黒い液体
アーデル達が泊っている宿の食堂は耳を塞ぎたくなるほどの盛り上がりを見せていた。
というのも、普段、大坑道に籠っていることが多いグラスドが出てきたことが影響している。ほとんど話もせず、食料などを買い込んですぐに戻っていたドワーフの英雄が笑顔で食事をしている、ただそれだけでお祭り騒ぎだった。
さらにはパペットがゴーレムであることが判明し、その技術の高さにドワーフの鍛冶師たちは驚きを隠せない。しかも人と遜色のない会話ができるということでパペットは囲まれて質問をされていた。
他にもコンスタンツの縦ロールが珍しいと女性のドワーフに人気であったり、オフィーリアはサリファ教を広めようと営業的なことをしたりと、色々と盛り上がっていた。
アーデルとクリムドア、そしてブラッドの三人だけは、少しだけ離れたテーブルでちびちびと飲み食いをしている。むしろ気配を消していると言ってもいいほどだ。
「ドワーフたちのノリは嫌いじゃないけど、毎回だと疲れるね」
「人生が幸せかどうかは笑った時間で決まるを信条にしているらしいからな」
アーデルの言葉にブラッドはそう返し、ドワーフたちの盛り上がりを見ながら酒を飲んだ。
「俺はどれだけ美味い物を食えたかによると思うが」
クリムドアはそう言って厚切りのステーキを食べる。タレが美味しいと感じたのか、口のまわりに付いたタレを舌でペロリと舐めると、さらにもう一切れを口に運ぶ。そして幸せそうに何度も噛んだ。
そんなクリムドアを少し呆れた目で見ていたアーデルはブラッドの方へ視線を向けた。
「これからのことなんだけど、一旦、村へ帰ろうと思うんだ。大丈夫かい?」
「大丈夫だ。パペットの鳥ゴーレムのおかげで港にいる船員たちに連絡はしてある。戻ってすぐに出航できるはずだ。俺としてはもう少しドワーフと交渉して鉱石を持って帰りたいところだが」
「すまないね。ばあさんの家で調べたいこともあるし、グラスドが墓参りをしたいとか言ってくれてね」
アーデルが住んでいた家にはまだ読んでいない資料もある。一部は燃やされているが、残っている資料を調べておきたいと思った結果だ。
それに家の近くには魔女アーデルとウォルスの墓がある。グラスドはその墓参りをしたいと言い出し、アーデルはそれを了承した。
「大坑道での話はフィーに聞いた。アーデル様の家で調べたいことがあるのは分かるから気にしなくていい。そういう調整をするために俺がいるんだからな」
ブラッドはそう言って微笑み、さらに続けた。
「それにしてもグラスド様か。そのまま村に住んでくれれば世界最高の鍛冶師を村に迎えられるんだがな」
「ドワーフの英雄が人間の村に住むわけないさ。ただ、村に住みたいドワーフがいれば連れていくとか言ってたね。弟子というわけじゃないみたいだけど、しばらくは指導するとか言ってたよ」
「それはありがたいな。ドワーフの鍛冶師が作った武具を店で扱えば結構売れると思う。それに良い武具を求めて冒険者が増えるかもしれん」
村に冒険者が増える。それは魔の森に入る冒険者が増えるという意味でもある。
魔の森に入って魔物を倒せるのはアーデルとコンスタンツ、そしてパペットとパペットが作ったゴーレム達だけ。魔の森の魔物たちの素材は金になるが、当然魔物は強い。
武具を求めて優秀な冒険者が村を訪れれば魔物を倒せる者も増える。武具が先か、魔物が先かという話があるが、うまい具合に素材、武具、金と循環すればブラッドの店も大きく繁盛するだろう。
「宿も増やさないとだめだろうな。それに村全体の食料も必要だし、武具のために鉱石も必要か。ああ、冒険者ギルド支部の申請も――」
「ずいぶんとまあ色々考えるね」
「いや、こんなものじゃ足りない。昔、冒険者をやっていたから、そうやって大きくなった町などを知っている。だから少しは分かるが、もっと色々考えておかないとな」
「そういうもんかね。村が変わっちまうのは個人的に寂しいけど」
マイナーなものがメジャーになるのは嬉しさと同時に寂しさもある。あの村にそこまで執着しているわけではないが、アーデルにとって大事な場所と言える。
人が増えるほど村は大きく姿を変える。自分にとって今の姿でも十分なのに変わってしまうのは少し寂しい。
「たとえ姿が大きく変わったとしても変わらない物もあるさ。大事な物だけは残しておくようにコニーに頼めばいい。そういえば、魔女アーデル様の銅像やその偉業を讃える石碑を作るとか言ってなかったか?」
「……初耳だね。噴水の女神像を再建造するとかは言ってたような……?」
コンスタンツが水の精霊に負けたことで、もっと大きい噴水を作って欲しいという願いを叶えることになったと、悔しそうに言っていた気がする。それに女神像ということで、オフィーリアとメイディーがいい考えだと後押ししていた。
「コニーが領主として治めている領地だ。その唯一の村なんだからどう考えても大きくするはずだぞ」
