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「よっす、ことみ。ここに居る気がしたから、電話よりはやいし、来た」
「つみくん」
ほっとした声が出てしまって、ことみはちょっと笑う。
絢が不安げに、彼を見ていた。「あの……?」
「あ、このひとが、さっき話した子。佐伯積くん」
「犯罪の罪じゃなくて、積み木の積ね」
積はそう云いながら、ポケットに手をつっこんでぶらぶら歩き、ことみの傍の肘掛けに腰を預けた。金のピアスをつけているが、それ以外に装飾らしいものはなく、オレンジベースのオーバーシャツとフランス語らしいものが書かれたシャツ、だぼっとしたふといジーンズ、という格好だ。あしには雪駄をつっかけている。
絢は、いまいち統一感のない積の格好に、目をまるくしていた。彼女は地味だが、仕立てのいいワンピースとしゃれたショールを身につけているし、ファッションにそれなりの興味があるように見える。
「ええと」ことみはとりつくろうみたいに微笑んだ。「つみくんは、幡多神社の跡取りなの」
「えっ!」
「まだ勉強中だから、お祓い料はとらないよ」
積がおどけた調子で云い、ことみは苦笑いした。積が神社の息子だとわかると、半分くらいのひとが、お祓い料の心配をするのだ。軽く云っているけれど、積はその手の話をきらっている。
絢は口を半開きにしていたが、ぎゅっとワンピースを掴んで、喘ぐように云った。
「あの……お祓い、できるんですか?」
「我流だけどね」
積は頷く。「条件も厳しい。お金はとらないけど、お祓いの準備期間があるし、君がしないといけないこともある。それでもいいなら、くわしい話を聴かせて」
絢は一も二もなく承知した。ことみは、それだけ絢が、聴こえる筈がない声になやまされているのだと、可哀相に思った。
授業が終わった学生達が、ロビィに続々と出てきた。
絢の奇妙な体験は、幻聴だけではなかった。
「あしあと……?」
「うん」
すっかりことみに慣れたらしい絢は、項垂れて肯定した。
午後六時、三人は大学近くの公園に居た。子ども達はもう帰ってしまっているし、不良が寄りつくような場所でもない。
あのあと、ことみは授業があったので、絢と積をふたりにしてその場をはなれた。直後に、絢は実家から呼び出され、積にくわしい話をできていない。後でまた集まろう、ということになり、三人とも時間があいているのが今だった。
積は甘い炭酸飲料を飲んでいる。
「それはなんの動物の?」
「いろんなの……みたいです」
「具体的には」
「ええと、鳥、猫、犬……蛇みたいな、なにかが這いずったあともあったって、母が」
「そうか……」
絢が実家に呼び出されたのは、実家の壁に動物の足跡らしいものがついていたからだ。
絢は以前(「中学生か、小学生の頃だったか、忘れちゃったんですけど」)、隠れて猫を飼おうとしたことがある。絢は幻聴がでるようになって以来、週に何日かは実家に戻っているので、また隠れて動物を飼おうとしたのではと、母に怒られたらしい。
「戻った時には、お掃除のひと達が来てて、なにもなくなってたので、見てないんですけど」
「写真は?」
絢は頭を振る。「母がご近所に知られたらはずかしいからって、すぐにお水をかけて、ほとんど洗い流したそうです。その後、お掃除のひと達を呼んで、徹底的に綺麗にしてもらったって。お金、かかったって、怒られました」
「足跡は、壁だけ?」
絢は頷く。
「あの……寮でも、似たようなことあったんです。猫か犬の足跡みたいなのが壁についてたって。それも、用務員さんが消しちゃってて、でも、友達が、絢の部屋の窓に向かってたよって。変なこと云わないでって、喧嘩になっちゃったんですけど……」
ことみは顔をしかめそうになってこらえる。こわい思いをしているのは絢で、自分ではない。それに、ここで気持ち悪いなんて云ったら、実際奇妙な現象になやまされている絢を批判したようにとられてしまうかもしれない。
しかし、どうしても気になることは、口にせざるを得なかった。
「ねえ、地面には足跡は?」
絢はまた、頭を振った。
今日は実家で、ご両親と一緒に居たほうがいいと、積がすすめたので、絢はふたりにお辞儀してその場を去った。
ことみは絢に手を振ってから、からの壜をごみ箱にいれる積をふりかえる。「どんな感じ?」
「うーん。宜しくないね」
積はどうしてだかにやっとして、ぐいっと伸びをした。「ことみ、飯、つくってくれない?」
