魔女の評判
アーデル達は戦場となっている西の砦まであと半日というところまでやってきた。
天気は曇り。山からの風が強いのか肌寒い。風避けになるようなものもなく、吹きさらしのような平原が続いている場所だが、そんな状況でもゴーレムの馬車は普通に風に向かって進んでいる。
馬車の中は快適そのもの。ただ、全く問題がないとは言えない。馬車自体は問題ないが、その中に乗っている人達には問題がある。
アーデル達は昨日泊まった町で食事を振舞い、さらには悪徳領主を断罪したこともあって住民からはかなり感謝された。
ただ、オフィーリアの過度な宣伝によりコンスタンツはともかくアーデルの機嫌が少し悪い。とはいえ、アーデルとしては本気で怒ってるわけではなく、そういう振りだ。
また、オフィーリアもそれを理解してるのか困った顔ではなく、笑顔でアーデルをなだめている。
ほのぼのした感じではあるが、戦場が近いのに緊張感がまったくないのは問題と言えるだろう。それに気づいているのはブラッドだけだが、実力的に注意するまでもないだろうとアーデル達の言葉に耳を傾けていた。
「これからもクッキーをたくさん作りますから怒らないでくださいよー」
「なんであんな宣伝してんだい。コンスタンツのことだけで良いじゃないか」
「アーデルさんや魔女様の評判を上げるためじゃないですか」
「そんなことしなくていいんだよ。評判なんてのはね、頑張っている奴には黙っていてもついてくるもんさ」
「それは違うと思うぞ」
アーデルとオフィーリアの会話にブラッドが珍しく割り込んだ。
「これは商売の話だが、いいものを売っているだけで評判が上がるなんてことはまずない。口コミで評判が上がるかもしれないが、ほんの狭い範囲だ。国全体ともなれば、自分から宣伝していかないとな」
「そういうもんかね」
「そういうものさ。アーデル様も自身がやったことを誇るようなことはしなかったんだろう。だからこそ偉業を成したのに今のような扱いになっている。もちろん過度な宣伝はよくないが、魔女様はもっと誇って良かったと思うぞ?」
分からない事には憶測が入る。それは賞賛だけではなく、妬みなどの悪い憶測が入り、それが噂となる。そして噂が広がれば真実とは関係なくそれが真実となる。
ブラッドは元々冒険者で商人の家系。情報の信憑性を調べることに重点をおくことは当然だが、日々の生活が忙しく、それができない人の方が多いとも言った。
「自分から嘘は言わないが、聞いただけの話を他に言えば本人は意図しなくとも嘘を広める可能性がある。おそらくだが、魔女様はそういう策略にはまってしまったんだろうな」
「策略?」
「王城であった話を聞いたが、魔族が魔女様の評判を下げていたんじゃないのか? 魔族の王が倒された数年後にはもう宰相が魔族になっていたのなら可能性はあると思うが」
宰相に化けていた魔族は魔力を封じられ牢屋に入っている。今は取り調べをしているようだが、あまり情報は得られていないとのことだった。
アーデルはそこまで明確に考えていたわけではないが、魔族がそれをやったとは思っていた。
アルバッハが言うには、当時、魔女アーデルの評判がいきなり悪くなったという状況だったらしい。あらゆる国が復興で忙しい時期になぜかアーデルが魔族の王と同じくらい危険だという噂が流れた。
魔族の王を倒したのならそれだけの力があるのは当然だが、あまりにも噂の広がりが早かったという。今思えば誰かが意図的に噂を流した可能性はあるだろうとアルバッハも言っていた。
(ばあさんがその時に何かを言えば状況は変わっていたのかもしれない。それともばあさんはそんなことを言いたくないくらい失望しちまったのかね?)
魔女アーデルは魔の森へ追放されたというのがこの世界の認識だ。だが、アーデルはそう思っていない。
(ばあさんの方が人間達を見限った。命を懸けて世界を救ったのに勝手に化け物扱いされたんだ、失望して言い訳する気も失せちまったのさ。でも――)
ちょっと違えばこんな状況にならなかったのではないかとも思える。
それはそれとして別の怒りが湧いてきた。
(それならそれでウォルスの奴が何とかすればよかったんだ。ばあさんが魔の森へ行くのを止めるとか、噂は違うとか言えばよかったじゃないか。まさかとは思うけど、アイツがばあさんを恐れてそんな噂を流したんじゃないだろうね……?)