「だろうね。『王国で最高の領地にしてやりますわ!』とか言ってたし」
「真似が上手いな。それはともかく、獣人たちもいる。どう考えても今の小さな村ではいられないぞ」
「ああ、それもあったね」
王都で押し付けられたと言ってもいい獣人の傭兵たち。大人数なので王都では世話ができないということだったが、それは小さな村でも同じこと。
だが、コンスタンツは特に悩むことなく引き受けた。今のところ暴動を起こすなどはなく、素直に船で待機しており、簡単な仕事を手伝っているという。
コンスタンツの考えでは魔の森で魔物を倒す冒険者のように扱うつもりだと言っていたが、どうなるかは分からない。別の次元では獣人たちは自らの国を興し、周囲の国と戦争を始めた。それがこの世界で発生しないとは言い切れないだろう。
「まったく、考えることが多くて嫌になっちまうよ」
「確かにな。考えることといえば、グラスド様が黒い液体のことで話があったとか?」
「食事の前にちょっと聞いたよ」
この件についてはアーデルもよく分かっておらず、何もできていない。
話は簡単だ。
「魔族の王であるクリムドアなんじゃが、初めて会った時、苦しそうにしておったんじゃ。だが、地面からあふれ出た黒い液体に体が包まれると何事もなかったように襲ってきおった。あの時の液体に似ておるの」
時の守護者が出現したとき見えた黒い液体。グラスドはそれを見たとき、その時のことを思い出したようで、何か関係があるのかと思ったらしい。
そんなことを言われてもアーデルは分からない。黒い液体を見たのは初めてだったのだ。時の守護者であることは間違いないが、そもそも時の守護者がどういう存在なのか、それはアーデルにも上手く説明できない。歴史を正すもの、という程度だ。
そしてその姿は毎回違う。
アーデルが最初に見た時の守護者は骸骨。これは神殿の外からやってきた。
二回目はパペットの工房。作りかけのゴーレムに憑依して襲ってきた。
三回目は王城。騎士たちの武具が合体したもので、コンスタンツの高熱で焼かれた後はマグマのような形のまま襲ってきた。
そして今回は空間が開き、黒い液体が流れだしてきた。それが禍々しい姿のパペットになる。
正直なところ法則性を感じず、グラスドの言葉を聞いても「だから何だ」としか言えない。可能性があるなら、魔族の王であったクリムドアも時の守護者に乗っ取られたのではないか、というくらいだ。
そしてその可能性があったとしても「だから何だ」としか言えない。
魔族の王であるクリムドアが時の守護者に乗っ取られた。それはもう過去のこと。時渡りの魔法を使うことでそれを防ぐことが可能かもしれないが、今のアーデルにそれをする必要性を感じないし、できない。
ただ、今度、元創造神であるキュリアスに聞いてみようとは思ったが。
「アーデル?」
「ああ、すまないね。ちょっと考え事をしちまったよ。一応、黒い液体のことは聞いたけど、よく分からないことが多いからこれは考えなくてもいいんじゃないかね」
「そうか。考えることが減るのは悪いことじゃないな」
「そうだね……ああ、そうそう。村に帰ってしばらくしたら今度はエルフの国へ行きたいんだけど、準備をお願いしてもいいかい?」
「エルフの国か。理由を聞いても?」
「もちろん魔道具の回収さ。とはいっても今回はそれは二の次だね。本命はリンエールに会って話がしたいんだ」
「四英雄の一人であるリンエール様か……その、フィーに事情は聞いている。自分自身のことを調べたいって意味なのか?」
「そうだね。村に帰って資料を読むのもその一つだ」
ブラッドは腕を組み、何もない皿を見つめる。そして意を決したようにアーデルを見た。
「世の中には知らなくていいこともあると思うんだが。少なくとも俺たちはアーデルが何者だろうと――」
「そんなこと気にしちゃいないよ。問題は世界を滅ぼそうとしていたばあさんが私を作ったってことさ。クリムには言ったけど、これから私がどうなるか分からない。何もないかもしれないけど、だからと言って何も知らないままではいられないさ」
「だから早く帰りたいってことか」
「時間を無駄にしている暇はないのさ。商人だって同じだろ?」
「それには同意するが……分かった。エルフの国へ行く件については任せろ。とはいっても、あそこは個人的なやり取りしかない国だ。ニ、三ヶ月は覚悟してくれ」
「もちろんさ。お金はいくらかかかってもいいから早めに頼むよ。私の金は全部使っちまってもいいからね」
「やる気が出る言葉を言ってくれる。だが、本当に全部使ったら商人の名折れだ。ほどほどに使わせてもらうよ。大船に乗ったつもりで、とまでは言えないがそこそこ頑丈な船に乗ったつもりでいてくれ」
「そこはもっと自信をもって言ってほしいね」
アーデルはそう言って笑い、ぶどうジュースを飲み干す。
ブラッドも酒が入った木製のコップを持ち、一気に飲み干した。