家庭教師
ドラゴンゾンビを倒した翌日、アーデルはフロストの部屋で魔法の勉強を教えていた。
「こういう魔法を使うにはこの魔法陣を構築するで合ってる?」
「ああ、そうだよ。フロストはなかなか優秀じゃないか」
フロストは「むふー」とでも言いそうな顔でアーデルを見ている。
アーデルはその笑顔がまぶしいのか、視線を逸らして皿に乗せられたオフィーリアのクッキーを食べた。
最後の一枚だったのだが、部屋にいたメイドがスッと動き、笑顔でクッキーを補充した。そして二人の邪魔にならないようにカップへ紅茶を注ぐ。
至れり尽くせりな状況ではあるが、アーデルとしてはやりづらさを感じていた。
一度、「そんなことしなくていいよ」と言ったのだが、執事とメイド、そしてフロストに、そういうわけにはいかないと、かなりの圧をかけられてアーデルは負けた。
それもこれもフロストをドラゴンゾンビから守ったことが影響している。至れり尽くせりなのはお礼なのだ。また、「アーデルが遺跡へ行ったのでドラゴンゾンビが出てきた」という状況もあって、その負い目から強く断れないという状況でもあった。
家庭教師は執事から依頼されたことで、アーデルとしては受ける必要がなかったのだが、フロストの泣きそうな顔に断り切れず、しぶしぶといった感じではあるが引き受けることになった。
なぜアーデルだけが勉強を教えているのかといえば、遺跡へ入れないからだ。
クリムドアが言うには、亜神がアーデルの魔力を狙っている。ドラゴンゾンビでもアーデルを取り込むことができなかったため、外に出てまで捕まえようとはしないが、ダンジョンの中に入れば話は変わってくるかもしれないとのことだった。
ただ、どうしてもワイバーンの肝は必要なので、今回はパペットがゴーレム達を連れて取ってくることになった。
「むしろ皆さんがいない方が楽です」
もうちょっと言い方があるだろうという感じの言葉をパペットは言ったのだが、昨日の探索状況を考えるとパペットとゴーレム達だけで十分という結論になった。
オフィーリアもドラゴンゾンビの襲撃で怪我をした冒険者達がいたので、その治療をするためにギルドで治癒の魔法を使うことになり「がっぽり稼ぎますよ!」と張り切っていた。
クリムドアだけは「ちょっとだるい」といって、今日は朝からベッドの上で丸くなってる。
そんなこんなでアーデルだけは手が空いてしまった。
冒険者ギルドのギルドマスターがアーデルに会いに来ることになっており、町長の家を離れるわけにもいかない。ならば薬草からエキスを抽出するかと思ったところで、執事からフロストに魔法の基礎を教えていただけないかと打診があった。
そして今に至る。
家庭教師としての給金が出ることになっているのだが、オフィーリアの話では「給金としてはあり得ないほど高い」ということなので、いい加減に教えるわけにもいかず、アーデルはしっかりと教えている。
アーデルがフロストが紙に書いた魔法陣を見ていると、フロストが質問するように右手を高く上げた。
「アーデルお姉ちゃんも先代のアーデルおばあちゃんって人からこうやって教わったの?」
「え?」
「アーデルお姉ちゃんは教え方が上手いと思う。だからアーデルおばあちゃんからもこんな風に教わっていたのかなって」
「ああ、そういうことかい。いや、私はばあさんの魔法を見て覚えただけだね。教わった魔法は昨日見せたあの魔法だけだよ。よく考えたら最後に教わった魔法じゃなくて最初に教わった魔法でもあるね」
「そうなの?」
「まあね。私はばあさんの魔法を見て、見よう見まねでやってただけさ。初めて光の魔法を使った時は、ばあさんも驚いていたね」
それを聞いたフロストは目を大きく開けて驚いている。
「見よう見まねで魔法を使うってすごい。普通、学校に行って先生から教わるって聞いたことがあるけど」
「学校というのは良く知らないが、勉強する場所だったかい?」
「うん。私はここから出られないから行ったことがないけど、王都にはそういう場所があるんだって」
「へぇ。まあ、フロストも薬ができればその学校とやらに行けるよ」
フロストは腕を組んで考える仕草をすると、アーデルのほうではなく、ちょっと視線を外して別の方を見た。
「私はアーデルお姉ちゃんに教わりたいなー。それに助けてもらったお礼をもっとしたいなー」
フロストは大きな声で独り言を言いながらチラチラとアーデルに視線を送る。
あまりにも露骨な態度にアーデルは少しだけ噴き出した。そして微笑みながら机越しにフロストの頭を撫でる。雑な撫で方ではあるが、フロストは嬉しそうにしている。
「悪いけど私にはやることがあるんでね。それが終わるまで待ちな。終わったら、魔法を教えてやってもいいよ」
フロストは不満げな顔をして、たっぷり唸ってから頷いた。
「分かった。そのやることが終わったらまた来て」
「いつ終わるか分かんないけどね」
