師匠と弟子
アーデルは目を覚ますと、勢いよく上体を起こした。
すぐに身支度を整えようと思ったが、その意思に反してまたベッドに仰向けになる。天井を見ながらぼんやりと昨日のことを思い出していた。
自分の親とも言うべきアーデルを裏切ったウォルスが、死に場所を求めて戦場へ行った。
そもそも会うつもりはなかった。もし会ったら何をするか分からないとも思っていた。だが、オフィーリアやメイディーの提案でぶん殴る程度に済ませようと思ったのはアーデルにとって大事な目的になった。
絶対に許せないが、ぶん殴るという望みが叶えば満足できるし、自分を育ててくれたアーデルへの恩返しになるとも思った。
なのにそのウォルスは勝手に死のうとしている。誰かに殺されるくらいなら自分の手で殺してやると一瞬だけ思ったが、ばかばかしいとその考えはすぐさま捨てた。
(せめて一言、ばあさんへ謝罪して欲しかったね。でも、それはもう無理か)
なにをどうすれば恩が返せるのか。そして自分の気が晴れるのか。
ベッドの上で変化のない天井を見ながら色々と考える。
(……なんにも思いつかないね)
十分ほど考えたがどうするのがいいのか全く分からない。むしろ余計なことはしない方がいいのではないかと思えるほどだ。
アーデルは考えるのをやめて、まずはフロストの様子を見るかと起きだし、身支度を整えてから部屋を出るのだった。
部屋にはオフィーリアが先に来ていたようで、執事やメイドと一緒にベッドにいるフロストと何かを話しているようだった。
なぜか全員が苦笑いをしているのだが、フロストは上体を起こしているものの、腕を組んでなにか考え込んでいる顔をしていた。
全員がアーデルに気付くと挨拶をしてきたのでアーデルも挨拶を返す。
「おはよう――ってどうしたんだい? 何かフロストに問題が?」
難しい顔をしていたフロストだが、アーデルに対しては笑顔になった。
「おはよう、アーデルお姉ちゃん。うん、私はまだまだ本調子じゃない。もう一週間くらい様子を見た方がいいと思う」
「そんな元気に言われても困るんだけどね。どこか痛いところがあるのかい?」
「……間接がちょっと痛いかも? あと咳も?」
フロストはそう言って「ごほんごほん」とわざとらしい咳をした。
「どうして疑問形で言うんだい? でもおかしいね。あの薬は即効性とまでは言わないが一時間もすれば効果が出るはずなんだが……?」
オフィーリアが苦笑いのままフロストに聞こえないような小声でアーデルに伝える。
「違いますよ。フロストちゃんは治ってますって」
「うん? ならなんで痛いなんて言ってるんだい?」
「治ったら私達は王都へ行っちゃうじゃないですか」
「それが?」
「フロストちゃんは寂しいんですよ。私達を王都へ行かせないために嘘をついているんですってば」
「ああ、そういうことか。私もばあさんが亡くなった時は寂しいと思ったけど、それと似たようなものだね」
「それです。なので皆で説得していたところです。ですが、なかなか手ごわい……!」
これくらいの歳の子に理論整然とした説得は通じない。そもそも感情が最優先だ。良いとか悪いとか関係なく、嫌だから嫌なのだ。
執事やメイドはフロストがわがままを言えるくらいに元気になったと喜びつつも説得している。
ただ、残念ながら全く通じていない上にフロストは逆に「アーデルお姉ちゃんを説得して」と言う程だ。
そんなやり取りが何分か続いたが、ならば、とオフィーリアが説得に乗り出した。
「いいですか、フロストちゃん。みんな大好きサリファ様はこう言ってます。人生はいつだって思い通りにならない、嫌なことばっかりだ、と」
「せめて教訓になることを言いなよ」
女神なのにに言ってることが酷い。アーデルの中で女神サリファへの好感度が下がりっぱなしだ。
「アーデルさんはちょっと静かにしてください、続きがあるんですから」
首を傾げているフロストにオフィーリアはさらに続けた。
「そして続けて女神様はこう言ってます。強くなって嫌なことなんてぶっとばせ、と」
「嫌なことはぶっとばせ?」
「そうですね。この言葉には色々な解釈がありますが、まず一つは、神様だとしても思い通りにならないことがあるということです。嫌なことばっかりだと言ってますから、サリファ様でもそう思うときがあるのでしょう。神でもそうなら人でしかない私達は神以上に思い通りにならないのは当然だという解釈です」
「ダメじゃないか」
アーデルがそう口を挟むと、オフィーリアは眉間にしわを寄せて口元に人差し指を持っていき、静かにしてくださいというジェスチャーをする。
その後、笑顔でフロストを見つめた。
「そして後半の部分は、強くなって嫌なことなんてぶっとばせという解釈です」
「……解釈も何も、そのままだよね?」
