船旅と獣人
港を出て三日目、航海も半分を過ぎたところだが、船は何の問題もなく海を進んでいる。
現在の気候は穏やかで、優雅な船旅と言ってもいいほどだ。
昨日は嵐と言ってもいいほどではあったが、アーデルが船を囲むように結界を張って事なきを得た。
五十人近い船員達の中には人生の大半を海の上で過ごしているほどのベテラン船乗りがいるのだが、アーデルがやったことは長い人生の中でも初めてだったようで、相当な騒ぎとなっていた。
ブラッドはその魔法をうまく使ってアーデルがいなくとも航海を安全にできないかと考えている。
さすがに巨大な船を囲むほどの結界は魔力が多いアーデルにしかできないが、それで諦めるようなブラッドではない。魔道具化して、二、三日がかりで魔力を込めれば何とかなるのでは、とブラッドはアーデルに相談している。
船室で椅子に座っているアーデルは、オフィーリアのクッキーを食べてから腕を組み、背もたれに重心をかけるようにして天井を見た。
数秒そうしてから噛んでいたクッキーを飲み込み、ブラッドの方を見て首を横に振る。
「できなくはないけど、結構な魔力を注ぐことになるから魔力強度が高いものを使わないとすぐに壊れちまうよ。それにかなり巨大なものになるだろうね」
「小型化はできないのか?」
「そういうのはばあさんが上手かったんだが私はそこまでじゃないね。私がやるならアダマンタイト製の巨大な置物を使うしかないだろう。たぶん、この船のメインマストくらいの大きさは必要だと思うよ。魔力効率を上げるなら術式も複雑になるだろうしね」
「マストをそのまま魔道具化すれば――いや、アダマンタイト製じゃ重心が取れないか。それに重さで沈みそうだ」
「魔道具のもとになる物ならドワーフに頼んでみたらどうだい? 武具の鍛冶技術もそうだけど、そういうのはドワーフの得意分野だろう?」
「その手があったか。なら、すまないが、魔道具化するときの魔法陣を紙に書いてもらってもいいか? それを基本にして依頼をしておきたいんだが」
「それくらいなら構わないよ。何かしてた方がフィーたちの誘いを断りやすいしね」
アーデルがそう言って笑うと、ブラッドは苦笑する。
「フィーやコニーに付き合ってやればいいじゃないか」
「私が魚釣りをするように見えるのかい? 魚が欲しければ結界を張って海に飛び込んでくるよ」
「結界を張ったまま潜水できるというのもすごいな……それも魔道具化できるか?」
「できなくはないが結界ごと巨大な魚の魔物に食われるからやめときな。魚の魔物は好戦的だから私だってあまり海には入りたくないんだ」
「海の魔物の素材も高く売れるのだがな。言っておくが昨日、一昨日とアーデルが捕まえてきた巨大魚だけで結構な金になるぞ」
「魚は昨日、フィーが料理に使ったじゃないか」
「骨とかも売れるんだ。もちろん肉の方も売れるが、そっちは全部料理になってしまったからな。あんな高級食材の料理なんて王族や貴族がたまに食べるくらいなんだぞ?」
「へぇ、それほどかい。確かに美味かったけどね」
それを思い出して、アーデルの頬が少し緩む。
アーデルは魚を焼く程度の食べ方しか知らないが、オフィーリアは焼く以外にも色々と調理方法を知っており、昨日の夜はかなり豪勢な食事だったと言える。
アーデルの好みは魚介のスープで、珍しくお代わりをするほどだった。そしてクリムドアは仰向けに寝ないとダメなほどお腹が膨れ上がっていた。
そのせいもあって、今日は朝からオフィーリアとコンスタンツ、そしてパペットを巻き込んで魚釣りをしているところだ。
「獣人たちも喜んでいたぞ」
「そりゃよかった。でも、なんでコニーはアイツらを雇うことにしたんだろうね。あれじゃ押し付けられたようなものじゃないか」
「コニーはああいう人たちを放っておけないんだよ。貴族としてはどうかと思うが」
