魔導の深淵
二時間後、薬の調合が一段落したアーデルはそれを亜空間に入れてから部屋を出た。
コンスタンツがここへ来た理由は砦を破壊した自分を捕まえに来たとしか考えられない。薬ができるまであと二日は掛かる。なんとか時間を稼げないかと色々と考えていたがいい案は浮かばなかった。最終的には武力に頼るしかないだろう。
そんなことを考えていると廊下でメイドに会えたので、コンスタンツがいる部屋への案内を頼んだ。
そのメイドに連れられて部屋へ足を踏み入れたのだが、当のコンスタンツは優雅に紅茶を飲んでいるところだった。カップを持ち、小指を立てている。
「素敵な香り……これは王都のアールグレイですわね?」
「全然違います」
執事の素っ気ない答え。先ほどのやり取りに関して怒っているのか、表情には出ていないが雰囲気が伝わってくる。
そんな執事はアーデルを見ると申し訳なさそうに頭を下げた。
「アーデル様、先ほどは騒がしくしてしまいまして申し訳ありません」
「ああ、いや、あのまま扉を開けられたら危なかったけどね、最初の調合は上手く行ったから安心しなよ。だいたい、謝る奴が違うじゃないか」
アーデルはそう言って優雅に紅茶を飲んでいるコンスタンツへ視線を向けた。
紅茶を一気に飲み干したのか、空になったカップをソーサーに置いてから立ち上がり、閉じた状態の扇子をビシッとアーデルの方へ向けた。
「ようやく見つけましたわよ! アーデ、ル……?」
そう言ったコンスタンツだったが、アーデルを見て首を傾げた。
「どこかで会った気がしますわね……?」
「もしかして私かどうかは知らなかったのかい? 先日、砦の場所を聞いてきたじゃないか。お礼に金貨一枚を渡してくれたのを覚えていないのかい?」
コンスタンツは腕を組み天井を見ていたが「あ!」と驚きの声を上げた。
「思い出しましたわ!」
「一昨日の事なんだけどね」
「渡した金貨が最後の一枚だったのでその日は宿にも泊まれず大変な目に合いましたわ!」
アンタ馬鹿なのかい、という言葉が出かかったが、ぐっとこらえる。そしてこのままだと話が進まないとアーデルの方から話を振ることにした。
「私を捕まえに来たんだろうけど、ここでやらなきゃいけないことがあるんでね。悪いけど全力で抵抗させてもらうよ」
そう言ってアーデルは構えるが、コンスタンツはさらに首を傾げた。
「なぜ私が貴方を捕まえるんですの?」
「砦を破壊した人間を捕まえるんだろう?」
その言葉に執事が驚きの表情を見せたが、コンスタンツは目を細めるだけだった。
「確かにその通りですが、私が捕まえたいのはアーデルと名乗っている者ですわよ?」
「だから私じゃないか」
話がかみ合っていないのかいつまでも平行線だ。仕方がないのでアーデルは一から説明した。むしろ「アーデルは逃げたよ」と説明した方が早かったのかもしれないが、それはそれで後に面倒なことになりそうだと思ったというのもある。
三十分ほど自分がアーデルである説明をして、さらには執事もそれを保証する形で説明するとようやく理解したようだった。とはいえ、執事も砦を破壊したことは初耳でかなり驚いてはいたが。
コンスタンツは目をつぶって情報を整理していたようだが、ようやく目を開いてアーデルを見た。
「つまり貴方は魔の森に住んでいた魔女アーデル様の弟子でアーデルの名前を受け継いだ、服が違うのは最近仕立てたものだと?」
「そうだね」
「あのときにいたサリファ教の神官は見習いですが、もともと一緒に行動していたのは見習いであり、あの空飛ぶトカゲも実はドラゴンだったと?」
「そうだよ」
「そしてあのイケメンは人間ではなくゴーレム、さらに性別的には女性であると?」
「その通り」
「つまり私は騙されていた?」
「誰も騙しちゃいないよ。アンタが勝手にそう思い込んでいただけさ。大体、最初に会った時にアーデルだって名乗ったじゃないか」
「確かにそうでしたわね……でも、貴方、お馬鹿さんなんですの?」
「言葉に気を付けな。大体、それはアンタに言いたいよ」
「私が勘違いしているならそのままにしておけばいいのに、わざわざ説明するなんてお馬鹿さんなのかと」
「久々に殺意が沸いたよ。この辺で暴れていい場所はあるかい?」
