閑話:魔女と生贄
日が変わろうとしている時刻、ミニットの町の屋敷に多くの貴族――正確には元貴族が集まっていた。
アルデガローと呼ばれた国はすでに滅び、領地は分割され隣国に吸収された。
住んでいた住民に多少混乱はあったものの、今ではその方が良かったと言う人も多い。
文句があるのは追放された貴族だろう。王族などは粛清の対象となったが、貴族達は命こそ助かったものの新しい国の貴族になることもなく、平民として生きろと言われて追い出された。
これは自業自得。魔族の王を倒した魔女アーデルが存命中だったころ、その力を自由にできるわけでもないのに他国に対して交渉という名の脅しを行ったのだ。
一方的な力関係で無茶な契約をさせられていた他国はアーデルが亡くなってから戦いを始めた。いままではその力に怯えていたが、死んだ人間を恐れる必要はない。
アーデルが残した魔道具による抵抗はあったものの、それくらいなら他国も所持しているものばかりで魔道具の戦力にそれほど差はない。
だが、アーデルの力という幻想に頼り切っていた貴族達は、領地を守る兵士の訓練すらもったいないとその金を娯楽に使っていたほどで、兵士達の練度は遥かに劣っていた。
ある程度は抵抗したものの結局王都まで攻め込まれ陥落した。そして領地を奪われ追い出された。
それを仕方ないと諦める貴族はいない。
追い出された貴族達はいつか返り咲くことを夢見て夜な夜な会議をしていた。
すでに民から見放されている貴族に何ができるのかを冷静に考えれば別の生き方もあっただろう。だが、今、彼、彼女達の原動力は貴族だったころの思い出と領地を奪い返した後の贅沢な生活というありもしない妄想だけだ。
今夜、貴族の一人が王の血を引いているという男の子を連れてきた。この子を新たな王として擁立し、決起を図るという話し合いがされている。
年齢的に王の子供ではない。だが、髪の毛の色や顔立ちが似ている。
気付いている者は子供が血を引いているかどうかは関係ないと考えた。むしろ傀儡の王として擁立した方が領地を取り戻した時の方のうまみが多い。そして気づいていない者は涙を流して忠誠を誓った。
当然、気づいた上で馬鹿なことをしていると心の中で嗤っている冷静な者もいる。この屋敷の所有者であるミニットの町長ロレンツォだ。
貴族の従兄弟という立場ではあったが爵位はなく貴族でもない。昔の誼で会合のための場所を提供しているが、そろそろいい加減にしてほしいと思っていたところであった。
そもそも従兄弟は戦争ですでに亡くなっている。今はすでに新たな国の人間として生きており、戦いをするつもりはない。そもそもこのことは新たな国に伝えてある。
元貴族達がバラバラで行動されるよりは一ヶ所に集まってもらった方がいいと国からも依頼されているのだ。
次の会合で一網打尽にしてもらおう。そう決意した時だった。
「ときにロレンツォ。娘さんは元気かね?」
年老いた男性の一人がにこやかな顔でそう聞いてきた。
なぜこのタイミングでそれを聞くのか。警戒しつつもロレンツォは笑顔で返した。
「ええ、最近は体の調子がいいのかベッドから降りて動けるようになりました。子供の頃はベッドから降りる事すらできなかったのですが不思議なことがあるものです」
「そうか、そうか。薬が効いたということかね?」
「根本的な原因が分かっていませんでしたので痛み止めしか飲ませていません。最近はその量も減ったのでありがたいことですね」
「ふむ。根本的な原因だが儂が調べたところによると、それは体内で作られる魔力に身体がついて行かないということらしい」
「なんですって?」
「最近魔女の名を語る女がそんな話をしていたらしいのだよ。実際に似たような状況の子を助けたこともあるそうだ」
「なら、私の娘も――」
「助けてもらうということか? それはどうじゃろうな。その魔女は大変な気まぐれなのか、誰かを助けるようなこともすれば、魔道具を強引に奪っていくこともするらしい。聖女オフィーリアが住んでいた村を滅ぼしたという話もある。まともに交渉できるとは思えんな」
「そうですか……」
