閑話:神を名乗る男
「やあ、いらっしゃい」
「……アンタが神なのかい?」
「そうだね。まあ、昔のことだけど」
アーデルは目の前にいる男へ呆れた視線を向ける。貴族を思わせるような優雅さで椅子座っているが、自分を神と名乗る相手に警戒しない方がおかしい。
ここは神々が住むという山の山頂。
特に用があったわけではない。アーデルが残した魔道具の回収中、ここに神がいるという話を耳にしてここまで来ただけのことだった。
ほんの数歩先すら見えないほどの吹雪、空気など存在しないのではないかとも思える息苦しい山を単に好奇心だけで向かったのだが、そこには神殿があり、中には男がいた。
本という本に囲まれた場所にいる男はどう考えても普通ではない。なにもかもが曖昧な感じがする場所にも関わらず、その男の存在感だけははっきりしている。むしろ男のためにこの場所があると言ってもいい。
神であろうとなかろうとアーデルは勝てないと思った。育ての親であるアーデル以上の強さをこの男から感じ、敵意を抱いただけで存在すら消されてしまうのではないかと思えるほどだ。
「そんなに怖がらないでくれないかな。僕は君に対して敵対することはないよ。なんせ友達だからね」
「……友達? アンタに会うのは初めてだし、名前も知らないよ」
「今の君はそうだろうね。僕の名前はキュリアスだ。これからよろしく頼むよ」
アーデルの胡散臭いものを見る視線がさらにひどくなる。
にもかかわらずキュリアスは儚げに微笑んでいた。
「アンタは私のことを知っているようだけど一応名乗って――」
「いや、いいよ。君のことはよく知っているからね」
「……胡散臭いね」
「魔道具を回収しているんだろう?」
その言葉にアーデルは驚く。
確かにその通りではあるが、それを誰かに言ったことはない。魔道具を貸していた相手にはもちろん言ったが、それに関係しない相手に言ったことはなかった。
魔道具を借りていた相手はアーデルを見ておびえたように魔道具を返した。もちろん返すのを渋る相手もいたが、いくつかの例外はありつつもほとんど回収しており、返さない厄介な相手は誰かに言うことはないだろう。
「なんでそれを知ってるんだい?」
「これでも元は神だ。それくらいのことは知っているよ。それに今の君とは違う君に色々と話を聞いたからね」
「よく分からないね、今の私じゃない私ってことかい?」
「そう。別の次元にいる君に君を助けるようにお願いされている。僕は友達としてそれを了承した」
アーデルの中でキュリアスの評価が落ちる。こんな場所にいる以上、それなりの力を持った相手なのだろうが言っていることが支離滅裂。これで相手の言葉を信じるなら、それは大馬鹿だ。
相手は自分のことを知ってはいるがなんらかの魔法を使えば分かることもあるだろう。アーデルはそう考えてここを去ることにした。相手が何者であろうと、自分のことをどれだけ知っていようとも関わりたくない。
気にはなる。魔道具の回収という仕事がなければ、男の妄想を聞いてやってもいいし、ここにある本を読みたいとも思えるが、今はそんなことをしている場合ではない。
「ああ、そうだったんだね。それじゃ私は帰るよ、邪魔したね」
「忙しいようだね。でも、ちょっと待って欲しい。いくつか頼みたいことがあるんだけどどうかな?」
「忙しいと分かっているのに頼みごとをするのかい?」
「僕はここから出れないからね。それにここは来訪者も多いんだ。そんなことよりもどうだろう? 助けてもらえないかな?」
「内容と報酬によるね」
キュリアスは微笑むと、亜空間から何かの卵を取り出した。
アーデルはその卵を見て目を細める。
両手で抱えるほど大きな卵ではあるが、問題はそこではない。そこから感じる魔力が明らかにおかしいのだ。
