵に仕上がりつつあるのでとても楽しみだ。
前世で「結婚式にはどんなウエディングドレスを着ようかしら」と妄想していたことを思い出す。
プリンセススタイルもいいけれどマーメイドドレスもいいわね~、なんて。相手はいなかったけど。
でも前世の私は小柄でスタイルがいいというわけでもなかったから、プリンセススタイルはあまり似合わなかったと思う。
エルシーアは長身でスタイル抜群だからなんでも似合う。
転生万歳。
「ですが、あのドレスでダンスができますか? 足が動かしにくそうに見えますが」
ふと、アマリエが聞いてきた。
「さあ……? できるのではないかしら」
やったことはないけれど。
「練習していったほうがいいと思います。ドレス、デザイン用の仮のものがございましたよね。あれで練習しましょう。私がお相手します」
ダンスは得意だったんですよ、と元伯爵令嬢のアマリエがやる気を見せる。かわいい。
「まあ、ありがとう。お願いし……」
「だったら、僕が練習相手になろう」
クラヴィスがアマリエを遮って申し出る。
え、と思って振り返ると、
「だって、実際にダンスをするのはアルバート殿下なんだろ? アマリエは小柄だから、練習台なら僕のほうが適している」
クラヴィスの説明に、それもそうねと私は頷いた。
***
というわけで、数日後、私はマーメイドドレスでクラヴィスとダンスの練習をすることにした。
なんとクラヴィスは夜会服で私の前に現れた。
サマになっている。かっこいい。
もともと好みの見た目をしているので、私はクラヴィスに見とれてしまった。
「どうした?」
そんな私に気付いてクラヴィスがたずねてくる。
「体操服ではないのね」
見とれた照れ隠しにそう言えば、
「本番に似せたほうが練習になるだろ」
ごもっとも。
私はというと、デザイン用の仮のドレスなので白一色、装飾品はなし。雰囲気を出すために髪の毛はアップにして、足元は本番用のピンヒール。
筋トレはしないので本日、アマリエは不在だ。
「それにしても刺激的なデザインのドレスだな……何も着ていないのと変わらないじゃないか」
クラヴィスが私を上から下までじっくり眺めて感想を述べる。
「ちゃんと着ているじゃないの。胸元だって透けないようにしてあるわよ」
ほらほら、とバストを持ち上げてみせたら「やめなさい」と呟きつつ、眼鏡のブリッジを指先で直した。これは動揺しているわね。
まあプリンセススタイルのドレスしか見たことがない人には、マーメイドドレスは確かに刺激的だと思う。
「こんな露出の多いドレスで宮廷舞踏会に出るつもりか」
「露出面積に関しては、従来のドレスとそう変わらないんだけれどね。もちろんよ」
「しかもアルバートと踊るのか。……悔しいな、あいつが婚約者でなければ僕が最初にダンスを申し込んだのに」
クラヴィスがぼやく。
遠回しのお世辞かな?
「あら、ありがとう」
私の答えに、クラヴィスが一瞬驚いたような顔をしたが、ふうとため息をついた。
「それにしても、女性でもできる鍛錬の知識をアマリエに授けるとは、なかなか考えたな。アマリエにも再現可能だし、それに思った以上にアマリエの物覚えはいい。真面目だし、根性もある。案外、彼女は正妃に向いているのかもしれない」
しみじみとクラヴィスが呟く。
「そうね、私も驚いたわ。何よりアマリエ様はアルバート殿下のことが大好きですもの。アルバート殿下のおそばには、アルバート殿下を一番に想う方を置くべきです。その点だけでじゅうぶん、アマリエ様は私より正妃向きだと思うわ」
「それは、そうかもしれないな。しかしどこでこんなに詳細な鍛錬の知識を手に入れたんだ? 不思議な動きが多いが、ちゃんと体が鍛えられている」
クラヴィスが自分の体を撫でながら聞いてくる。
クラヴィスも筋トレの効果を実感しているようだ。
「ええと……東方の知識なの。東方ではこういう動きで体を鍛える女性が多いのよ」
「東方?」
「そう、東の果ての海の向こう側にある、にほ……ジャパ……お、黄金の国で伝えられている鍛錬なんですって。教えてくれた人が言っていたわ」
前世の記憶に頼っていますとは言えない。
私の苦しい説明に「ふうん」とクラヴィス様が頷く。
「それよりも。あなたとダンスは初めてね、クラヴィス様」
にっこり笑いかければ、
「……。その、様というのは、いらないだろう、もう」
口元の拳を当てて少しだけ思案し、クラヴィスが答えた。
「まあ、友達として認めてくれるのね。では私のこともシーア、と。家族は私のことをそう呼ぶの」
「……アルバートはあなたのことをなんて呼んでいる?」
