頼みたいこと
アルバッハの部屋は緊張感に包まれている。アーデルが目の前にいる先々代の王――ディグレスを睨んでいるからだ。
「ディグレス様の御前です! 頭を下げるべきだと思いますわよ!」
跪いているコンスタンツが頭を上げずに小声でアーデルにそう伝える。
「頭を下げるというのは敬意を払うということだろう? ばあさんを追放した奴になんの敬意を払えって言うのさ」
アーデルはそう言って椅子に座ったまま足を組み、紅茶を飲んだ。どちらが跪くのか分かっているだろうとでも言いたげな顔だ。
「似ているのは顔だけだな。魔女アーデルは儂に敬意を払っておったぞ?」
ディグレスも負けじと挑発するような顔をする。
それを聞いたアーデルは鼻で笑った。
「そりゃばあさんはこの国の住人だったからね。王であるアンタに頭を下げただろうさ。でも私は違う。魔の森の生まれだし、アンタやこの国の世話になった覚えはないよ」
「ほう? だが、魔の森もこの国の領地だぞ? ならこの国の住人では?」
「森の奥地へ行けるわけでもないくせに領地だなんて良く言うよ。それともあの森の魔物はアンタに敬意を払うのかい? 遭った次の瞬間には腹の中だと思うけどね」
「魔物が敬意を払うわけがあるまい」
「私なら払うと思ってんのかい?」
「それは自分のことを言葉も通じない魔物だと言っておるのか?」
「言葉なんて関係ないさ。私も魔物も弱い奴に頭は下げないって言ってんだ。アンタはばあさんを怖がって追放したくせに自分は強いと思ってんのかい? 王族として生まれただけの普通の人間が敬意を払えというのは冗談としては面白いけどね」
このやり取りに周囲は慌てているが、アーデルとディグレスはお互いを睨んだまま動かなくなっている。
数秒後、ディグレスは息を吐いた。お互いに殺気を放っているような状況ではあったが、ディグレスの方からはそれが消えた。今ではただの老人のようになっている。
「分かった。儂の負けだ。もう歳でな、椅子に座っても良いか?」
「座りたいなら勝手に座ればいいけど、私はアンタに話なんかないよ」
「そう言うな。アルバッハと――コンスタンツだったな、お主達も座れ。それに儂に頭を下げる必要はない。王族として生まれただけの普通の人間だからな」
答えに困りつつアルバッハとコンスタンツは椅子に座り、アーデルやクリムドアと一緒にテーブルを囲んだ。
アーデルの正面に座ったディグレスは深呼吸をしてから口を開く。
「お主の言う通りじゃ。儂は魔女アーデルが恐ろしかった。だから魔の森へ追放した」
「ばあさんが意味もなく暴れるわけがないのに、あり得ないことに怯えていたようだね。つまらない人生を過ごしたもんだ」
「かもしれん。だがな、たった一人で万の軍勢を倒せるほどの力を持った人間を恐れない奴などおらん」
ディグレスは再び大きく息を吐いた。そのたびに身体が小さくなっていくような錯覚をアーデルは受ける。
「魔族の王を殺せるほどの魔女、その気になれば目の前の相手を秒もかからずに殺せるだろう。ほんの少し気に入らないというだけで相手の命を奪える者を近くに置きたいと思うか?」
「アンタだって似たようなものだろう? アンタが気に入らないと言えば庶民の一人や二人どうでもできるじゃないか。王というだけでそんなことができる方がタチは悪いと思うけどね」
「……その通りじゃな。だが、あの頃の儂は王位を継いだばかりでまだ若かった。そこまで考えが至らずに宰相の言いなりになってアーデルを追放した」
「言いなりね。それは謝罪してるのかい? それとも言い訳かい? どっちにしても言う相手が違うよ」
「謝罪も言い訳もしておらぬ。今考えれば間違っていたとは思うが、あの時にそう決断したことは後悔もなければ謝る気もない」
「それは良かったよ。たとえばあさんが許しても、私は許す気がないから頭を下げられたらどうしようかと思っちまった」
「……儂の命が欲しいのか?」
「その気ならもうやってるさ。ばあさんの遺言――じゃあないが、人を殺せば魔力が汚れるって話を聞いているんでね。殺したいほどムカついてはいるが、私が手を下すことはないよ。残りの余生を大事にしな」
「そうか……」
そこで二人の会話は終わる。
クリムドアとアルバッハ、そしてコンスタンツは気まずい雰囲気をどうにかするべきだと考えているのか、口を開こうとはするが言葉は出なかった。
そしてアーデルは自分の方から何かを言うつもりはない。
アルバッハが連れてきたということは何かしらの用事がある。こんな話だけではなく、おそらくアーデルにとって面白くない話。こちらから何の用だと聞く理由はない。
アーデルは何も言わずに座っていた足を組み替えてから、紅茶のカップに口を付けた。一息ついてから本を手に取って開き、視線を落とす。話は終わったのだから早く出て行けという意思表示だ。
一分ほどそのままだったが、ディグレスが意を決したように口を開いた。
「頼みたいことがある」
ディグレスがそう言うと、アーデルは視線を本に落としたまま口を開いた。
「受けると思っているのならおめでたいね。頭の中はお花畑かい?」
「簡単には受けると思ってはおらん。報酬次第だと思っておる」