どす黒い魔力を神聖な魔力が包含している。この卵には二つの魂が宿っているとアーデルは思った。
「これは竜王の卵。後に竜たちを統べる女王がこの卵から生まれてくる。どこか人の目が触れない場所に置いてきてくれないかな?」
「竜王……? いや、その前にその卵はおかしいだろう。魔力が――魂が二つあるじゃないか」
「その通り。女王は生まれる前から体内に子を宿している。長い年月をかけてその浄化を行っているんだよ」
「浄化……?」
「汚れた魔力は魂を汚染する。それはたとえ生まれ変わっても続くだろう。その魂を浄化するために竜王の力を借りたんだ。今の内から女王は体内で魂の浄化を行っているわけだね」
「へぇ。面白い話だね。話は分かったけど次は報酬の話だ。アンタは何をくれるんだい?」
「君が望む未来をあげよう」
「……なんだって?」
「長い年月をかけて浄化された魂はいつか君の所へやってくるだろう。その魂は君が求めてやまない未来をくれるはずだ。それが報酬だね」
アーデルはあっけにとられていたが、すぐに鼻で笑った。
「私が望む未来だって? そんなことは自分で叶えるさ」
「それがアーデルの汚名を返上するようなことでも?」
アーデルは何も言わずにキュリアスを睨む。
今のアーデルの評価、それは酷いものだ。一部では敬意を払っている人もいるが、そのほとんどは新たな人類の脅威だったとして、亡くなった今でも死の森の魔女と呼ぶ者が多い。
さらには魔族の王を倒した四英雄の一人だったにも関わらず、英雄たちの名前から抹消されつつある。
「君の行動も相まってアーデルの評価はこれから先もっと悪くなる。最後には滅亡の魔女と呼ばれ、恐怖の代名詞になるほどだね」
「ふざけんじゃないよ!」
アーデルから普通の人間なら致死量となるほどの魔力が放出される。
だが、その魔力はキュリアスの周囲を避けるように動き、キュリアスは優雅に座ったままだ。
「怒らせてしまったようだね。どうか怒りを鎮めてくれないか?」
アーデルは暴れたい衝動を深呼吸で抑え込む。アーデルに対する不当な評価は目の前にいる男がそうしたわけじゃないと思い、少しづつ怒りを収めようと努力した。
ふと思い出して、聖女オフィーリアから戦利品として奪ったクッキーを頬張り、雑にかみ砕いた。
オフィーリアは会うたびに喧嘩を吹っかけてくるやっかいな相手だが、お菓子作りが好きなのかいつもクッキーを持ち歩いており、勝負の後はいつも奪い取っている。いまではアーデルが好きな食べ物の一つだ。
「聖女のクッキーだね? そのクッキーをいつでも食べられるようになる未来を報酬にすると言った方がよかったかな?」
「……なんでもお見通しってわけかい。はっきり言って気持ち悪いよ」
「それは申し訳ない。でも、信用してもらうにはそう言うしかないと思ってね」
ため息をついたアーデルは近くにあった椅子に座る。
「まずは全部話しな。信じるかどうかはともかく、聞いてやるからさ。でも、言葉には気をつけなよ」
「ありがとう。でも、悪いけど全部は話せない。腐っても神でね、ここから外へ出ると世界への影響が強く出てしまって一気に崩壊が進むこともある。それと同様に僕の言葉は世界に大きな影響を与えてしまう」
「面倒くさいね」
「そうだね。本来、神は造った世界に干渉しない。世界を造る力は世界を破壊する力と同じだからね。だからこそ僕は神の力の大半を捨てて次元が交わるこの図書館に身を置いている。ここなら僕がいてもギリギリ影響がないというところかな」
「アンタが神かどうかは知らないが、そんな事情なんか知ったことじゃないよ。私に何かしてほしいんだろう? なら回りくどいことを言わずにやってほしいことを言いな。嘘か本当かはともかく、報酬がばあさんの名誉だって言うなら受けないわけにはいかないからね」