「あの方はエルシーア嬢のままね」
しょせん親同士が決めた結婚だ。私達の間には何もない。
アルバート殿下は優しいので私をないがしろにしている気配は微塵も感じさせなかったけれど、実際のところ、私はアルバート殿下にとって何者でもないのだと思う。身内でもなければ、友達でもない。「婚約者」に配置されているだけ。
そんな気がする。
「なるほどね。宮廷舞踏会当日、僕はシーアとは踊れないから……私と踊っていただけますか?」
派閥が違うクラヴィスとのダンスはマナー違反なのだ。
私たちは、表舞台では一緒に踊ることができない。
クラヴィスが作法通りに私に手を差し出す。
「喜んで」
私も自分の手を差し伸べた。
ダンスポジションをとる。
クラヴィスの大きな手が、大きく開いた背中の、むき出しになっている肌にあてられる。
意外なほど大きな手と、てのひらから伝わる体温の熱に、ちょっと驚いた。
今までなんとなく「物語の登場人物」として認識していたクラヴィスだけど、そうか……このひとは生身の大人の男性なんだよね……
***
そして迎えた宮廷舞踏会当日。
私はマーメイドドレスに身を包んで会場である大広間に現れた。
髪の毛は結い上げて真珠の髪飾りをつけ、首元にも真珠のネックレス、夜の闇を思わせる濃紺のドレスにはいくつものクリスタルをちりばめた。腰の位置は高めに、ヒップの丸みは強調して、足元に流れるドレスの裾は優雅に。上身頃は露出を控えた代わりにレースをたくさん使った。背中は大きく開いており、コルセットを着けていないことも強調。
私が入場した途端、おしゃべりの声が鎮まり、誰もが私のドレスに目を瞠る。
私を出迎えたアルバート殿下ですら言葉を失っていた。
「……エルシーア嬢だったのか。見違えたよ。……斬新なドレスだね。いったいどこで?」
「私がデザインしましたわ」
たずねるアルバート殿下に、周囲で聞き耳を立てている人達にもはっきり聞こえるように大きな声で言う。
「実はこちらで侍女見習いをしておりますアマリエ様に、癒しの聖女の力があるそうですので、その力をわけていただいていたのです。王宮にて体調を崩した私に、アマリエ様は惜しみなく癒しの力を注いでくれましたわ。そしてアマリエ様のお力でわずか二か月にて、この通り、コルセットなしでコルセットがあるのと同じ体にしていただけましたわ」
言いながら私は腰に手を当てて腰の細さを強調する。
「異国には癒しの力を持つ聖女が現れると国が栄えると申します。アマリエ様のお力は本物と確信いたしました。この国は間違いなく栄えることでしょう、アルバート殿下。ぜひアマリエ様を大切にしてくださいませ」
私が(少々芝居がかった大げさな)笑みを浮かべると、アルバート殿下は私の勢いに呑まれながらも頷いた。
今夜の計画はこうだ。
私は、私のスタイルのよさと斬新なドレスの美しさを見せつけること。
これを着こなすにはアマリエの力が必要であること。
アマリエの癒しの力はすごいんだぞと吹聴してまわること。
そしてクラヴィスにも取ってつけたように「そういえば、こんな話を聞いたことがある」と(ありもしない)遠い国の聖女伝説を語ってもらう。
本当にこんなことでうまくいくだろうか? とは思ったけれど、私がコルセットなしでスタイルキープをしていることを知ると、特に同世代の令嬢たちは前のめりになって話を聞きにきた。
筋トレはスタイルキープだけでなく、病気も遠ざける。
その話までつけたら、令嬢だけでなくその母親たちも興味津々で私の話を聞いてくれた。
いつの時代も女性の関心ごとは美容と健康なのだなとしみじみ……。
クラヴィスはクラヴィスで男性たちの間に「聖女が現れた国がどれだけ繁栄したか」という昔話を流布してくれた。
あとで聞いたら、クラヴィスの話はあながち作り話でもなく、聖女伝説が伝わる地域の話をきちんと調べて流布したとのこと。
ずっと東の国では、空からやってきたため「天女」と呼ばれているらしい。
知らなかった。
聖女伝説って、ちゃんと存在したのね。
こうして筋トレパワーで人々を癒す(というか健康にする)聖女アマリエが爆誕した。
アマリエの癒しの力は(プラセボ効果もあると思うけれど)すぐに評判となり、アマリエは本物の聖女として認められ、多くの人々から敬われる存在となった。
そして聖女爆誕から半年後。
私、エルシーア・ラインとアルバート殿下との婚約は破棄され、アルバート殿下は聖女アマリエと婚約し直した。
私は、というと……。
***
冬のある日、フェルス侯爵のタウンハウスにて。