「やだ」
「じゃあうちで食べる?」
「うん。つみくんのお母さんのお料理大好き」
積は肩をすくめた。「母さんにことみの胃袋握られちゃったな」
積は幡多神社の境内に家があり、そこから大学に通っている。ことみは毎月、甘酒接待の手伝いをするし、それ以外でもなにかと手伝っていて、たまに積の家に泊まることもあった。
今日の佐伯家の夕食は、豚肉をまいてフライにしたズッキーニ、がんもどきの煮もの、きのこの味噌汁に炊きたてのご飯、干しなつめだ。積が連絡してくれたので、ことみの分もあった
「ありがとうございます、今日もおいしかったです」
「いいのよ、ことちゃん。遠慮しないでね」
にこにこして、ことみに戎草のつめたいお茶を運んできたのは、積の姉だ。彼女はことみを気にいっているみたいで、お邪魔する度にこうやって下にも置かない扱いをしてくれる。
「おかわり、まだあるけど」
「おいしすぎて食べ過ぎちゃうから、もう辞めておきます」
「あらー。じゃあ、アイス、食べる?」
「はい」
「部屋で食べる」
積が席を立った。「俺が持ってくから、姉さんもご飯食べなよ」
「はいはい。ことちゃん、泊まってくわよね?」
ことみはにっこりして頷いた。
戎草のお茶のコップを、自分と積の分、積の部屋まで運ぶ。テーブルにコップを置いたところで、積がアイスクリームのカップをふたつ持ってやってきた。
「チョコ? ヴァニラ?」
「どっちでも」
「じゃあ俺チョコ」
ヴァニラアイスのカップと、華奢なスプーンを渡され、ことみはくすっとする。ことみがチョコアイスよりもヴァニラアイスが好きだと、積は覚えてくれているらしい。
アイスをつつきながら、積はデスクトップでなにやら調べている。ことみはそのせなかを見ていた。
「なにか、ひっかかるもの、ある?」
「んー。まだ見付からない」
積は、呪いや祟りなど、悪いものを祓うことができる。彼独自の理論があって、それを研究しているので、お祓いはただでひきうけても損にはならないらしい。
ただし、普通のお祓いと違うのは、「原因がはっきりしないと成功率が著しく低い」ところだ。
積の話を聴いて、ことみが理解した内容はこうだ。
普通のお祓いは、対症療法。とにかくどうにかして悪いものを遠ざける。
なかには悪魔祓いみたいに、施術(と、積は表現した)の最中に悪いものの名前をききだして、お祓いの精度を上げるものもある。
これができるひとは、根本的なものがうっすらしかわかっていなくても、お祓いできる場合が多い。お祓いの最中に原因がわかるひとも大勢居る。
だから、一応悪いものを遠ざけてから、二度とそういうことがないようにこれからはこれこれこういうものに気を付けなさいとか、こういう行動は慎みなさいとか、助言ができる。
ただ、それが確実にあっているかはわからない。
ことみにはわからない話だが、積曰く、祟りだとか呪いだとかが素直に大元のカタチをしているかはわからないそうだ。狐憑きや兎憑きなど、動物霊が憑いた、と思われていても、そうでない場合もあるし、人間のおばけが憑いていると思っていたら動物霊だった、ということもある。
そういう「通常の」お祓いとは反対に、積のお祓い方法だと、最初に原因がはっきりしないとうまくいかないことが多い。
自分のは根本的な治療を目的としている、というのが、積の弁だ。
積はお祓いの前に、依頼者や依頼者の行動をきっちり調べる。だから、時間がかかる、しないといけないことがある、と絢に釘を刺したのだ。
積は、お祓いをはじめると、自分が祓おうとしている相手の情報をかすかにしか感じとれなくなる。「まだ居る」「もう消えた」だけしかはっきりしないのだそう。
安心なのは、原因がはっきりしてからお祓いをした場合、積は今まで一度も失敗していない、ということだ。
アイスをつつきながら、ことみは積との出会いを思い出していた。
中学生の頃、ことみはこの市へひっこしてきた。
オカルト少女だったことみは、転校してすぐに、いやなものを見てしまう。クラスメイト達が、放課後、机をくっつけて、手書きの五十音表をひろげたのだ。
まさか、と見ていたら、案の定、そのうちのひとりが五十音表の上に十円玉を置いた。こっくりさんだ。
こっくりさんは、遊び半分でやっていいものではない。降霊術の一種……とされているが、心理的、精神的な悪影響をことみは心配していた。
素人が簡単に、降霊なんてできるものではない。こっくりさんで十円玉が動くのも、複数人が十円玉に触れているとそれぞれの指がかすかに動くので、それで勝手に動いたと勘違いしているだけだ。