フロストどころかこの場にいる全員がオフィーリアの言いたいことがよく分かっていない。どちらかと言えばフロストを応援しているような言葉にも取れる。
オフィーリアはさらに笑顔になってフロストを見つめる。
「フロストちゃんは皆とお別れしたくないから嘘を言ってるんですよね?」
フロストは高速で顔を横に向けて「違うよ」と言ったが、オフィーリアは横を向いたフロストの顔を覗き込む。
「アーデルさんと一緒に居たいなら強くなりましょう!」
「……え?」
「フロストちゃんは残念ながらまだ体が治ったばかりで普通の子よりも体力がありません。付いてくることはできませんし、アーデルさんをこの屋敷に閉じ込めておくこともできません」
「お金を使うというのはどう? お父さんにお願いする」
「……それはもっと大人になってからの強さです。大体、お金を使ってもアーデルさんを止められるとは思いません。それよりもですね、もっと強くなってどこにでも行けるくらいの体力と知識を身に付けましょうってことです。元気になったんだからなんでもできますよ。魔法だって覚えられたみたいですし、王都の学校だっていけるじゃないですか」
「……うん」
「アーデルさんにはやりたいことがあります。一緒に居たいなら、付いていくか、やりたいことを諦めさせるしかない。でも、フロストちゃんはそのどちらもできないんですから、今はそれを甘んじて受けるしないんです」
「……うー」
言いたいことは分かるが感情的に嫌。それが分かるほどフロストは唸っている。
「それにですね、フロストちゃんはアーデルさんの弟子なんですよ?」
オフィーリアはニコニコしながらそう言ったが、フロストどころかアーデルまで驚いた顔をした。
「アーデルさんに魔法の勉強を教わったんだから、フロストちゃんはアーデルさんの弟子です。そしてアーデルさんは師匠」
「私が弟子でアーデルお姉ちゃんが師匠?」
「そうです。でも、最強の魔女の名前を受け継いだアーデルさんの弟子が弱いままでいいのかなー? しかも寂しくて師匠に嘘をついちゃうなんて師弟関係は解消かなー?」
オフィーリアがワザとらしくそう言うと、フロストはベッドの上でワタワタと慌て始めた。そして口を開く。
「じ、実は元気かも……」
「ふっふっふ! ですよね! 孤児院で仮病の子をたくさん見抜いてきた私を騙すことはできませんよ! 名探偵オフィーリアとは私の事です!」
全員が嘘だとは分かっていたが、見破られたとした方が傷が浅いとオフィーリアは判断したのだろう。
アーデルはそれを感心していたが、気になることがある。
「私がフロストの師匠なのかい?」
「うん、師匠。私は弟子。最強の魔女を受け継ぐからもっと勉強する」
アーデルはオフィーリアに聞いたのだが、フロストがすぐに答えた。先ほどよりも笑顔で言っているので、「違うよ」とは口が裂けてもいえない状態だ。
そしてアーデルとしても、フロストとそんな関係が構築されたのが少しだけ嬉しい。自分と先代のアーデルのような関係に少しだけ身体がくすぐったいような感覚になる。
そんな感じは全く見せないようにアーデルは口を開いた。
「まあ……いいけどね。なら頑張んなよ。最強の魔女を受け継ぎたいなら並大抵の努力じゃ絶対に無理だからね」
「大丈夫。アーデルお姉ちゃんの弟子として恥ずかしくないくらい勉強する――だからまた遊びに来てくれる?」
「何言ってんだい。弟子なんだから修行してやるよ。その合間に遊んでやってもいいけどね」
しばらくは無理だがちょくちょく教えに来るとフロストに約束した。アーデルは空を飛べるので一人だけならすぐに来れる。それも説明すると、フロストはさらに喜んだ。
説得が終わって今日の予定の話になったのだが、今日一日はフロストの体調が問題ないかを確認しつつ、王都へ向かう準備をすることになった。
その買い出しへフロストも一緒に行くことになって、フロストはテンションMAXの状態になった。そしてすぐに服を選ぶと言い出した。
外に出ることはできなかったが、親がいつか治った時のためにお出かけ用の服を毎年のように用意していた。今はどれを着るか気合が入ったメイドと一緒に選んでいる。
時間が掛かりそうということで、一時間後に屋敷のエントランスに集合することが決まり、一度解散になった。
アーデルは自分にあてがわれた部屋に戻り、両手を頭の後ろで組んでベッドに仰向けになる。そして朝と同じように天井を見た。
(人生はいつだって思い通りにならない、か)
女神サリファが言ったという言葉をアーデルは心の中で反芻する。
(強くなって嫌なことなんてぶっとばせ、ねぇ)
そこまで思った後、何も考えない状態が続いたが、大きく息を吐いてからゆっくりと上体を起こした。
「うだうだ考えるなんて私らしくもない。そうさ、やりたいことをやればいいんだ」
そう言ったアーデルの顔は目を覚ました時とは打って変わり晴れ晴れとしていた。