魔術師殺し
一秒にも満たない僅かな差、ほんの一瞬だがウォルスの剣がクリムドアに届く前に結界が張られた。
もともとウォルスに魔法を使おうとしていたことが功を奏したのだが、それでもギリギリ。ちょっとでも遅れていたらクリムドアは間違いなく斬られていた。
「アンタ、何すん――」
「小賢しい!」
アーデルの言葉をかき消すようにウォルスは剣を振るう。
魔法使い以外には剣をただ闇雲に振るっただけに見えただろう。だが、魔法使いの目には違う。
(魔力を斬ったのかい!?)
アーデルが驚くのも無理はない。ウォルスは魔力の流れを断ち切った。そんなことができる人間が魔女アーデルと自分以外にいるとは思っていなかったため、その衝撃はかなりのものだ。
魔法陣へ魔力を注入する、魔法はその時初めて現象を起こす。そしてその魔力はアーデルから魔法陣へ注入されている。
王都にいた獣人の戦士が持っていた結界を破壊する剣、あれは魔法で作られた結界そのものを破壊する。だが、ウォルスは魔力の流れを断ち切ることで結界を破壊した。正確には無効化した。
同じ魔法使いならまだわかる。アーデルの「魔壊」、原理は多少異なるが似たようなところがあるからだ。ただ、ウォルスはそれを剣でやった。
特殊な剣であることは分かるが、そもそも魔力の流れを目で追えなければそんな芸当はできない。
アーデルはそこまで考えて思考を捨てる。今はそれどころではないのだ。
「クリム! 逃げな!」
クリムドアは頷くこともなくすぐにウォルスに背中を向けて飛んだ。
いとも簡単に結界を破壊する男を相手に長い時間耐えられるものではない。クリムドアは魔王ではないと言ったところで抜いた剣を戻すとも思えないほどの形相だ。
ならどうするかといえば逃げるしかない。
ウォルスは高齢で魔法使いではなく剣士。接近戦には強くとも距離を取ればなんとかなる。
……はずなのだが、ウォルスは高齢とは思えないほど――というよりも人間が動ける速度を遥か超えてクリムドアに接近した。そして剣を振り上げる。
「ぐっ!」
今度は結界ではなく念動の魔法でウォルスを拘束した。剣で魔力を断ち切れないようにすればいいと考えた結果だ。剣すら触れない状態にすればいい。
「押さえている間に早く!」
「無駄だ!」
ウォルスがそう叫ぶとアーデルの念動力を弾いた。ウォルスは自分の魔力を一気に放出することでアーデルの拘束を無理やり解いたのだ。
「アンタ、一体……」
アーデルは最大出力で念動の魔法を使った。本気を出せばどんな魔物でも、ましてや人間やエルフにも解かれない自信があったが、目の前の老人はいともたやすくアーデルの魔力を弾き飛ばす。しかも自分よりもはるかに強い魔力で。
魔力とは魂の力と言われているが、欲の力で増幅するという。希望、望み、欲求、それだけでなく悪い言い方をすれば欲望。より叶えたい欲を持つ者の魔力は普段よりも濃く強くなる。
ウォルスの魔力はアーデルの魔力を今この時点では超えているということだ。
魔法では勝てない。そう思ったアーデルはなんとかウォルスの気を引こうと口を開く。
「私は魔女アーデルの弟子だ! ばあさんの最期を知りたくないかい!?」
賭けではあったが、その言葉を聞いたウォルスは体を一瞬だけ体を揺らしてから止まった。そしてアーデルの方へ勢いよく顔を向ける。
「アーデルの弟子……? 馬鹿な、何を言って――ぐっ」
ウォルスは口を押えながら膝をつく。薄暗いがその手には血がついていたのが見えた。
「ウォルス様!」
部屋の外にいたラトリナが駆けつけてウォルスの背中をさする。その後、咳き込むウォルスに肩を貸し、寝室の方へと連れて行こうとした。
「は、放してくれ、ま、魔王が――魔王が逃げてしまう……!」
「魔王などおりません。いたのは小さな竜。決して魔王などではありませんから」
「違う、あれは間違いなく魔王の魂……見間違えるわけが――ごはっ」
ウォルスは改めて血を吐く。
ラトリナはハンカチをウォルスの口元に当てゆっくりと寝室の方へ歩き出した。一瞬だけ鋭い視線をアーデルに向けてから寝室の扉を開けて中へと入っていった。
アーデルは立ちつくした状態だったがゆっくりと右手をあげ、手のひらを見つめる。そこには魔力の残滓が残っていたがすぐに消えた。
(あのままやっていたら負けていたのは私だね……)
戦ったわけではないし敗北したわけでもないが、あのままならどうなっていたかは分かる。ウォルスの体調や年齢に救われただけだ。
「アーデルさん!」
今度は部屋にオフィーリア達が入ってきた。
「だ、大丈夫ですか? すごく怒ってるって聞いたし、さっきは必死な形相のクリムさんとすれ違ったんですけど……?」
「ああ、大丈夫だよ。クリムはちょっと離れていた方がいいだろうね。パペット、クリムの保護と護衛をお願いできるかい?」
「分かりました。何やら大変そうなので無料でいいですよ」
パペットはすぐに部屋の外へ出て行った。
オフィーリアはまだ何か分かっておらず部屋を見渡す。
「ええと、何があったんです? アルバッハさんも放心気味ですし――ああ、でも、アーデルさんはウォルスさんとお茶でも飲んでいたんですか?」
「お茶? なんでだい?」
「テーブルにカップが二つあって紅茶が注がれていますから。香りからしてアーデルさんが気に入って飲んでるものですよね? 仲良く歓談してたのでは?」
「あれは私が気に入っているというか、ばあさんが好きで決まった時間によく飲んでた――」
アーデルはそこまで言ってから何かに気付いた表情になった。
生前の魔女アーデルもこれくらいの時間に紅茶を飲んでいた。そして同じようにカップを二つ用意しているのを見ている。
好きで二杯飲んでいたわけではなく、その場にはいなかった誰かと飲んでいたのではないかと思い始めた。
「色々と話を聞かないとダメっぽいね。そうだ、フィーは回復魔法を使えたね。ちょっとウォルスの奴を診てやってくれないかい? なんだか血を吐いたようだからさ。そっちの寝室に従者の人といるよ」
「血を吐くって……!」
オフィーリアは慌てた様子で寝室のドアノブをひねるが鍵がかかっていて開かないようだった。それでもあきらめないとばかりにドアを叩く。自分はサリファ教の信者だとか、聖女認定されたと言って説得していた。
「俺も薬を用意しよう。使えるものがあるかもしれん」
ブラッドもそう言ってオフィーリアと一緒に説得しているようだった。
残ったのはコンスタンツと放心しているアルバッハだけだ。
「一体何があったんですの? 師匠もなんだか驚いた顔のまま固まっていますし」
「……コンスタンツは魔力を斬れるかい?」
「はぁ?」
コンスタンツは驚いたというよりは呆れた顔になった。
「できるわけありませんわ。そもそもどうやって斬るんです?」
「ウォルスの奴が斬ったんだよ。特殊な剣を使ったとは思うんだけど、それでも寸分狂いなく魔力の流れが一番弱いところを確実に斬った。あんなの初めて見たよ」
「ああ、噂には聞いていますわね。ウォルス様はその昔、魔術師殺しと言われていたとかないとか」
今度はアーデルが呆れ顔になった。
「そういうのは先に言っておくれよ……」
直後にラトリナがオフィーリアとブラッドだけ入室を許可するといい、またアーデルを睨んでから扉を閉めた。