閑話:怖い夢
小雨に煙る夜の王都をアーデルは結界を張った状態で歩いている。
戦争は終わった。
アルデガロー王国は隣接する二つの国に成す術もなく敗北した。英雄であるウォルスだけが最期まで善戦したが、寄る年波には勝てず、さらには持病が戦闘中に悪化したことで致命的な傷を負った。
捕虜になることはなかったが、その後のウォルスを見たものはなく、誰かが抱えて飛んで行ったという話があるだけだ。
前線は崩壊、また一部の貴族や雇っていた獣人の傭兵が裏切ったため、それ以降はほとんど戦いにならず、王都のすぐ手前まで侵攻された。
明日にでも王都は陥落する。城を守るべき兵も、守るべき王族や貴族もいない。すでに逃げ出してるからだ。
そうなる前にアーデルにはウォルスに会おうと考えた。
会うつもりはなかったが、たまたま情報が耳に入ったのだ。
(ここだね)
王都にあるウォルスの屋敷。
話によればここに傷を負ったウォルスが運び込まれたという。この国の宮廷魔術師が戦場から運んだとのことだった。
それが正確な情報なのかは分からない。ただ、いないならいないでも構わない。それならば単に縁がなかったというだけの話。
アーデルは少しだけ屋敷を見上げてから躊躇なく扉を開けて中へと足を踏み入れた。
質素を通り越して何もないエントランス、ほこりくさい場所にはいつ手入れされたのか分からない枯れた花が花瓶にささっているだけ。一応壁には明かりとなるロウソク型の魔道具があるが、いくつかは魔力切れなのか消えており薄暗い。
「誰です?」
エントランス中央にある階段、それが二手に分かれてから二階で合流している場所に赤いドレスを着た女性がいた。
薄暗い状態でも分かる金髪の縦ロール。手入れが十分とは言えないが、それでも平民よりは綺麗にされている。どう見ても貴族のお嬢様だがこんな場所にただのお嬢様がいるわけがない。
王族も貴族もすでに王都を脱出している。どこに逃げたのかは不明だが、アーデルにとってはどうでもいいこと。問題は目の前にいる貴族らしき女性だけだ。
「ここにウォルスがいるって聞いたんだが本当かい?」
そう聞いた瞬間、赤いドレスの女性は魔法陣を構築し、炎の魔法を放つ。
常人であれば燃え尽きてしまうほどの威力。
だが、アーデルの結界を破壊するほどではない。
「やりますわね。ですが、礼儀がなっておりません。戦う前に名を名乗りなさい!」
「礼儀も何もアンタが先に攻撃したんじゃないか……名乗るほどのもんじゃないよ。ウォルスがいるなら会わせてくれないか?」
「名前を言わないなら会わせませんわ!」
「少なくともここにいるってことだね」
「……誘導尋問とはなかなかやりますわね……!」
「アンタ、馬鹿だろう? いいからいる場所を教えな。私がお行儀良くしているうちに案内した方がいいと思うけどね」
赤いドレスの女は扇子を取り出してから広げ、口元を隠した。
「貴方が強いのは分かります。おそらく私でも敵わないでしょう。ですが!」
今度は扇子を閉じて、アーデルのほうへ向ける。
「王国最後の宮廷魔術師であるこのコンスタンツがいる限り、無法は許しませんわ!」
「宮廷魔術師……? アンタが?」
「なったのは最近ですわ。前任者は……色々あって辞職しました。なので宮廷魔術師の職を私が引き継ぎましたわ!」
「へぇ。で、その宮廷魔術師様は城じゃなくてここにいていいのかい?」
「城には守るべき方がいませんので――また誘導尋問ですわね……!」
「アンタと話してると疲れるよ。で、アンタは逃げないのかい? 私は隣国の奴らじゃないからどこに行こうと気にしないよ。むしろどっかに行ってほしいね」
「そうもいきませんわ。私はこの国の貴族でもあります。領地を持たない木っ端貴族ではありますが、この国の住民を守る使命があります。戦いに勝てるなんて思っておりませんが、せめて住民の無事を相手に了承させなくては。そのためならこの命、投げ出しても構いませんわ!」
「馬鹿だとは思うが立派だよ。だが、死んじまったら終わりだ。たとえどんな状況でも醜く足掻くべきだとは思うけどね」
「どこの誰だか知りませんが、それもまた素晴らしい行為だと思います。覚えておきますわ――いいでしょう、ウォルス様に会わせます」
「いいのかい?」
「悪い人ではないと分かったので構いません。ですが、ウォルス様はここ数日眠ったままです。おそらくもう目を覚ますことはないでしょう」
「……それならそれで構わないさ」
「ならついてきなさい」
コンスタンツはそういうと、すぐに歩きだした。アーデルは追いかけ、すぐ後ろを歩く。
手入れがあまりされていない長い廊下を歩きながらアーデルは口を開いた。
「ここにはアンタとウォルスしかいないのかい?」
「……そうですわね。最近までもう二人いたのですがどちらも亡くなりましたわ。師匠とウォルス様の世話をする人がいましたが、砦で傷を負いまして」
「……そうかい。悪いことを聞いたね」
「いえ、気にすることはありませんわ……ここです」
コンスタンツは扉のノブを回して開ける。そして中へと足を踏み入れた。アーデルもそれに続く。
寝室なのだろうが、ここもまた質素を通り越して何もない。ベッドと小さなテーブルがあるだけだ。
ベッドには老人が横たわっている。
