亜神の領域
アーデルの身体から膨大な魔力が放出される。
触れればそれだけで身体を浸食し破壊するほどの高濃度な魔力だが、それは一部の人間にしか認識できない。
その魔力に気付かない男達は笑った。
「おいおい、粋がるのもいいが火の玉を相殺したくらいでそこまで言えるとは驚きだぜ。そもそも女達だけのパーティが俺達に勝てると思っていやがる――」
「黙らんか!」
男の言葉を止めたのは老人だ。その老人は離れていても分かるほど顔に汗をかいている。そして両手で持っている杖を強く握りこんでいた。
いきなり大声を出したとしか思えない男達は不思議そうに老人を見た。
「どうした、ジジイ?」
「この馬鹿が! たかが女の魔法使いだと!? 貴様、ギルドで何に喧嘩を売ったんじゃ!」
「へぇ、じいさんには分かるのか。無駄に歳をとっているわけじゃないようだね」
アーデルがそう言うと、老人は杖を構えたまま苦しそうにアーデルを見た。
「見逃してくれんか」
その言葉に全員がぽかんとする。
アーデルに対して死んでもらうとまで言っていたにも関わらず、すぐさま手のひらを返したのだ。
「ジジイ! 何を言ってやがやがる!」
「こいつらはどうなってもいい、儂だけでも助けてくれ」
あまりにも自分勝手な要求にこの場にいる全員が呆れた顔になる。だが、老人だけは真剣な顔でアーデルを見つめていた。
アーデルは少しだけ息を吐くと、魔力の放出を止めた。
「敵対しないなら戦う理由もないさ。追ったりはしないから勝手に帰りな」
「感謝する」
「ふざけんなよ、ジジイ! 何を言ってるのか分かってんのか!?」
老人は肩の力を抜くと男を睨んだ。
「やりたければお前達だけでやるんじゃな。儂は降りる」
「そんなことが許されると思ってんのかよ? てめぇには安くない金を払っているんだぜ?」
「それはお主じゃなくて国がじゃろう? そもそも命を懸けてまでお主の私怨に付き合うつもりはないのう」
「……なら仕方ねぇな」
男は持っていた剣を素早く鞘から引き抜き、そのまま老人を横に薙ぎ払おうとした。
だが、老人の結界の方が一瞬早く展開され、その攻撃を止める。
「仲間割れなら他でやってくれないかい?」
「うるせぇぞ! てめぇらは女達をやっちまえ!」
男がそういうと、他の男達もそれぞれ武器を構える。そしてアーデル達を見てニヤニヤと笑い出した。
「結局やるのかい。皆はもっと下がってな。パペット、皆を頼んだよ」
「お任せです。超守ります」
アーデルはパペットと戦闘用ゴーレム三体がオフィーリアとクリムドアを囲むように守るのを確認してから、男達の方を見た。
リーダーらしき男は老人との戦いになっているようで、それ以外の四人がアーデルの方へじりじりと間合いを詰めている。
もう一度、魔力を放出すれば男達を倒せるが、それはやらずにいつもの光線で倒すことにした。
ただ、出力は極限まで下げて、当たるとあざができるくらいの強さに調整する。普通にやったら風穴があくからだ。
アーデルとしてはそちらの方が面倒なのだが、殺すわけにもいかないので出力を調整しながら魔法陣を構築した。
アーデルの周囲に作られた四つの魔法陣から白い光線が高速で放たれる。
光線は男達の腹部に当たり、四人は壁際まで吹き飛ぶ。そして四人とも痛がることもなく気絶した。
その光景はリーダーの男と老人が戦うのを止めるほどだ。
「馬鹿な……!」
「やはりか。あれでも相当手加減しておるぞ。化け物に喧嘩を売るとはお主の悪運も尽きた様じゃな」
「人を化け物呼ばわりするんじゃないよ。それでどうするんだい? 戦うなら相手をしてやってもいいよ」
「儂はやらん。こいつらとは縁を切ってどこかへ逃げるつもりじゃ」
「ふざけんな! 俺達がやっていることはこいつにバレたんだぞ! この国から出れるわけねぇだろうが!」
「なら戦うんじゃな。まあ、勝てる見込みは万が一にないが――なんじゃ?」
老人はそう言うと、いきなりダンジョンが地震のように揺れ始めた。
酷い揺れではないが、かなり長く揺れている。
その揺れが一分ほど続いたが、それが収まると遺跡の奥の方から「オオォオォ」という叫び声のような音が聞こえてきた。
アーデル達が通路の奥の方へ顔を向けた瞬間、老人がリーダーの男へ炎の魔法を放った。
男が「うお!」と仰け反った瞬間に老人は部屋を出て出口の方へ走って行った。
アーデルはすでに老人にもリーダーの男にも注意を向けてはいない。注意するべきは先ほどの叫び声だ。
明らかに魔物の遠吠えとは違う、もっとおぞましい声。
「クリム、あの声はなんだい?」
「俺にも分からんが……いや、まさか……」
「何か知ってんのかい?」