「それならお父さんにお願いする。お父さんは結構すごいから、何をするのかは知らないけど、たぶん、すぐ終わる」
「何をするのか知らないのにすごい自信だね。ま、それはいいさ。ほら、勉強を続けるよ」
「はーい」
フロストは素直な返事をしてから新しい紙に教わった魔法陣を描くのだった。
昼食が終わった頃、冒険者ギルドのギルドマスターがやってきた。
元々やってくる予定ではあったが、何のために来るのかは聞いていない。遺跡内の情報に関しては昨日のうちにオフィーリアが全て報告済みでアーデルが改めて言う必要がなかった。
執事が屋敷の一室を用意して、そこへギルドマスターが通された。
何の部屋なのかは不明だが、質素でありつつもセンスのいい家具などが置かれており、アーデルとギルドマスターはテーブルを挟んで対面した。そして壁際には執事が待機している。
ギルドマスターはアーデルと執事に挨拶をしてから、執事が淹れた紅茶を一口飲み、アーデルを見て笑顔になる。
「まずはドラゴンゾンビを退治してくれてありがとう。助かった」
そう言って頭を下げた。
「気にしなくていいよ。で、話っていうのはそのお礼かい?」
「それもあるのだが、報奨金を持ってきた」
「報奨金?」
「ドラゴンゾンビを退治した者に金貨百枚と言ったのを聞いていなかったか?」
「ああ、あれか」
「なので受け取ってくれ」
ギルドマスターはそう言って金貨が入った袋をテーブルの上に置く。その後、執事が「失礼致します」と言って中を確認した。一枚一枚丁寧に確認し、アーデルに「枚数に間違いありません」と伝える。
アーデルは机に並べられた金貨を見て目を細めた。
「あー、えっと、たしかこの屋敷の敷地が一部ボロボロになってたはずだね?」
アーデルはそう言いながら執事を見る。
ドラゴンゾンビが襲来したときにフロスト達を踏みつけたのだが、結界で無事だったものの、敷地はそれなりの衝撃があり、そのせいで芝生が剥げたり、土が盛り上がったりしていた。朝から庭師が嘆いていたのをアーデルは見ている。
執事はなぜそんなことを言うのかと不思議そうな顔をしつつも「その通りです」と頷く。
「このお金はその修繕に使っておくれよ」
普段冷静沈着な執事が少し慌て首を横に振った。
「いえ、フロスト様の恩人からお金を受け取ることなどできません」
「こっちもこんなにお金を受け取っても仕方ないんだよ。それにお金に関してはブラッドに任せているからね。それで十分なんだ」
「しかし――」
「恩人を助けると思って受け取っておくれよ」
お金はたくさんあった方がいいが、こんな大金を使えるわけでもない。かなりの大金なのは分かるが、それがどこまで価値があるのかアーデルとしてはよく分かっていないというのもある。
アーデルと執事のやり取りが何度か続き、最終的に執事が折れて、金貨十枚だけ受け取ることになった。「旦那様になんと言えば」と困った感じになっているのを見て、アーデルは少しだけ悪いことをしたなと思ったが、思っただけで覆すことはない。
そして残り九十枚も冒険者ギルド渡すことにした。ドラゴンゾンビに対して他にも戦った冒険者がいたので、全員に分配してくれと頼んだのだ。
これもギルドマスターとやり取りが何度か続いたが、結局アーデルが押し通した。
そしてギルドマスターは執事よりも困った顔をしている。
「ドラゴンゾンビもそうだが、隣国から冒険者の権利を使って侵入した奴らことを暴いてくれたので追加で報奨金が出る予定なんだが……」
ギルドでアーデル達と諍いを起こし、遺跡の中まで追ってきた冒険者達はアーデル達からの情報で捕まった。冒険者としての権利を行使しているとはいえ、敵国に寝返りを促す行為をしていれば、国の法律で裁ける。
そんな事情もあって国からの報奨金がギルドを通して払われる予定だった。
「それもいらないよ。アイツらには皆が迷惑してたんだろ? 迷惑をかけられた奴にあげればいいさ」
ギルドマスターはこれも渋ったが、最終的にはギルドの建物内にある飲食店でしばらく無料提供するということで決まった。
「ところで、もう一人のじいさんは?」
「ああ、それなら――」
一人で逃げ出した老人に関してはすぐに町を出たので、指名手配されたとのことだった。優秀な魔法使いなので捕まえるのは難しいが、しばらくすれば捕まるだろうとギルドマスターは言った。
その言葉にアーデルは首を傾げる。
「しばらくすれば捕まるって、なんでだい?」
「昨日、この町に王都から優秀な魔法使いが来ていたので、その方に依頼したんだ。宮廷魔術師の弟子なのだが、何人かいる弟子の中ではそれなりに話が通じる方だから問題はないと思う」
「……もしかして金髪の縦ロールかい?」
「なんだ、知っているのか?」
「この町へ来る前に道を聞かれただけだよ。まあ、悪い奴ではなさそうだったね。思い込みは激しそうだったけど」
アーデルは、また何か面倒なことに巻き込まれるかもしれない、と思いながら溜息をついた。