そう聞かれた執事は頭を下げた。
「アーデル様のお気持ちは大変――それはもう大変に理解致しておりますが、この辺りではご遠慮ください」
「残念だね――まあ、それはいいや、これでようやく話ができる」
アーデルはそう言ってからコンスタンツへ視線を向けた。
「最初に言ったけどね、私にはここでやることがある。悪いが捕まる気はないよ」
「たしか町長の娘であるフロストさんを治す薬を調合しているとか言っておりましたわね。待ってる間に執事から聞きましたわ」
「理解が早くて助かるよ。そんなわけだから捕まえようとするなら抵抗するよ」
コンスタンツは腕を組み、アーデルを頭の先からつま先まで見て唸る。
「砦を破壊した貴方をそのままにしておくわけにはいきませんわ」
「なら――」
「しかし、ですわ」
コンスタンツは扇子をバッと開いてから口元を隠すようにしてアーデルを見つめる。
「貴方をいつまでに捕まえろ、なんて指示はされておりません。逃げないというならその薬ができるまで待つのもやぶさかではありません」
「……いいのかい?」
「逃げないということが前提ですわ。そしてそれが終わったら私と一緒に王都まで行く。そういう条件であれば待ちましょう」
この言葉に執事は安堵の顔を見せた。
そしてアーデルも同様に軽く息を吐きだす。戦って負けるつもりはないが、周囲に被害が出るだろうと思っていたからだ。
「話が分かる奴で良かったよ」
「さすがに一ヶ月も二ヶ月もという期間では困りますが、一週間くらいなら待っても問題ありませんわ。それに誰かを助けるという理由なら逆に放りだすなんて真似はさせません」
「そうかい。アンタにはアンタの正義があるんだね。思い込みが激しい残念な奴かと思ってたけどいい奴じゃないか」
「不敬ですわよ!」
コンスタンツはそう言って閉じた扇子でアーデルを指す。だが、すぐにその扇子の矛先を執事の方へ向けた。
「あと、ここへの滞在を許可して欲しいですわ! 実は無一文で困っておりますわ!」
やっぱり残念な奴だねと思いつつ、アーデルは貰った金貨を返そうとするのだった。
夕方、オフィーリアとパペットが同時に戻ってきた。
そして体調が戻ったクリムドアも部屋から出て食堂へとやってきた。
そこにはなぜかコンスタンツがいて、アーデルとフロストに勉強を教えているのだから驚いただろう。
「魔力増幅式はこっちに描いたほうが格好いいですわ。別の言い方をすればエレガント」
「馬鹿言うんじゃないよ。そっちに描いたら汎用性が落ちるじゃないか。多重立体にするときどうするんだい」
「そんなものは適当に継ぎ足せばいいではありませんか」
「それが出来るのは一部の天才か無駄に魔力が多い奴だけだろう? 誰にでも使えてこその魔法じゃないか」
そんな二人のやり取りの間にいるフロストは目から光がなくなっている状態で熊のゴーレムを抱えて撫でていた。魔法初心者のフロストには難しいのだろう。
そんなフロストは食堂にやってきたオフィーリア達を見つけて目の輝きを取り戻す。
「おかえりなさい!」
「ただいま帰りました、フロストちゃん。ところでそこにいるのはコンスタンツさんですよね? ここで何をしているんです?」
「砦を破壊したアーデルさんを捕まえに来たのですわ!」
「いえ、どう見てもアーデルさんと仲良くフロストちゃんに勉強を教えている感じでしたけど? そもそもなんで食堂に?」
「仲が良いかはともかく、実はわたくし、無一文でしてフロストさんに勉強を教えることでしばらく御厄介になることにしたのですわ。食堂なのはお腹がすいたからですわね。さて、それでは本格的に食事に致しましょう」
アーデルは貰った金貨を返そうとしたのだが、「貴族なら一度あげた物を返せなんて死んでも言いませんわ!」と言った。そして食事をたかるのもどうかということで、フロストへ魔法を教えることになった経緯がある。
そんなことよりも、なぜコンスタンツが仕切ってるのだろうと皆が不思議に思ったが、これが貴族なのかなと全員が少しだけげんなりする。
とはいえ、フロストには過度な勉強だったのか、かなりの疲労が見えたので、コンスタンツの仕切りに従って食事をすることになった。
食事をしながら全員が情報共有を行う。