「ここは亜神の領域だ。アーデルの魔力を吸いあげて進化が始まったのかもしれん」
「進化?」
「魔力を溜めたダンジョンは徐々に大きくなっていく。だが、一度にかなりの魔力を得られたので徐々にではなく、一気にダンジョンを大きくしようとしているのかもしれん。もしくはもっと最悪なことをするためかもしれんが」
「最悪なことってなんだい?」
「アーデルを捕食しようとしている可能性がある」
「なんだって?」
「アーデル程の魔力があるならダンジョンに取り込んだ方が効率的ということだ」
クリムドアがそう言った次の瞬間、通路の奥から何か巨大なものが歩いている音が聞こえた。
ズシン、ズシンと重量感のある足音が部屋へ近寄ってくる。
アーデル達は少しずつ通路から離れ、出口側の通路の方へと移動した。
敵対していた男も今はアーデル達を争っているわけにはいかないと、同じように後退りで出口側へと移動する。
そしてゆっくり時間を掛けて奥側の通路から足音の正体が姿を現す。
直後に咆哮した。
それはアーデルが未来で見た巨大なクリムドアのようなドラゴン――なのだが、身体のいたるところが腐敗しており、目に光がない。歩くたびに身体が崩壊しているような状況で何かが腐ったような匂いが漂ってくる。
「ド、ドラゴンゾンビだと?」
リーダーの男が震える声でそう言った。
生きている死体――ゾンビは自然発生するようなものではなく何者かに死体を操られているに過ぎない。
禁忌の魔法として忌み嫌われているが、小型の魔物や人間の死体なら普通の魔法使いでもゾンビとして操ることはできる。だが、巨大な魔物に関して言えば、よほどの才能か魔力がなければできないとされている。
ドラゴンゾンビがゆっくりと近寄ってくる。身体が腐敗しているためか、その動きは緩慢でいまだに体全体が部屋に入り切っていないほどだ。
アーデルはドラゴンゾンビを見据えながらクリムドアへ問う。
「こいつは亜神が操っているってことかい?」
「操っているのか作り出したのかは不明だが、間違いなく亜神が絡んでいるな。この規模のダンジョンでこんな奴が出てくるわけがない」
「仕方ないね、なら倒しちまおうか……もしかしてフィーは浄化の魔法とかで何とかできるかい?」
「無茶言わないでくださいよぅ。ゾンビの場合、浄化じゃなくて解呪ですけど、あんな大きなドラゴンのゾンビなんて大司教様でも無理ですって」
「やれやれ、ワイバーンの肝を取りに来たのに面倒なことばかりだよ」
そんなことを言いつつアーデルは周囲に魔法陣を構築する。
「待て。ここで戦うのはダメだ」
魔法を使おうとした矢先、クリムドアがアーデルを止めた。
「なんでだい?」
「ここは亜神の領域だと言っただろう? ここで魔力を使えば亜神はまた大きな魔力を手に入れる。もっと強力な魔物を作り出すぞ」
「……ならどうすんだい?」
「外で戦うしかない。もしかすると町が危険になるかもしれないが、ここで戦っても延々と戦うことになる。幸い、歩く速度はかなり遅い。外へ出て迎え撃とう」
それを聞いたアーデルはかなり長めの溜息をついた。
「ギルドで絡まれるわ、そいつらが追って来て襲ってくるわ、しまいにはドラゴンゾンビが出て来てここで戦えないときた。今日はなんて日なんだい?」
それを聞いたオフィーリアが「まあまあ」とアーデルをなだめる。
「それもこれもこの人達のせいなので、町に被害が出たときは賠償金を払わせればいいんですよ。それに隣国のスパイみたなものなのでギルドに突き出しましょう」
それを聞いたアーデルは笑う。
「そりゃいい案だ」
「ふ、ふざけんな!」
「ふざけてなんかいないよ。それともなにかい? ここで気絶している奴らとアンタを置いて行っていいって話なのかい? 従えないならアンタをおとりにするよ。殺しはしないが、アンタが魔物に殺されるのは別に構わないからね」
「て、てめぇ……!」
アーデルは睨んできた男に対して光線の魔法を放った。
魔力の消費を抑えたものだが、男の持っている剣を一瞬で根本から折る。
驚きの表情をしている男に向かってアーデルは「ふん」と鼻で笑う。
「外に出るまでは守ってやるから、仲間を一人担ぎな。パペット、残りの三人を戦闘用ゴーレムで運んでくれないかい?」
「仕方ないですね。ならドラゴンゾンビの骨をください。腐敗した肉はいりませんが、骨なら何かに使えるので。これは正当な報酬です」
「跡形も残さず倒すつもりだけど、ちょっとくらいは残ると思うからそれで我慢しな。さて、それじゃ一旦逃げようかね」
アーデルはそう言うと、一度だけドラゴンゾンビに視線を向けてから、皆と出口へと向かうのだった。