「ちょ、ちょっと、アーデルさん! 魔力! 魔力が漏れてます! 痛いですってば!」
アーデルはオフィーリアの声で我に返る。
「あ、ああ、すまないね。ちょっと嫌な考えが頭に浮かんじまったよ。皆は大丈夫かい?」
皆は大丈夫だと頷く。
「すまない。怒らせるような発言をしてしまったか?」
ブラッドが申し訳なさそうな顔でアーデルの顔を窺う。
アーデルは首を横に振った。
「ばあさんの悪い噂を流したのがウォルスかもしれないと思ったら怒りが湧いちまっただけだよ。ブラッドに対して怒ったわけじゃないさ」
「ウォルス様が? それは魔族と手を組んでという意味か? それともウォルス様もすでに魔族が成り代わっていると……?」
「いや、そこまで考えてはいなかったが、成り代わっている可能性があるのかい?」
ブラッドは腕を組んで唸ったが、首を横に振った。
「最近のウォルス様のことは知らないが、数年前までならあり得ないな」
「理由は?」
「ウォルス様は聖騎士団の団長だったが、聖騎士というのはサリファ教独自の魔法陣で魔法を使う。フィーが使う治癒魔法とかだな」
その言葉にオフィーリアがうんうんと頷く。
魔法陣に著作権的なものは存在せず、使えるなら誰が使っても問題はない。ただ、公式にこの魔法陣は誰が作ったと明確にされているものがいくつか存在する。
サリファ教の教徒が使う治癒の魔法や祝福の魔法その一つだった。
「その魔法陣を魔族は使えない。アイツらは無駄が多い術式で組まれた魔法陣を使い、膨大な魔力でぶっぱなすという感じだから繊細な魔法陣を組めないんだ」
「聞いたことがあるね。つまりウォルスはサリファ教独自の魔法陣で魔法を使ったことがあると?」
「それが聖騎士であるための条件でもあるからな。たしか何かの式典で使ったはずだ。遠くから見ただけだが間違いない。ただ、今も使えるかと言うと――」
「今はどうだっていいよ。ばあさんを追放したときにウォルスが本物かどうかを知りたかっただけだからさ」
数年前までは本物だったということは追放した時は本人だったということ。今も本物だったらパンチをお見舞いしてやると、今日も練習をしておこうと心に誓った。
そこで話が終わったと思ったのかオフィーリアが笑顔でパンと手を叩いた。
「それじゃ、アーデルさんのお許しも出たところでそろそろ食事にしましょうか」
「別に許しちゃいないけどもういいよ。クッキーに砂糖をたっぷり入れな。それでチャラにしてやるからさ」
「気持ち二割り増しで入れますよ!」
「気持ちじゃなくて実際に砂糖を二割多めに入れなよ?」
その後、馬車がとまり、皆で昼食の準備を始めるのだった。
日が沈むころ、アーデル達は戦場となっている砦に到着した。
山と山の隙間、そんな場所に作られた砦は大軍を押しとどめるようにそびえ立っている。
当然、この場所を通らずに山を越えるという手段もあるが、大軍は通れない。軍事的な進行をするなら必ずここを通ると思える場所だった。
すでに激しい戦闘が何度かあったのか、砦はかなりボロボロになっている。一部は崩れており、今日も戦いがあったのか、黒い煙が立ち昇っている場所もあった。
砦の周囲には野営をしている兵士や冒険者達がいたが、さすがに活気はない。アーデル達の馬車を見て武器を構えるような者達もいたが、何をする気力もないようにうなだれている者もいた。
最初は警戒されていたアーデル達だが、王家の紋章が入った書簡と砦にいたアルバッハのおかげで今は普通に砦の中に入れた。
アルバッハはアーデル達を歓迎するとすぐにここを任されている将軍に紹介した。
話は通っているようで将軍にも歓迎された。すぐにでもこの戦争を終わらせたいという願望が疲れた顔からでも分かるほどで、アルバッハの作戦を特に遮ることなく肯定した。
だが、その作戦に物申したのがアーデルだ。
「なんで私が戦場で大々的に名乗りを上げなきゃいけないんだい?」
「魔女アーデルの名前は今でも恐れられている。そのアーデルが亡くなったことで戦争が始まったと言っても過言ではないというのは知っているか?」
「私からしたらイラっとする話だが、その通りなんだろうね」
「他意はないから怒らないでくれ。アーデルはいないが、その弟子であるお主がいる。それを大々的に相手に伝えれば必ず躊躇するはずだ。その間に使者を送り、休戦交渉を行う」
「そう簡単にいくものかね?」
「当然、名乗っただけでは意味がない。その後、派手な魔法を使ってくれ。ただ、威力がある派手な魔法を展開するだけだ。相手を巻き込むんじゃないぞ」
「注文が多いね。あと、頼み方に注意しな。私は別にこの国がどうなったって構わないんだ。世界が滅亡する可能性があるからついでで助けてやるってことを頭に入れとくんだね」
アーデルがそう言うと、アルバッハは笑った。
「つまらん嘘をついて悪ぶるな。お前に知り合った相手を見捨てるようなことはできまい。とはいえ、確かに頼み方は重要だな」
アルバッハはそう言うと真面目な顔でアーデルに頭を下げた。
「どうか力を貸して欲しい。ここでの戦争を終わらせるためにもアーデル殿の力が必要だ」
アーデルはバツの悪そうな顔をしてから口を開いた。
「わかったよ。報酬もあることだし、手伝ってやるから頭を上げな。でも名乗りを上げるなんてやりたくないね……ああ、そうだ。コンスタンツ、一緒に戦場に行って私を紹介しておくれよ。そういうのは得意だろ?」
一瞬呆けていたコンスタンツはすぐさま扇子を取り出して口元を隠した。
「良くお分かりですわね! その仕事、承りましたわ! もちろんわたくしも名乗りを上げさせていただきますが!」
「それは好きにしなよ」
とんとん拍子で決まったが、その条件に嫌そうな顔をしたのがアルバッハだ。
「儂も行こう。なにかとてつもなく嫌な予感しかしないからな」
色々と不安な状況ではあるが、なる様にしかならないだろうと、アーデルはオフィーリア達と部屋を出てあてがわれた部屋へと移動するのだった。