娘――フロストの体調は良くなってきているが、普通の健康な子に比べたら遥かに不健康だ。一日の大半を部屋のベッドで過ごし、十八年で外に出たことなど数回、常に体に痛みを抱え、眠れない夜を何度過ごしたことか数えきれない。
そんな娘のためなら全財産を投げうっても助けたいと思っている。その魔女の名を語る女性になんとか交渉できないかと考え始める。
まずはより多くの情報を得ようとしたが、その前に老人が口を開く。
「その女が言うには魔力過多症という名前の病気らしい。君の娘さんは体内の魔力生成量が多いということなのだろう。最近調子がいいというのも、体の方が大きくなって魔力の量に耐えられるようになったということなのだろうな」
ロレンツォはなるほどと頷いた。
体が魔力に耐えられない。魔法に詳しくはないが、似たような話を聞いたことはあった。
その後も色々な話を聞き、それなりの情報が集まって冷静になったロレンツォは、なぜその話を今したのかという最初の疑問に戻った。
「さて、本題だ」
老人の元貴族は真面目な顔でロレンツォを見た。
「本題……?」
「遺跡にいる神に君の娘を捧げたい」
「……は?」
「昔、調べていたことがあったのだが、遺跡とは神が作り出した場所で、生贄を捧げると願いを叶えてくれるという話があってね」
「な、なにを言って――」
「まあ、聞き給え。誰でもいいという話ではない。魔力を多く持つ者ほど神は喜ぶ。君の娘なら神も満足するだろう」
「馬鹿な! 何を言っている! そんなことを許すわけが――」
ロレンツォがそう言った直後に、老人から風の魔法が放たれる。
命を奪う程ではないが、壁に勢いよく叩きつけられたロレンツォは床に倒れ、気を失った。
「お主達の献身、我らが末代まで語り継ごう。さあ、皆、神に願いを叶えてもらおうじゃないか」
すでにまともな思考ではない。十年という長い時間が皆をそう変えてしまった。ここでそんな話があるわけないと思う人間はいないのだ。
フロストは寝間着のまま、元貴族達に連行されていた。
体の痛みに耐える夜、部屋の外が騒がしいとおもったところで、多くの人達が寝室へと入ってきた。
そしてフロストを神に捧げるという。
なんのことか理解できなかったが、両親や今まで面倒を見てくれていた執事やメイドが人質となっている。そして断れば両親や執事達の命がないと言われれば事情を知らなくとも首を縦に振るしかない。
そして月明かりの下、痛みのある体のまま、詳しい事情を聞かされながら貴族達と歩いている。
生まれて初めて屋敷の敷地から外へ出た。
その理由が神への生贄。
フロストは自分の運命を呪う。
身体の痛みに耐えながら多くの人の献身で生き抜いた。親と同じように――もしくは親よりも懸命に世話をしてくれた執事やメイド達のために必死に耐えて生き続けた。
その末路がこれだ。
歳を重ねるほどに痛みが減った。痛みに慣れたのかと思ったが確実に痛みは減ってきている。あと数年もすれば自分も普通の人と同じように生きられる、皆に恩返しができると思っていた。
そのすべてが無になる。
自分は生贄になるためにいままで生きて来たのかと思うと自然に涙が流れた。
十分ほどで遺跡に到着した。
フロストが初めて見た遺跡は厳重に守られている。
遺跡の管轄は冒険者ギルド。もしかすると止めてくれるかもしれない。フロストはそんな期待をしたのだが、そんなことはなかった。
老人が門番らしき人物に金を握らせると、何事もなかったように遺跡の入口へと通したのだ。
これはもうなにも期待してはいけない。降ってわくような幸運もない。ここで嫌だと暴れたところで意味もない。むしろ人質になっている両親、そして執事やメイド達が危ない。
せめてそれだけはさせまいと、フロストは覚悟を決めて止まらない涙を手の甲で拭ってから目に力を入れた。
階段を下りたすぐの広間は巨大なドーム型だった。普段なら冒険者や商人で賑わう場所だが、時間が時間なので今は誰もいなかった。
そこで老人が両手を広げて「神よ! 生贄を用意いたしました!」と叫ぶ。他の者達も似たようなことを言い出した。
生贄を求める神は本当に神なのだろうか。フロストはそんな風に思いながら待つ。
特に何も起きないが、老人達は何度も呼びかける。
誰もが神なんていないのではないかと思い始めたときだった。
