並行世界
アーデルは目の前にいる男のことを凝視した。
銀色の髪が肩にかかるほどの長さ、女性と言ってもいい中性的な顔立ち、体の線は細く健康なのか病弱なのか分からない。風景の一部に溶け込んでいるような印象があるのに存在感がある。
目の前にいる男からは微力な魔力しか感じられない。争う理由は今のところないが戦えば勝てる――そう思うのだが、なぜか確信が得られなかった。
知り合いと言える人はほとんどいないが、どんな人物もアーデルからすれば普通の人間だ。それと同じでどんなに強力な魔物だとしても普通の魔物としか認識していない。
唯一、時の守護者には危険だと感じたことはあったが、目の前の男はそれ以上に得体がしれない。すでに目の前の男が放つ異様な雰囲気に呑まれている。
そう思ったアーデルは何かまずいと思い言葉を放つ。
「私を知っているのかい? 私はアンタのことなんて知らないけどね」
「話の前に座ったらどうだい? そこの椅子を使ってくれていいよ」
男はすぐ近くにある椅子へ視線を向けた。
アーデルは警戒しながらもその椅子を動かし、男の前に置いて座った。
男は本を読むのを止めて机の上に置き、椅子の向きを変える。男は机を背中側にして背もたれに寄り掛かり、足を組んで両指を腹の上で組んだ。
「さっきの質問だが、もちろん君のことは知っているよ。今の君は僕を知らないだろうけどね」
「その前にアンタの名前は?」
「ああ、そうだね。僕の名前はキュリアス。このやり取りも何度目かな」
男――キュリアスはまた儚げに笑う。
吹けば飛んでしまいそうな感じではあるのに、なにか強大な力を目の前にしている違和感。アーデルとしてはこの違和感が微妙にやりにくい。
「なら次の質問だ。今の私が知らないってなんだい? それにやり取りも何度目とは?」
「言葉通りの意味……とはいっても分かっていないだろうから説明しようか。君は以前もここに来たことがある。別の次元の君と言った方がいいかな」
「別の次元……?」
「君は時渡りを経験しただろう?」
アーデルの呼吸が一瞬止まる。
うすうす感じていたことではあるが、キュリアスはアーデルの状況を知っている。もしかすると自分以上に自分のことを知っているのではないかとも思えた。
キュリアスは足を組みなおしてアーデルに視線を向ける。
「時渡りの魔法――時間を渡る魔法と思っているようだけど、それは少し認識が違うね」
「認識が違う?」
「クリムドア君が使った魔法は次元を渡る魔法でもある。よく似た並行世界の指定した時間に移動する魔法だよ。自分がいた次元に移動することもできるが、彼が使った魔法ははそういうものではないね」
「……詳しくは知らないけど、並行世界とかそういうことかい?」
「飲み込みが早いね。その認識で間違いない。つまり、僕は並行世界の君に会ったことがある」
「別の世界の私ってことか……それを信じろと?」
いきなりそんなことを言われて信じられるわけがない。だが、相手は時渡りの魔法やクリムドアのことを知っている。だからと言って嘘をつかない理由にはならないが、これで嘘なら相当な詐欺師だ。
「信じる、信じないは君の自由だよ。君と私は友達だが、今の君に信じろと言っても難しいだろうからね」
「友達だって?」
「そうだね。いつかここへ来る君を助けてほしいと頼まれたことがある。そして僕は友達として了承した」
そう言って微笑むキュリアス。そこからは何の邪念も感じられない。とはいえ、それを信じろというのも無理な話だ。
アーデルは大きく息を吐くと、キュリアスを見つめた。
「アンタは何者だい? クリムが建てた神殿にいるし、別の世界の私と友達だという。いきなりそんなことを言われて納得できるわけがない」
「だろうね。なら教えておこうか。僕はこの世界の創造神の一人だ。神殿は君の注意をひけると思ってこの造形にしたよ」
アーデルの思考が止まる。
この世界の創造神。クリムドアの話ではこの世界を作った本物の神が三柱いるという。そのうち一柱は女神サリファ。残りの二柱のうちの一柱だと言っているのだ。
「アンタ、自分は神だって言ってんのかい?」
「それ以外の自己紹介はできないかな。とはいっても元だよ。今は創造神でもないし、昔みたいな力はないね。ここで本を読んでいるだけの男さ」
「……普通なら笑い飛ばすんだけどね……」