ひとりでなら持てるトレイを複数で支えようとすると持てない、という現象や、手が震えている時に見ていると震えがひどくなる現象が、それに似ているとことみは思っている。
素人、というか、特殊な力でも持っていないと、本当に降霊したのか、単なる勘違いなのか、わからない。わからないから、霊が来たのだと考える。その後になにか悪いことが起こったら、こっくりさんをやったからだと考えてこわくなる。結果として、精神のバランスを崩したり、妙なおまじないや開運グッズなんかに凝りはじめる、ということは、ない話ではない。
少なくとも、物事の分別がついていない中学生のやることではないと思ったから、ことみは転校初日にもかかわらず、クラスメイトに注意しようとそちらへ向かった。
しかし、ひとあし遅かった。積がふらっと近付いていって、イラストつきの五十音表をひったくり、びりびりと引き裂いた。
邪魔された女子生徒のひとりが泣き出し、先生が呼ばれて、騒ぎになった。ことみはまったく関係ないのだが、積が叱られそうだったので、こっくりさんのことをいいつけ、結局全員揃って生徒指導室へ行くことになった。泣いていた女子生徒だけは、親が迎えに来て先に帰った。
一部始終を見ていただけのことみだが、反省文を書くように云われ、今度からはすぐに先生を呼んでこようと思います、と書いた。校則では、こっくりさんは禁止らしかったからだ。こっくりさんをやっていた生徒達は、こっくりさんは狐の霊を呼ぶけれど自分達がやっているのはエンジェルさんで、呼ぶのは天使だから問題ない、といいはっていた。
積が、そんなのは相手には関係ない、大体こんな極東の一般人が天使なんて呼べない、と云ったので、また数人が泣き、積とことみだけが生徒指導室に残され、後は帰っていった。
そんな情況なのに、積はなんでもないように云い放った。積とことみで、どっちも「み」で終わる名前だね、と。それで、ことみは笑ってしまい、積は満足そうにした。
それから、ふたりはオカルトについて話すようになった。積が幡多神社の息子だというのは、すぐに知った。学校中が知っていただろう。
積は当時から、厄介なことになったひと達を救おうと、独自のお祓いを研究していた。幽霊や、おばけ、そういうものが見えないことみには不思議なのだが、積には幽霊が見えることがある。
ことみは占いの精度を上げる為に、ただでいろんなひとを占っていたから、余計なものをもらうことが多々あった。その度、積が助けてくれている。
「つみくん」
「ん?」
「わたし、なんかもらったりしてないよね」
積が振り向いて、ことみをじっと見詰めた。
以前、恋愛占いをしてあげた子から、おばけがうつってきたことがあるのだ。ことみにはわからないが、積にはそれがすぐに見えた。
ただ、その「見える」能力には波があり、見えない場合はまったく見えない。お祓いをしても、最初から最後まで姿がわからなかったこともある。積が原因から推測したのは、水子の霊で、その後その依頼者からはなにも云われていないので、きちんと祓えたのだろうとことみは思っている。
ことみ自身は、霊のことはほとんど感じとれない。あまりにも強いものだとなんとなくわかるが、それだってなんとなくでしかない。
積はしばらく顔をしかめていたが、にこっとして、チョコアイスをばくついた。「大丈夫だよ。なにもいない」
「よかった……王子さん、大丈夫かな」
「幻聴だけなら、すぐに祓えたかもしれないけど、足跡っていうのがなあ」
積はデスクトップの電源を切って、アイスのあき箱を捨てに出ていった。戻ってくると、戎草のお茶をぐいっと飲む。
「どんな感じした? ことみ」
「どんなって?」
「嘘吐いてるかどうか」
ことみは最後のひと口を食べ終え、積がからになったアイスのカップとお匙を持って出ていった。
戻ってきた積に、ことみは首をすくめてみせる。「占おっか?」
「それがいいなら、そうして」
ことみは「すでに確定している事項」には強い。例えば、次のレースでどの馬が勝ちますか、はあたらなくても、前のレースで勝った馬はどれですか、ならあたる可能性が高いのだ。その結果を、たとえことみが知らないとしても。
王子絢が嘘を吐いてるか、ダウジングで占ってみたが、結果は「いいえ」だった。「王子さん、嘘は吐いてないみたい」
「そうか……」
積は腕を組んでいる。「……ことみ、明日、ひま?」