「まだまだ領地経営は苦しいだろうにね」
アーデルはそう言ってから紅茶を飲み、息を吐いた。
この船には多くの獣人たちが乗っている。それは全部コンスタンツが雇った形だ。
それだけなら別に問題はない。力仕事を得意とする獣人たちを雇う者は多い。荷物運びや鉱山などで働く獣人は世界中にいる。
ただ、コンスタンツが雇った獣人たちは元傭兵団の者たちだ。王城で宰相に化けた魔族が雇い入れ、のちに裏切る予定だった獣人たち。それをコンスタンツが雇った。
事の起こりは出発前日の食堂。
英気を養うための夕食会だったが、そこへアルバッハが現れた。
それだけでも驚いたのだが、アルバッハは困り顔でアーデル、そしてコンスタンツに話しかける。
拘束している獣人の傭兵団をどうにかしたいとのことだった。
あの事件以降、玉座の間にいた獣人のリーダーや傭兵団を牢屋で拘束していた。それには当然お金がかかる。今、アルデガロー王国は余計なお金を使うことは許されない。
宰相に化けていた魔族に関しては入念に調査をしている段階で、さらには魔国へ抗議も行っている。だが、獣人たちは単に使われていただけで、宰相が魔族であることはリーダー以外知らなかった。
はいそうですかと言えるわけもないのだが、現状から考えて真実を詳しく調べる余裕がなく、リーダー以外は無罪放免でいいという話になった。
ただ、獣人の傭兵団を他国へ放り出すわけにも行かない。かといって国内で盗賊まがいなことをされても困る。
そこで白羽の矢が立ったのがコンスタンツが治める魔の森だ。
あそこで魔物を狩らせて国のためにお金を稼がせるという話になったらしく、それをアルバッハが打診に来たのだ。
それを聞いたコンスタンツは最初断った。
獣人が嫌だとかそういう話ではなく、獣人たちの技量から考えて魔の森は危険すぎるからだ。それにこれからドワーフの国へ行くのに、百人近い獣人を自分が不在の領地へ送りたくないというのもあった。
「ドワーフの国へ一緒に行くなら護衛として雇って差し上げますわ!」
コンスタンツは食堂でそう宣言したのだ。
アルバッハは言質を取ったと言わんばかりにすぐさま行動、翌日には百人近い獣人たちが港にいたという状況になる。
国王やアルバッハも申し訳ない気持ちが強かったのか、そこそこのお金と大量の食料をコンスタンツに渡した。
受け取ったコンスタンツは「これはアーデルさんのものですわ!」とそれを丸ごとアーデルに渡し、現在に至る。
アーデルはそれを思い出しながら、また紅茶を一口飲んだ。
ブラッドも同じように紅茶を飲んでから口を開く。
「コニーのことだが――」
「なんだい?」
「未来を考えてのことじゃないか?」
「未来?」
「水の精霊やゴーレムのおかげで以前よりも村は安全にはなったが、魔の森はいまだに恐れられている。冒険者は多く来るだろうが、永住したいとは思わないだろう。だが、領民がいなければ領地経営は成り立たない。戦闘力がある獣人たちを受け入れて、さらには住まわせようと考えているのではないかな」
「上手くいくかね?」
「それは分からんが、今のうちから獣人たちと友好的な関係になるのは悪くないと思うぞ。アーデルが魔道具の回収を失敗した世界ではアルデガロー王国は滅び、その後、獣人たちが国を作ったんだろう? それが新しい戦争を引き起こしたという話も聞いている。その予防なのかもしれないな」
「そういえばクリムがそんなことを言ってたね。でも、予防って獣人の国を作らせないってことかい?」
「どう考えているかは分からないが、何の考えもなく雇うとは思えないな」
「……本当に?」
「……何も考えずに雇い入れたような気もしている」
アーデルは頷いた。
何かを企んで雇ったわけではないが、コンスタンツは何も考えずに雇った可能性は高い。
いい方向に転んでくれればいいなと、アーデルもブラッドも思うのだった。