普通なら冗談か何か、もしくは本気で言っていても笑い飛ばす。だが、得体のしれない何かをキュリアスから感じているアーデルは嘘だと笑うことができない。
キュリアスの方はゆったりとした感じで微笑んだ。
「まあ、神かどうかは別として、あらゆる次元が混在するこの場所でしか生きられない可哀そうな男だと思ってくれればいいよ」
「ここから出られないという話なのかい?」
「そうだね。腐っても神だ。僕が外へ出たら世界に大きな影響が出るだろう。だから君には期待しているんだよ」
「期待? 私に何の期待を?」
「次元の崩壊を食い止めてくれると期待しているね」
アーデルは眉をひそめる。
「次元の崩壊って、世界の滅亡のことかい?」
「その通り。でも、君がいる次元だけじゃない。他の並行世界も滅亡へと向かっている。それを止めて欲しいかな」
「いきなり大きなことを言うんじゃないよ。そんなことできるわけが――」
「できるよ。君にならできる。そもそもこれは君が言い出したことだ。だからこそ、僕は力を貸すと約束した」
「……別の世界の私が言ったことなんか今の私に関係ないだろう?」
「そうだね。でも、体は違っても魂は同じだ」
「魂……?」
「たとえ並行世界の君だろうと魂は同じ。生まれや環境が変われば結果も変わるものさ。それに……」
キュリアスはそこで言葉を止める。そしてアーデルを見つめた。慈愛なのか尊敬なのか、優し気な視線だが、それ以上は口にしていない。
「それに、なんだい?」
アーデルがそう促すと、キュリアスは口を開いた。
「それに……君は一度失敗したが、また僕の前に現れた。今の君が何と言おうと君は世界を滅亡から救おうとするはずだよ」
「なんだって?」
「クリムドア君がいた次元。今から二千年後に滅亡が決まった世界で君はアーデルが残した魔道具の回収を諦めた。いや、諦めたというよりも、アーデルの意思に気付いて、それを許容したんだろう」
「ばあさんの意思?」
「アーデルの魔道具は世界を滅ぼす。そうなるようにアーデルは魔道具を作り、世界中にばらまいた。君はそれに気付き回収を止めた」
「馬鹿言うんじゃないよ! ばあさんが世界を滅ぼすために魔道具を作ったって言うのかい!」
自分のことを言われるならまだしも育ての親でもあるアーデルのことを言われて黙っているわけがない。アーデルの体から大量の魔力があふれ出し周囲を覆う。
だが、キュリアスの周囲にその魔力は届かず、ダメージを受けた様子もなかった。
その状況を認識してもアーデルは止まらない。神だと名乗る男を睨みつけた。
「取り消しな。ばあさんは自分から魔の森へ行った。世間的には追放された形だったけどね、それを恨んじゃいなかった。ウォルスに迷惑をかけたくないと思って自分から身を引いた優しい人だったんだよ。そんなばあさんが――」
「生まれや環境が変われば結果も変わる」
「……あぁ?」
「君が存在しない次元がある」
「私が存在しない……?」
「その次元のアーデルは自らを滅亡の魔女と名乗り、魔道具に頼らずたった一人で世界を滅亡させた。君が未来で見た状況とは比べ物にならないほどひどいものだったよ。命という命がすべて刈り取られてしまったからね」
「ばあさんがそんなことするわけ――」
「そうだ。君がいる次元のアーデルはそんなことをしない。最終的に世界は滅亡してしまうが、アーデルが自ら滅亡の魔女を名乗ることはない」
「なんだって……?」
「アーデルは君と過ごすことで心を取り戻せたのだろう。だが、君と出会う前、闇に心が染まりかけていたアーデルは魔道具をばらまいてしまった。あとから対策用の魔道具も世界中にばらまいたが遅かったようだね」
「……そんな話、信じられるか……」
アーデルの言葉は徐々に小さくなる。僅かだが可能性があると思ってしまったからだ。
「僕の言葉を信じる必要はないよ。それはこれから君が知っていくことになるだろう。そしていつか君は自分自身の秘密を知ることになる」
「私自身の秘密……?」
「君が魔道具の回収を諦めた理由はそれも影響している。この次元ではどうなるか分からないが、全てを知ったらまたここへ来るといい。さて、話はここまでにしようか。今の君には心を許せる親友たちがいるだろう? その子達を心配をさせてはいけないよ」
キュリアスはそう言ってアーデルに微笑みかけるのだった。