第10話 証明
「飲んで何もなければ、春鈴様が人を疑うことしかできない充媛と報告します。逆に、飲んで毒が入っていれば、永蘭様が他の九嬪に毒を飲ませようとしたことを報告いたします」
泰然の耳を疑うような言葉を前に、その場にいた者は皆言葉を失ってしまった。
話の流れ的に優位に立っていると思っていた永蘭と朱蓮からしたら、たまったものではないだろう。
そして、春鈴も初めて聞かされる流れを前に困惑していた。
私の味方のはずが、どっちの味方でもない気さえしてきたんだけど。
朱蓮は驚いている春鈴のことを見て、これが春鈴の作戦ではないのだと察した。
そうなると、この男は何をしたいのか。
泰然の言葉に動揺している朱蓮だったが、今が確実に追い込まれている状況出ることは分かったようだった。
永蘭が驚きのあまり何も言えなくなっているのを確認した朱蓮は、永蘭の代わりに口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください、泰然様! 泰然様も永蘭様を疑っているのですか!」
「疑いを晴らすためにやってもらうのですよ。勘違いのなきよう」
泰然は何でもないことを言うかのようにそう言うと、優しい笑みを向けたまま春鈴の近くにあった湯呑を茶托ごと持ち上げた。
そして、泰然は表情を崩すことなく言葉を続けた。
「主は平穏な後宮を望んでおります。私が報告したらどうなるか、分からないあなたではないでしょう?」
泰然が春鈴の湯呑を永蘭の側に置くと、永蘭は体を小さくビクンとさせた。
永蘭は青くなった顔でその湯呑をじっと見た後、泰然の方をろくに見ずに口を開いた。
「私と朱蓮様はすでに同じお茶を飲んでいます。これ以上毒見をする意味が分かりません」
「と言っていますが、春鈴様はどう思われますか?」
泰然からいきなりパスを受けた春鈴は少し驚きながら、じっと本来春鈴が使おうとしていた湯呑を見た。
他の湯呑と見た目上は何も変わらない湯呑。
しかし、そこには目視では分からないモノが付けられていたことを春鈴は知っていた。
「湯呑の口を付ける部分。そこに毒が仕込まれています。数日寝込むくらいの物で命に別状はないみたいですけど」
春鈴がさらりと毒の付着部分とその効果を口にすると、永蘭と朱蓮が勢いよく春鈴の方に顔を向けた。
その顔は驚きを通り越して、畏怖の対象としてでも見るかのようなものだった。
湯呑の方に毒を溶かし入れておかなかったのは、殺してしまう危険性を低くできることと、処分の仕方が楽だからだろう。
布などに毒を良く染み込ませたで飲み口を拭くだけなので、毒を多く入れて誤って殺してしまう心配は少ない。
それでいて、毒を処分するときは布で飲み口を拭いて、それを燃やしてしまえばいい。
下手に毒を溶かしたお茶をどこかに捨てて、草木が枯れでもしたら、犯行がバレてしまうしね。
検死をしたら色々とバレてしまうだろうから、この方法は殺さないこと前提で考えられたものだとは思う。
……まぁ、そうとは知らずに夢の中で何回もその毒に苦しまされたけどね。
春鈴がちらりと永蘭と朱蓮の方に目をやると、二人は慌てるように視線を逸らしたみたいだった。
そして、その二人の反応は犯行を認めたのと変わらないようだった。
そのやり取りを見ていた泰然はわざとらしくため息を吐いた後、言葉を続けた。
「飲めないということは、そういうことでしょう。……でしたら、仕方がありませんね」
何がしかたないのか。
そこを明確にせずとも、この場にいる全員がその意味を察した。
これから永蘭のことを報告しに向かうのだろう。他の嬪のお茶に毒を仕込んだことを。
そして、それが皇帝に伝われば、二度と皇帝は永蘭に近づこうとはしない。
ただ任期が終わるまで冷宮で軟禁状態の日々を過ごすことになる。
永蘭が何も反論できないでいると、泰然は小さなため息を漏らしてからその場を去ろうとした。
「お、お待ちくださいっ」
泰然が立ち去ろうとすると、永蘭は勢いよく立ち上がり泰然の足を止めた。
そして、永蘭は何を考えたのか春鈴が飲むはずだった湯呑に口を付けると、そのままお茶を数口呑み込んだ。
「え、永蘭様!」
朱蓮は永蘭の行動を止めようとしたが、永蘭はその行動を片手で制した。
そして、湯呑を茶托に置いてから一息つくと、何ともないふうを装って口元を袖で隠しながら言葉を続けた。
「な、なんともありませんわ。これで私の潔白はーー」
しかし、永蘭は言葉を言い終える前にがたっと音を立てて膝から崩れた。
意識はまだあるようだが、脂汗のような物を垂らしながらお腹を強く抑えている。
それを確認した泰然は後ろにいた呂修の方に振り向いて口を開いた。
「大変です。呂修、すぐに医官をここに」
呂修は泰然の言葉に頷くと、そのまま部屋を後にして医官を探しに向かった。
毒を仕込んだ本人に毒を飲ませなくても、注意喚起するだけでよかったのでは?
そんなことを考えながら春鈴が蹲っている永蘭に目を向けると、泰然がわざとらしく驚きながら春鈴の方に視線を向けた。
そして、ここからが泰然の考えていた本当の作戦であることを春鈴は気づいていなかった。