「なら遠慮なく言わせてもらおうかな。まずはこの竜王の卵をどこか安全な無人島にでも置いてきて欲しい。それが未来で君を助けるだろうからね」
「いまいち分からないけどまあいいよ。他にもあるのかい?」
「亜神たちを倒してほしい」
「亜神……?」
「ダンジョンを支配していて神になろうとしている者たち。善の存在もいるけど、悪の存在の方が多いね。そして亜神の一体がすべての次元で問題を起こしている」
「問題?」
「すべての世界を崩壊させて魔力を奪い、自分の世界を造るつもりなのだよ。すでにいくつかの世界は崩壊していてね、そのせいでその亜神は神に近い魔力を持っている。気づいたときにはもう手遅れでね、僕たちが介入することはできなくなった」
「間抜けだね」
キュリアスは微笑む。そして頷いた。
「そう。間抜けだ。昔の君もそう言ったよ」
「そうかい。でも、ダンジョンにいるっていうなら一個ずつ潰せってことかい? そんな手間のかかることはしたくないんだけどね」
「そこまではしなくていいよ。君の未来に影響しそうな奴だけ倒せばいい。君にはその亜伸を見つけるための魔法を教えよう。それと元凶の亜神、その力の一端を見せておこうか」
「見せる? どうやってさ?」
「この卵を持ってくれないか?」
急に渡された卵をアーデルはそのまま素直に受け取った。ずっしりと重い卵だが、命が存在するかのように温かい。
「いきなり渡すんじゃないよ、落としたら――」
どうするんだい、というつもりだったが、アーデルは声を発することができなかった。
この空間に耳が痛くなるほどの甲高い音が響くと、時が止まったかのようにあらゆる音が無くなった。もともと静かな場所ではあるが、自分が動いたときに衣服の擦れた音すらない。
「来るよ」
キュリアスはそう言うと、直後に天井に近い場所に黒い渦が作られ、そこから何かの塊が床に落ちた。
アーデルは椅子から立ち上がり警戒する。
黒い液状の塊は生きているかのようにうごめき、徐々に人間の形を作り始めたのだ。そこから感じるどす黒い魔力はアーデルが本気で戦っても勝てるかどうか怪しい。
そんな状況ではあるが、キュリアスはいまだに椅子に座っている。
「彼は亜神の分身体のようなものだね。君が卵に触ったことで新たな次元が生まれることを察知したのだろう。だから刺客を送り込んだわけだ」
「次元が生まれる……?」
「彼が望まない新たな世界が生まれそうになっている。だからそうなる前に君、もしくは卵を排除しようというのだろうね」
余計なことをしやがって。アーデルはそう思いながらも卵を亜空間に入れて守ろうとした。
それを見たキュリアスは満足そうに頷いた。
「やっぱり君は優しいね」
「うるさいよ。そんなことよりあれをどうすんだい? 明らかに魔力が――」
「ここは僕の聖域だ。君以外を長居させるつもりはないよ」
キュリアスは右の手のひらを人の形をした黒い液状の物体に向ける。
そして握りこんだ。
その動きに合わせて黒い液状の物体は聞くだけで不快な声を発しながら潰れる。そして、その場所には何も残らなかった。
キュリアスは手のひらを両手でお互いに叩いて埃を落とすような仕草をすると驚いているアーデルの方を見て微笑んだ。
「あれは別の次元で時の守護者と名乗っているんだ。歴史を守る番人だとね。まあ、本人がそう言ったわけじゃないが」
「あ、ああ、そうなのかい?」
驚いているアーデルは何かを考えることもできず、適当に合わせる。
「だが、それは全くの嘘だ。真の歴史を捻じ曲げたのは彼の方。世界を滅亡に導いているのだからね」
「真の歴史……」
「彼を倒すということはね、歴史を元に戻すということだ。だから君が本物の時の守護者となって歴史を戻してほしい。それを頼みたいんだけどどうかな?」
キュリアスはそう言って儚げに微笑んだ。