「アンタが用意できる報酬なんかに興味ないね」
「魔女に対する報酬だとしてもか?」
そこで初めてアーデルはディグレスに視線を向けた。
「ばあさんに対する報酬?」
「アルバッハから聞いておる。そこの幼竜は未来から来たのだとか。未来でこの国は滅び、魔女アーデルは英雄ではなく滅亡の魔女と言われるらしいな」
「それを信じるとは驚きだね」
「頼みごとを聞いてくれたら魔女アーデルを、世界を救った英雄だと未来永劫伝えていこう。この国がある限り、その約束を違えぬと誓おうではないか。王都に像を作ってもいい」
「像はともかく、そんなことは当たりまえなんだよ。魔族の王を倒したばあさんを恐れた上になかったことにしたのはアンタ達じゃないか。何を恩着せがましく言ってるんだい」
「だが、そうなるように仕向けていたのは魔族だ。この国を滅ぼそうと画策していたのも魔族だろう。今回お主のおかげでそれが明るみになった。二度とそんなことがないようにするつもりだが、国が滅べばまたアーデルは未来で不名誉な名が付くだろう。それはお主の望むことではあるまい」
アーデルは舌打ちする。
この国がどうなろうと関係はないが、未来で先代のアーデルが不名誉なことになることだけは避けたい。
コンスタンツに対しても思ったことだが、王族でも貴族でもやることが嫌らしい。未来という本人にとってどうでもいい約束が報酬だ。受けたとしても保証もなければ確認する方法もない。
さてどうしたものかと思った時だった。
「遅くなりました! ブラッドさんとパペットちゃんを呼んできましたよ!」
オフィーリアが元気よく部屋に入ってきた。その後ろにはブラッドとパペットもいる。
なにかしらの空気を感じたのだろうが、オフィーリアはいつも通りの笑顔でアーデルに話しかけた。
「もー、アーデルさんは仕方ないですね」
「いきなり来てなんの話だい?」
「困ったときとか怒ったときはクッキーを食べて落ち着いてくださいっていつも言ってるじゃないですか。ほら、出して出して」
オフィーリアはそう言ってアーデルにクッキーを出すように促す。
アーデルは呆れた顔をしつつも亜空間からクッキーを取り出した。
「なんの話をしていたのかは知りませんが、飲まず食わずじゃいい案はでませんよ。まずはクッキーを食べつつ、紅茶で喉を潤わせてからにしましょう!」
その後、テキパキとオフィーリアが動き、テーブルの上にクッキーと紅茶が人数分用意される。
全員がクッキーを食べ、紅茶を飲んでから一息つく感じになった。
「それでこちらのおじいさんはどちら様なんですか?」
「先々代の王だとさ」
「へー……へぇ!?」
オフィーリアがあまりにも驚きの表情でディグレスを見たため、ディグレスも噴き出すほどだった。
「面白い娘だな。儂はディグレスじゃ」
「オ、オフィーリアです……」
「ふむ、その恰好からするとサリファ教の信者か?」
「は、はい、神官見習いです……」
「そうか。もう一つ聞きたいのだが、ここにいるアーデルとは友なのか。ずいぶんと親し気に見えたが」
「そ、そうですね。控えめに言って親友かと……」
アーデルが「いつの間に?」とは思ったが、それを口に出すほど野暮ではない。
「なら、親友として説得してくれぬか。儂はアーデルに頼みたいことがあるのだが、首を縦に振ってくれぬのだ」
「ええと……?」
オフィーリアが首を傾げていると、コンスタンツがこれまでの事情を話した。
ブラッドもパペットもオフィーリアと一緒に話を聞いていたが、どちらも特に表情に変化はない。
オフィーリアだけは「なるほど」と頷いた。
「事情は分かりました。ならアーデルさん」
「……なんだい?」
アーデルは警戒しつつ、オフィーリアの言葉を待つ。
「安心してください、アーデル様のことならメイディー様が色々やってくれます。サリファ教でアーデル様は英雄だと宣伝しますから」
「……なんだって?」
「そういうのはサリファ教にお任せです。この国が滅んでもサリファ教は滅びませんので、未来永劫、魔女様を称えますから!」
この言葉に全員が目を丸くしていたが、オフィーリアだけはドヤ顔だ。
「アーデルさんは魔女様が未来で変な二つ名がつかないようにしたいけど、頼みを聞くのも嫌なんですよね?」
「そこまではっきり言われると困るけど、その通りだよ」
「なら魔女様の不名誉な名前の方は安心してください。メイディー様に言えば絶対に悪いようにはしませんから。ただ……」
「ただ、なんだい?」
「それとは別に頼みというのを聞いてあげてくれませんか? 私としては目の前にいるアーデルさんにも不名誉な名前がついて欲しくないので、人助け的なことをしてほしいかなーなんて。もちろん絶対に嫌な事ならしなくていいですけど、聞くだけ聞いてみませんか……?」
やや上目遣いでオフィーリアはアーデルを見つめる。
アーデルは「はぁー」と大げさな溜息をついてから、テーブルの上にあった残りのクッキーをバリボリと音を立てながら全部食べた。そして紅茶で流し込む。
「仕方ないね。聞くだけは聞いてやるよ。フィーに感謝しな」
ディグレスは驚いた顔になり、オフィーリアに軽く頭をさげてから、アーデルの方を見て「頼み」について話し始めた。