遺跡が大きく揺れた。
そしてドームの天井に近い場所で闇が広がる。そこから巨大な竜が床に落ちた。振動でフロスト達は立っていることができずに尻もちをつく。
黒く巨大な竜。物語でしか見ないような現実離れした生物が長い首をもたげて老人を見た。
「お前が呼んだのか?」
尻もちをついていた老人はその言葉を聞くと、すぐに立ち上がり、姿勢を正して頭を下げる。そして神への生贄を用意したこと、国と取り戻すための準備をしていること、そのための力が欲しいことを話した。
黙って聞いていた竜は生贄扱いされたフロストを見た。
ショックで気を失っても仕方がないほどだが、フロストは竜の目を見つめ返した。とはいえ、足は震えており、恐怖から立ち上がることもできない。
竜はニヤリと笑う。
「願いを叶えてやろう」
竜がそう言うと元貴族達は涙を流して喜んだが、次の言葉で絶句した。
「ここにいる全ての者の命と引き換えだ。それでこの国の王を殺してやる。さあ、生贄になれ」
竜は口を大きく開けて笑い出すが、元貴族達は悲鳴をあげて逃げ出した。
だが、ここから逃げられるほど甘くはない。竜はこの部屋に強力な結界を張り足止めしつつ、一人、一人と攻撃するのだった。
たった数分でほとんどの命は消えた。生贄を提案した老人は最初の犠牲者だ。残っているのはフロストとその両親、そして執事やメイド達だけだった。
なぜフロスト達だけが残されたのかは分からない。ただ、これはチャンスだとフロストは思えた。
「神様。願いを変更させていただけませんか?」
「ほう? 国の王を殺すのではなく、別の願いにしたいと言うのだな?」
「はい、その願いはもう必要ありません。なのでこれから言う願いを叶えていただきたいのです」
「言ってみろ」
「この人達をお助けください。私の大事な人達なのです」
フロストは皆を庇うように竜の前に歩み出た。未だに足は震えているし、体も痛い。だが、勇気を振り絞って前に出た。
「代わりに私の命を捧げます。ですからどうか、皆の命だけはお助けください」
当然、それを聞いた両親や執事達は反発する。むしろ、自分の命を捧げるのでフロストだけは助けて欲しいと言い出した。
竜はそれをつまらなそうに見ている。
「ここに来た時点でお前達はすでに俺の糧だ。代わりも何もお前達の命などすでに俺の物。お前はここ数十年の中でもかなり良質な魔力を持っている。だからメインディッシュとして残しておいたのだ。我は神、人ごときが神におあずけをさせる気か?」
竜はそう言って大きな口を開けた。
フロスト達はせめて一緒にと思い、目をつぶって身を寄せ合う。
だが、一向に竜が襲ってくる気配はない。
フロストは恐る恐る目を開けると、すぐそばに黒いローブを着た女性が立っていた。
黒いロングのストレートヘアに漆黒のような目。そして背筋が寒くなるほどの美しい顔をした女性がフロスト達のそばに立ち、竜の方へ右手を広げていたのだ。そしてその先には幾何学的な模様が掛かれた透明な壁があり、それが竜の攻撃を防いでいた。
「こいつは私の獲物なんだ。悪いが貰うよ」
黒髪の女性はフロスト達を見ることなくそう言った。
「おお! おお! なんという……! なんという美しい魔力! そこまで純粋で濃い魔力など初めて見たぞ!」
「そうかい。なら礼を言っておくよ」
竜の驚く言葉に女性は皮肉を返す。そしてフロスト達を覆うような新しい結界を張ってから、竜の方へ一歩踏み出した。
「さて、今からアンタを殺すから、全力で耐えな。そうすりゃ、少しだけ長生きできる」
「面白い奴だ。神を殺す? たかが人間にそんなことができるわけないだろう?」
「アンタは神なんかじゃないだろう?」
その言葉に竜はピクリと少しだけ動く。そして女を見つめた。
「貴様、何者だ?」
「……アーデルって名乗ってるよ」
「名前を聞いたわけではないが、なぜ俺が神でないことを知っている?」
「教えてもらったからさ。神になろうとしている亜神――その正体は人の信仰や畏怖で形成された魔力の塊、つまり思念体みたいなもんだってね。新たな神になろうと魔力を集めているんだろう?」
その言葉に竜は驚いた表情を見せてから、アーデルと名乗った女性を睨む。
「それを誰に聞いた?」
