憤怒
アーデル達は国の北西にある砦に到着した。
昼を少し過ぎた時間帯ではあるが、すでに激しい戦いがあったらしく、薬や魔法による治療を急げというような声でかなり騒がしい。
そんな状況なのでアーデル達に構おうとする人はおらず、砦の外でアルバッハが来るのを待っているところだった。
状況が状況だけにオフィーリアとパペット、そしてブラッドの三人は外にいる人達の治療をする行動を開始した。
アーデル、クリムドア、コンスタンツに関してはアルバッハがいつ来るか分からないため、門のところで待機している。
「激しいとは聞いていたけど予想以上だね」
「アーデルさんの情報が敵国にも伝わっているのでしょう。もともと共同で攻めていたのに数日でジーベイン王国は休戦状態になりましたから」
コンスタンツの言葉にアーデルは首を傾げる。
「その理由で戦いが激しくなるのかい?」
「カルナント王国は軍事国家です。アーデルさんに恐怖して休戦したなんてことになったら他国からいい笑いものですので、砦を落としてそのあとに休戦を結ぶつもりだったのだと思いますわ。アーデルさんがここに来るまでが勝負だったのでしょうが、我が国が耐えきったということでしょう」
「へぇ。面白い話だけど面倒なことだね」
「国とはそういうものですわ」
そこまで言ったところで巨大な門のすぐ横にある小さな門からアルバッハが出てきた。
「アーデル、それにクリム、よく来てくれた。ああ、コンスタンツもここまでご苦労だったな」
「なんだかずいぶんと慌てているみたいだけど、どうかしたのかい?」
ここまで急いでやってきたのか、アルバッハは息を切らしており、顔にうっすらと汗をかいている。そしてため息をついた。
「ラトリナ殿にも困ったものだ。怪我を理由にウォルス殿に会わせてもらえんので根回しに時間がかかっている。王の書簡があったとしてもウォルス殿の許可なくやってしまうのは問題になるので困っているところだ」
この砦を任せされている将軍やそれに近い者達は負傷して戦線を離脱している。代わりに責任者となったのがウォルスだ。そのウォルスも怪我を理由に会わせてもらえないという状況とのことだ。
それを仕切っているのがラトリナという女性。ウォルスもそのラトリナには全幅の信頼を寄せているようで、多くのことを任せているという。
「そのラトリナってのは誰だい?」
「ウォルス殿の世話役と言えばいいか。昔からウォルス殿に仕えている方だ」
アーデルが魔の森へ追放され、ウォルスは王都に残った。その後、聖騎士団の団長となったウォルスの身の回りの世話をすることになったのがラトリナの父とラトリナだった。
そしてラトリナの父が亡くなってからも、ラトリナはずっとウォルスに仕えている。
ウォルスの目が見えなくなってからは一層献身的に支えるようになった。お互いに独身であるため、一部からは夫婦のようだとも言われていたが、ウォルスもラトリナもお互いにそれを否定していたという。
今回、戦いに参戦したウォルスだが、ラトリナは最後の最後までやめるように懇願していたらしく、ウォルスが時間をかけて説得したという経緯がある。
「そのラトリナがウォルスに会わせないと言っているのかい?」
「そうだ。ただ、ウォルス殿はそこまで酷い怪我ではないと聞いている。おそらく、お主に会わせたくないのだろうな。そんな私情を挟んでほしくないのだが」
「私に? なんでだい? 殴る話はしていないんだろう?」
「もちろんだ。昔の話だがラトリナ様の魔女嫌いは有名でな。若いころはアーデルのせいでウォルス殿が苦しい思いをしていると愚痴を漏らすことが多かった。最近はそんなことも言わなくなったが」
「……なんだって?」
「その魔女の弟子がやってきたんだ。ウォルスに余計な気をつかわせたくないという話――」
「そんな話があるか!」
珍しいアーデルの感情的な声。その声にアルバッハだけでなく、クリムドアもコンスタンツも驚く。
「ウォルスの奴が苦しい思いをしているだって? 苦しい思いをしたのはばあさんだろうが!」
アーデルはそう言うと砦の門に向けて魔法陣を構築する。
「お、おい、アーデル! 待て!」
クリムドアが止めようとするが、すぐに魔法陣から魔法が放たれ、砦の巨大な門が吹き飛んだ。かろうじて原型はとどめているが、木の葉のように吹き飛んだ巨大な門は見るも無残な状態になっている。
周囲に人がいなかったのは幸いだが、すぐに砦は阿鼻叫喚の状況となった。敵が攻めてきたと勘違いしたのだ。
そんなことは関係ないとアーデルは目を吊り上げてアルバッハを見る。
「どこだい?」
「な、なに?」
「ウォルスのいる場所はどこだって聞いてんだよ」
「い、怒りを鎮めてくれ。ウォルス殿がそう言っているのではなく、ラトリナ殿がそう言っていたという話で――」
「ウォルスの奴はそれを黙って聞いてたんだろう? なら同罪さ。いいから教えな。それともこの砦ごと破壊しちまっていいのかい? 私にはね、この国や世界の滅亡なんかよりも大事なことがあるんだよ」
「ま、待て。頼むから落ち着いてくれ」
「落ち着いてるさ。どんな魔法で殺してやるか考えられるくらいには冷静だよ。教えないなら勝手にやらせてもらうが構わないね?」
「わ、分かった。案内する。こっちだ――コンスタンツ!」
「は、はい!?」