アーデルが調合する薬は完成までもう少し掛かること、オフィーリアの治癒魔法もあと一日、二日は頼まれていること、パペットもパワーアップするまでもう少し時間が掛かること、クリムドアは特に予定がないことを共有した。
そしてなぜかコンスタンツも自身の予定を言い出した。
「とりあえず、アーデルさんが薬を作ったら王都に来てもらいます。砦を破壊した経緯を報告してもらいませんと」
「それは構わないんだけどね、報告するだけで済むのかい? 私のことを極悪人みたいに言ってた奴もいたんだろう? そのまま罪人にされたら困るんだけどね」
「そのあたりは聞いておりませんわね。私は連れて来いとしか言われていませんので、それを遂行するだけですわ」
「なんだい、そりゃ」
「国の法で裁くかどうかは私の管轄外なので何とも言えません。ただ、知っての通り、今この国は戦争中。貴方が強いということであれば、戦争への参加を条件に許されるという話になるかもしれませんわね」
「冗談じゃない。この国のために戦うなんてまっぴらごめんだよ。アンタの顔を立てて王都までは行ってやるが、それ以降はどうなっても恨むんじゃないよ」
「それも私の管轄外なのでどうしようと構いませんわ」
そんな二人の会話を聞いていたオフィーリアは不思議そうにコンスタンツを見つめていた。
「あのー、もしかしてコンスタンツさんはこの国への忠誠ってあまりないですか? 仕事はするけど、それ以外はどうなってもいいって感じなんですけど?」
「なかなか鋭いですわね。全く忠誠心がないとは言いませんが、私は魔法の研究ができれば何でも構わないのですわ。たとえば、先ほどのアーデルさんとの魔法談義、ああいうのを一日中やっていたいですわね」
なぜかフロストがびくっと体を震わせた。
コンスタンツはそれを見て不思議そうな顔をするが、すぐにオフィーリアの方を見た。
「私は一応貴族ですが、領地を持たない木っ端貴族、魔法の才能を見出されて宮廷魔術師の弟子となったにすぎません。忠誠とか国のためとかは他の人にお願いいたしますわ」
「そ、そんなんでいいんですか?」
「さあ? ですが、魔導の深淵を覗くためには、そんなどうでもいい事に気を使っている暇はないのです」
コンスタンツは食後の紅茶を少しだけ飲んでからアーデルの方へ視線を向けた。
「アーデルさんが羨ましいですわ、あの魔女アーデル様から魔法を教えてもらえたなんて。魔導の深淵、その一端を覗いた方でしょうから。一度くらいは会って話をしたかったですわね」
「アンタならばあさんと話があったかもしれないね。ばあさんも死ぬ間際まで魔法の研究をしていたからね」
アーデルがそう言うと、コンスタンツは目を輝かせる。
「ちなみに魔女様はどんな研究を?」
「主にやっていたのは魔道具の研究だね。いかに魔道具を長く持たせるかを研究していたよ。後は……魂の研究だね」
「魂の研究……?」
「私も詳しくは知らないが、魂の浄化――魔力の浄化と言い換えればいいか。そんな研究をしていたみたいだよ。残念ながらそれに関する資料は全部ばあさんが燃やしちまったけど」
「燃やした? 研究した結果をですか?」
「そうだね。亡くなる半年くらい前、もう必要ないと言って研究ノートを燃やしちまったんだよ。それ以降、ばあさんは研究を止めて私に色々教えてくれるようになったんだ。ただ、教わった魔法は一つだけで、薬草の見分け方とか薬の調合の方が多かったね」
その頃を思い出したのか、アーデルは優し気な表情を浮かべて紅茶を飲んだ。
そんなアーデルの姿をオフィーリアは腕を組んでうんうんと頷く。
「いい思い出だったんですね。私なんかメイディー様とのことを思い出すと、最初に眉間にしわが寄ります。もちろん、いい思い出もありますけど」
「あんな修行をされたらどんないい思い出だって塗りつぶされちまうだろうに」
アーデルすらあまり思い出したくない修行だ。いまだにあれを修行と言っていいのか悩んでいる。
「大丈夫です。よく思い出せば色々と思い出せるので。それに一部の記憶は抜け落ちてますので!」
「まったく大丈夫じゃないと思うね」
その後、皆の思い出話が盛り上がり、フロストと共に夜遅くまで語り合うのだった。