バラが美しい中庭は、今はしんしんと降る雪に埋もれて白一色になっている。
それを眺めながら、私とクラヴィスは暖かい応接間でお茶を飲んでいた。
クラヴィスが、外国の珍しいお菓子が手に入ったので一緒にどうかと誘ってくれたのだ。
「ライン公爵の様子はどう?」
私がいい香りのお茶を楽しみ、たくさんあるお菓子を一通り味わったところで、クラヴィスが口を開く。
「相変わらずね。私の嫁ぎ先を見つけるのに躍起になっているけれど、難航しているみたいよ」
アルバート殿下に婚約破棄された私、実は次の嫁ぎ先がいまだに決まっていない。
父があちこちに声をかけてまわっているが、なぜか殿方たちが及び腰なのだ。
「ふうん……」
手にしたティーカップを見つめながら、クラヴィスが呟く。
「あなたは? いいところから縁談が来ているのではなくて?」
「まあそれなりに」
「羨ましいこと。私にも縁談がくればいいのに」
「シーアは結婚したいんだ? アルバートとの婚約を破棄したがっていたから、結婚そのものが嫌いなのかと思っていた」
「アルバート殿下との婚約を破棄したかったのは、アマリエ様がいたからよ」
「もしいなければ、おとなしく結婚していた?」
「そうね……していたと思うわ。でも、それはきっと、私の望む結婚ではなかったでしょうね。早々に夫婦仲は壊れて、どこかで離縁を目論む羽目になっていた気がするわ」
だって、アルバート殿下は私のことをまったく女性として意識していなかった。
「私、結婚は好きな人としたいの」
前世の記憶があるからか、愛し愛されたいという願望は強い。
その気持ちを満たしたくて、前世の私は恋愛小説を読みふけっていたのだから。
「好きな人か……。じゃあ、そこに僕が名乗りを上げてもいい?」
クラヴィスが目を上げる。
眼鏡のレンズ越しに濃い藍色……夜空の色の瞳が私を射抜く。
それはドキリとしてしまうほど真剣な、強い眼差しだった。
「え? ええと……そうね……? あなたのことは嫌いではないから、もしかしたら好きにな……ん……?」
なんだか体がポカポカしてきた。
頭の奥もふわふわする。
「何かきっかけがあったら、僕のことを好きになってくれる、ということ? 僕にもまだチャンスはある?」
クラヴィスがカップをテーブルに置く。
「そうね……?」
「あなたの縁談を潰してまわったのは僕だよ。ライン公爵の先回りをして手を打った。……と言ったら、軽蔑する?」
「ええ……?」
私はふわふわする頭でクラヴィスの言っていることを理解しようとした。
だめだ、よくわからない。
それにしてもなぜ急に頭がふわふわしてきたのだろう。心臓がドキドキする。
これは……風邪? いきなり発病してしまった?
クラヴィスが立ち上がってテーブルを回り、私が座るソファのすぐ隣に座る。
ソファが彼側に沈み込み、私の体は少しだけクラヴィス側に傾いた。
「夏からずっと、シーアと一緒にいて、僕はシーアに魅せられてきた。シーアのことは苦手なタイプだと思っていた。でも誤解だった。あなたは正義感が強くて一言多いタイプではなくて、賢くて行動力があるタイプだった。あなたはアルバートにはもったいない」
クラヴィスの手が私の背中に回されて、ぎゅっと抱き寄せられる。
されるがまま、私はクラヴィスの胸に自分の頬を押し付けた。
いつもの私なら、親しい間柄とはいえ成人男性をここまで近づけたりはしないだろう。でも頭がふわふわするせいでものが考えられないから、私は「クラヴィスって、いいにおいがするわ」などとズレたことを考えていた。
なんのにおいかしら。柑橘系の、優しいにおいだわ。
「今、あなたが口にしたものに媚薬を混ぜ込んでいたと言ったら、軽蔑する?」
クラヴィスが至近距離から私を見つめる。
「……意気地なし、だとは思う」
私はひどく重たく感じる手を持ち上げて、クラヴィスの頬に触れた。
「そんなものを使わずに口説いてほしかったわ」
「申し訳ない。僕は意気地なしだから」
「正直ね。いいわ、許してあげる。……どんなふうに私にきっかけ作ってくださるの? 私があなたを好きになるきっかけ」
私の問いかけにクラヴィスが小さく笑ってあいている手で眼鏡を外し、そっと顔を寄せる。
すっかり忘れていたのだけれど、私が転生したこの物語、読む時に背後を気にするタイプの話だったのよね……。
今回は「悪役令嬢」「異世界転生」に挑んでみましたが、だいぶ方向がズレました……。
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