アーデルはベッドに近寄って眠っている老人を見た。
「こいつがウォルスかい?」
「知ってて来たのではないのですか?」
「名前しか知らないんだよ。会うのは初めてだ」
「間違いなくウォルス様ですわ。残念ながら長くないでしょう。せめて安らかにその生を終わらせてほしかったのですが」
アーデルはその言葉には特に反応せず、ウォルスの顔を眺める。
眠ったまま眉間にしわを寄せている。息はしているがかなり小さい。寝間着を着ているが、胸元や手には包帯が巻かれており、血がにじんでいる部分もある。
しばらく見つめていたが、アーデルは特に何の感情も湧かなかった。憎しみや嫌悪、もちろん同情もない。
(こんな状態のウォルスを殺したところで気は晴れないね)
「英雄と呼ばれていたくせにつまらない最期を迎えるみたいだね。でも、それがアンタへの罰さ。ばあさんを裏切った報いだと思って苦しみな」
「貴方、一体……?」
コンスタンツが不思議そうにアーデルの顔を覗く。
「それじゃ用はすんだから――」
「アー、デル、か……?」
ウォルスの口からそんな言葉が漏れる。
驚いたアーデルはウォルスへ視線を向けた。
目は閉じているが、震えている右手をアーデルの方へ伸ばしている。
「私はアーデルじゃ――」
ないと言おうとしたところで、ウォルスが先に言葉を発した。
「怖い、夢を、見たよ……」
「――なんだって?」
「君を、魔の森へ、追いやって、しまう、夢だ」
アーデルは眉間にしわを寄せる。
「一体何を……?」
不思議に思っているアーデルにコンスタンツが耳打ちした。
「どうやら怪我のせいで意識が混濁しているようですわね。今、ウォルス様は夢の中にいるのかもしれません。貴方を魔女のアーデル様だと勘違いしているようですし。でも、なぜ急に目覚めたのでしょう……?」
「ハッ、夢だなんてずいぶんと都合がいいね。それは――」
現実だと言おうとしたが、そんなことをして何になるとアーデルは考えを改める。
そもそも魔女であるアーデルを魔の森へ追放したことを怖い夢と言った。
逆に考えれば追放したくなかったとも取れる。
「……夢なのに後悔しているのかい?」
「ずっと、君と、一緒に、いると、誓った、のに、なんで、僕は、君の、手を、放した、のか……」
それを聞いたアーデルは逡巡してからウォルスの手を両手で握った。
「それは夢じゃないか。アンタは手を放してないよ」
「ああ、よかった……いつか、村の、教会で、式を、あげよう。君の、好きな、食べ物を、たくさん、用意、して……」
「そうだね。でも、アンタは疲れてる。まずはゆっくり寝なよ。これからはずっと一緒なんだから」
「そう、だね、ずっと、一緒だ……」
悲痛そうなウォルスの顔が安らかな顔に変わっていく。
「君の、魔力は、いつ、見ても、綺麗、だ。光、輝いて、暖かい、まるで、女神のよう――」
そこまで言うと、ウォルスの手から力が抜けた。
アーデルはしばらくそうしていたが、ウォルスの手をそっとシーツの中へと戻す。その後、腕を組んで考え込んでいたが、ゆっくりとコンスタンツの方を見た。
「ウォルスの遺体を預かってもいいかい?」
「……どうするんですの?」
「ばあさんの隣に埋めてやろうかと思ってね。魔の森の奥地だがこんな場所よりは穏やかに眠れるはずさ。ばあさんだってウォルスのことを悪く言ってなかったし問題はないだろうからね」
その言葉にコンスタンツはハッとした表情を見せる。
「まさか貴方、巷で有名なアーデル様の弟子……?」
「誰だっていいだろ。いいのかい、ダメなのかい?」
「……構いませんわ」
「ありがとうよ」
「礼は不要ですわ。むしろ私が礼を言うほうです。最後の最後でウォルス様に安らかな眠りを与えてくださって感謝してますわ」
コンスタンツはそう言って頭を下げる。
「頭を上げな。それじゃもう行くよ……アンタはどうするんだい?」
「さっき言った通りですわ。私は死ぬまでこの国の貴族としての使命を全うします。ウォルス様が亡くなられたのならあとは国民を守らねばいけませんわ」
「最初から思ってたけど、アンタは馬鹿だね」
「たとえ馬鹿でも貴族です。それに宮廷魔術師でもあります。明日は城で隣国の皆さんを丁重に出迎えませんと。ちゃんと口上も考えましたので最高の宮廷魔術師だったと隣国に覚えてもらいますわ!」
「なんでそうなるのか分からないけど、まあ頑張んな。少なくとも私はアンタのことを覚えておくよ。ええと、コンスタンツだっけ?」
「ええ。ですが、親しい人はコニーと呼んでくださいますわ。貴方はそちらで覚えておきなさい」
「注文が多いけど分かったよ……それじゃ、コニー、長生きしなよ」
「いつか貴方とはゆっくり魔法談義をしたいのでできるだけ長生きしますわ。約束ですわよ?」
「ああ、約束だ。そう言えばちゃんと名乗ってなかったね。私はアーデル、世界最高の魔女であるばあさんに名前を貰ったんだ。よかったら覚えて――」
「この国でその名前を忘れる人はいませんわ。では、アーデルさん、いつかまた」
「……そうだね、いつかまた会えるのを楽しみにしているよ」
アーデルはそう言ってからウォルスを担ぐ。そしてコンスタンツに少しだけ頭を下げてから屋敷を出て行った。
コンスタンツはそれを外で見送ってから、王城へと飛び立つのだった。