「情報提供者のことは言っちゃいけないんだが、アンタはここで死ぬんだから言ってもいいね。教えてくれたのは遥か昔に神の座を追われた奴だよ。今は山の上の神殿で優雅に本を読んでるだけだから本当かどうかは知らないけど。ここまで言えばアンタにも心当たりがあるんじゃないかい?」
「な、なんだと……!」
「そうそう、他にも教えてくれたよ。アンタは未来で私の邪魔をするそうだね。だから今のうちに殺しておいた方がいいと言われたんだ。悪いけど死んでもらうよ」
「未来? 未来だと?」
「そう、未来さ。この次元の時間軸じゃない、別の未来でアンタは私の邪魔をする。それは真の歴史を変えちまうから、そうなる前にアンタを殺すってことさ」
アーデルがそこまで言うと、竜は目を見開く。
「き、貴様! 時の守護者か!」
「自分でそう名乗ったことはないが、そう呼ぶ奴もいるね。さて、話はここまでだ」
アーデルはそう言うと今までとは比べ物にならない程の魔力を体から放出した。
竜の方といえば、すでに戦う気はなく後退りをしている。そして出現したときと同じように闇の穴を作り出して、そこへ逃げ込もうとした。
「逃がすわけないだろう?」
アーデルは単に右手を竜の方へ伸ばしてからぐっと握り込んだ。
たったそれだけの行動で竜の胴体は原型がなくなるほどつぶれ、首だけとなった。つぶれた個所は血がでるようなことはなく身体から黒いモヤが発生し、それが霞むように消えていく。
「ずいぶんと魔力をため込んでいるじゃないか。他の次元で悪さができないようにこれは回収するよ」
竜が逃げようとしていた闇の穴から黒いモヤがアーデルの右手に吸い込まれていく。つぶれたときには一言も発しなかった竜が今は絶叫とも言うべき声をあげていた。
「魔力が――俺の魔力が……! た、助けて……」
「これでアンタがまともな意志を持てるようになるには相当な時間が掛かる。数千年は大人しく死んでおくんだね」
直径五メートルはあった闇の穴は徐々に小さくなり最後には消えた。そこには最初から何もなかったように綺麗になり、広間は静まり返った。
フロストの目から見て何が起きているのかは全く分からない。
ただ、助かったのかもしれないと思い始めた。
「アンタらは大丈夫かい?」
アーデルと名乗った女性は両手の埃を払うようにしながら、フロスト達の方を見てそう言った。
フロストや両親達はコクコクと首を縦に振る。
「ん? もしかして魔力過多症なのかい? ああ、だからあれに捧げられそうになったのか」
「え?」
「薬もなくそこまで大きくなるとは頑張ったんだね。あと二年もすれば魔力量と体のバランスが整うからそれまでの辛抱だ。今は手持ちの薬がないから助けてやれないが、体に痛みがあるときは魔法を使って魔力を消費すればいい。そうすれば痛みは引くよ」
「え? えっと?」
自分の体のことを言っている、それはフロストにも理解できたが、これまでの情報量が多くそのすべてを消化できない。
「おっと。今度はあっちか。まったく忙しい夜だね。それじゃ気を付けて帰りなよ」
そう言ってアーデルは遺跡の出口の方へと向かう。
「あ、あの!」
フロストが呼び止めると、アーデルはその場に立ち止まり振り向いた。
「ん?」
「あ、ありがとうございました!」
フロストはそう言って頭を下げると、アーデルは照れ隠しの様に軽く右手を振った。
「気にしなくていいよ。ついでみたいなものだからね」
「つ、ついででも助かりました。お、お名前を聞かせてください!」
「アーデルだよ」
「え? 魔の森に住んでいたという魔女様……?」
「いや、同じ名前なだけさ。私はばあさんほどじゃない。私に世界を滅亡させるほどの力なんてないさ……」
「え、えっと……? で、ではアーデル様。ぜひ屋敷の方へ。お礼をさせてください」
「いらないよ。それに頼まれていることが多くてね。今は急いでるんだ」
「な、なら、またお会いできますか? その時は必ずお礼を」
「……そうだね、縁があればまたいつか会えるかもしれないね。その時はお礼をしてもらうよ」
アーデルはそう言って出口である階段を登って行った。
その後、フロスト達は生き残ったことを喜び合う。こうしてフロストの長い夜は終わったのだった。