「オフィーリア達を連れてきてくれ――もう儂の手には負えん」
アーデルに聞こえないように最後は小声だったが、コンスタンツはすぐに頷いてオフィーリア達がいるほうへ飛んだ。
その後、アルバッハは歩き出し、アーデルとクリムドアはそれに続いた。
「アーデル……」
クリムドアの呼びかけにが聞こえなかったわけではないだろうが、アーデルは何も言わずに歩く。
そんなアーデルからは相当な魔力が漏れている。アルバッハやクリムドアがそれでダメージを受けているがそんなことはお構いなしだ。
そのまま黙って歩くと、大きな扉の前に白髪の女性が経っていた。
顔のしわから考えて相当な年齢なのだろうが、背筋はピンとしており老いを感じさせない気品さがある。その老女がアルバッハを見て駆け寄ってきた。
「アルバッハ様、先ほどの音は一体……? それにこの魔力は――」
「ああ、いや、あれは――」
「アンタがラトリナか」
怨嗟のこもる声でアーデルがそういうと、周囲の空気が重くなる。比喩ではなく、アーデルから発せられる魔力が周囲の空気を本当に重くさせていた。
すでに普通の人なら怪我を負うほどの高濃度魔力が周囲に溢れているが、アルバッハもクリムドアも、そして目の前のラトリナも自らの結界で何とか防いだ。
そのラトリナはアーデルを見て目を見開いた。
「アーデル……! 貴方、死んだはず……!」
「名前はアーデルだが私は本人じゃなくて弟子さ。あんたがばあさんを嫌うのはどうでもいいが、ウォルスがばあさんのせいで苦しい思いをしているなんて言葉は許せないね。撤回しな」
「何を言っているの? 貴方はどう見てもアーデルに――」
「どうでもいいんだよ、そんなことは。言葉を撤回するか死ぬかだ。すぐに決めな」
クリムドア、アルバッハが声をかけて止めようとするが、アーデルの耳には全く聞こえていないのか反応がない。
ラトリナはゆっくり目を閉じた。
「なら殺しなさい。もう十分に生きました。残り少ないこの命、今更惜しいとも思いません」
アーデルはしばらくラトリナを睨んでいたが舌打ちをする。
「もういいからどきな。こっちはウォルスに用があるんだ」
「今はウォルス様にとって大事な時間。それを邪魔させるわけにはいかないわ」
「大した忠義だが、私にはアイツの大事な時間を邪魔しちゃいけない理由がないね」
アーデルは念動の魔法で邪魔そうにラトリナをどかすと、そのまま扉の前に行き、思いきり蹴り上げた。
扉が勢いよく開き、アーデルはそのまま中へと足を踏み入れる。
一部始終を見ていたクリムドアとアルバッハが慌てて後に続いた。
中は薄暗く窓のカーテンがすべて閉まっている。部屋にはベッドとテーブル、そして椅子が二つしかなく、丸いテーブルの上には燭台が一つとカップが二つあり、燭台のロウソクには小さな火が灯っていた。
そして扉に近い手前の椅子には誰かが背中を向けて座っている。
「アンタがウォルスかい?」
「……すまないが静かにしてくれないか。今は大事な時間なんだ……」
アーデルの方を見ずに背中を向けたまま男は蚊の鳴くような声でそう言った。
声に力はなくしわがれている。今にも消え去りそうな感じの小さな背中には哀愁があった。四英雄と呼ばれるような人物には見えず、アーデルはウォルスではないのかと疑うほどだ。
だが、ウォルス以外には考えられないとアーデルは口を開く。
「何が大事な時間だ。その時間を少しでもばあさんのために使っていれば、こんなことにはなっちゃいないんだよ」
「ばあさん……? それにその声は……」
男性が椅子から立ち上がって振り向く。
白髪の老人はやせており腰に差している剣を振れるのが怪しいほどだが、腰は曲がっておらず姿勢はいい。さらには隙がなく、攻撃したら逆に斬られると錯覚するほどの佇まいだった。
その老人が急に険しい顔になった。眉間にしわが寄り、般若のような顔で睨む。
「き、貴様! なぜ生きている! お前は死んだはずだ!」
その言葉でアーデルは理解する。
「私を見てそんな言葉がでるのかい。うれしいね、アンタがクズだったおかげで遠慮なく殺せるってもんだよ」
アーデルは若いころの魔女アーデルにそっくりな姿をしており、さらには服も当時着ていた物に似ている。そんなアーデルを見てその言葉が出るなら、どう思っていたのかはある程度分かる。
アーデルは心の中でオフィーリアとメイディーに謝罪した。
(悪いね、せっかく私に思いとどまるように色々考えてくれたのに。話を聞いてやるつもりだったが、もう我慢ならない――)
「貴様のせいで……貴様のせいでアーデルは……!」
「なんだって?」
そこでアーデルは少し冷静になる。
ウォルスは目が見えないという話だった。アーデルを目で認識することはできないのだ。
よく見るとウォルスの目には光がない。しかも微妙にアーデルへ視線を向けておらず、アーデルよりも後ろへ視線を向けていた。
不思議に思ったが、アーデルを含め、この場にいる全員が動けなくなった。
先ほどまでいたはずの老人はもういない。目の前にいるのは神すら殺せそうな憤怒をまとった戦士。
その戦士が溢れる怒りを抑えるようにゆっくりと剣を抜く。
「殺してやる……! 殺してやるぞ! 魂ごと粉砕してくれる!」
「アンタ、何を言って――」
「死ね! 魔王!」
ウォルスはそう言いながら、小さな竜でしかないクリムドアに斬りかかった。