ダンジョン
アーデル達はフロストの家で一晩を過ごした。
豪華な食事に綺麗な部屋、ブラッドの実家でもそうであったが、平民ではまず味わえないような至れり尽くせりのもてなしを受けて、アーデル達は満足な夜を過ごせた。
フロストの父親はこの辺りを治めている領主の従兄弟にあたる。現在はその領主のところへ行っていて不在であり、母親の方もその補佐ということでこの屋敷にはいなかった。
フロストは寂しい思いをしていたが、アーデルのおかげで一時的ではあるが身体が良くなり、さらには屋敷内を自由に歩けるほどで興奮気味だった。
そしてオフィーリアは孤児院出身という事で小さな子の扱いはお手の物。
決して役に立つ話ではないが孤児院時代の面白いオチのある話を色々と語り、フロストは終始笑顔で、寝る時間になっても「寝たくない」と駄々をこねるほどだった。
そんなフロストはいつもより少しだけ夜更かししため、起床の時間になっても起きないと執事は笑顔で言いながら朝食の準備をしている。
アーデル達は綺麗なテーブルクロスが掛けられた長テーブルの席について、その準備を待つ。
準備が終わると、執事は笑顔のままアーデル達に食事を促した。
そして「いただきます」と言って食事が始まる。
「皆様、昨日はありがとうございます。フロスト様があれほど楽しくしているのを見るのは久しぶりでございました」
その言葉に近くで給仕しているメイド達も嬉しそうに頷いていた。
「いいんですよ、私なんか何もしてないのにこんなにもてなされて恐縮しちゃいますから」
オフィーリアはそう言いつつもパンを掴む手が止まらない。
執事は「そんなことはございません」と言って微笑んだ。
「オフィーリア様のお話はフロスト様にご好評でございました。屋敷からほとんど外へ出たことがないフロスト様にとって外の世界は届きそうで届かない夢のようなもの。お休みになる直前まで外へ出たいとわがままを言う程になりまして」
「それは、いい事、なんですよね……?」
「もちろんでございます。フロスト様はここ最近まで生きる気力を失いかけておりました。そのフロスト様が外へ出たいとまで言い出したのです。こんなに嬉しいことはありません。旦那様や奥様もどれほどお喜びになるか……ブラッド様がいらしてくれたのは女神様のお導きなのでしょう」
執事は「申し訳ありません」と断りを入れてから背中を向けて、ハンカチを目元に持っていく。
町長であるフロストの父親はブラッドが冒険者時代に世話になった人の一人だった。
ブラッドは商人として仕事をすることになった報告と顔つなぎという意味も込めてここへ寄った。そこでフロストの事情を知って、アーデルの薬を飲ませたという。
滋養強壮の薬ではあるが、試しに飲ませたところ、普段飲んでいる薬よりも遥かに体の痛みが治まった。アーデルなら治せる薬が作れるかもしれないとブラッドに頼んだ経緯がある。
その頃からフロストは少しだけ笑顔が戻った。
「あの薬は薬草も煎じてあるけど体内の魔力を消費して身体を癒す魔法薬なのさ。それが上手く作用したんだろうね」
アーデルは用意されたパンを食べながらそう言った。
「とはいえ、あの薬じゃ本当に一時的だ。熊ゴーレムを抱えているのも大変だし完全に治る薬はないけど、効果が長持ちする薬を作っておこうじゃないか。頼んだ物は手に入るかい?」
執事は少しだけ困った顔をしてから口を開いた。
「昨日、すぐに薬師ギルドへ人を送ったのですが、一つだけどうしてもすぐには手に入らないものがあるようです。入荷にはかなりの時間が掛かるとのことで……」
「ワイバーンの肝はさすがに無理か」
「はい。それだけはなかなか市場に出回りません。ワイバーンはかなりの強さを持つモンスターですので高名な冒険者くらいしか倒せないようでして」
ワイバーンは飛竜とも言われる竜型のモンスター。
ドラゴンの様に前足はなく、鳥の様に翼と足しかない。そして竜の様に知性があるわけでもなく思考は動物並みだ。ただ、牙や足の爪には毒があり、戦うとなれば危険度は高い。
「どうしたもんかね。この辺にワイバーンはいないのかい?」
「この辺りにはおりません。町の近くにワイバーンがいるとなれば安心して住めませんので見たらすぐに討伐を依頼してしまいますから」
「だろうね。さて、どうしたもんか……」
「ダンジョンの下層にならいるかもしれないぞ?」
さっきまで骨付き肉をかじっていたクリムドアがそんなことを言い出した。
「ダンジョンの下層?」
「ダンジョンは生態系が異なるモンスターが大量にいる。その理由は色々あるが、亜神達の遊びというのが有力だな。まあ、理由はともかく地上でワイバーンを探すよりも遥かに確率は高いと思うが」
「そういえば、ばあさんはその研究もしていたね。どちらかと言えばダンジョンで発生する魔力の研究だったけど――それはどうでもいいか。ならこの近くにダンジョンはあるかい?」
アーデルの質問に執事は考え込む。
「ダンジョンといいますと冒険者ギルドが管理している遺跡の事でしょうか?」
クリムドアは「ああ」と言ってから頷いた。
「この時代では冒険者ギルドが遺跡として管理しているのだな。間違いない、その遺跡のことだ」
「この時代……? いえ、それでしたら近くにございます。なにしろ、この町はその遺跡を管理するために作られたような場所ですので」
「なんだ、なら話は早いじゃないか。ちょっと行ってワイバーンを狩ってくるよ」
その言葉にオフィーリアが慌てる。
「いやいやいや、夕飯の食材を買いに行くんじゃないんですから。ワイバーンですよ、ワイバーン。お肉は美味しいけど危険って話ですよ?」
「私にしたらお使いみたいなもんだよ。よし、ワイバーンの肉は久しぶりだし、今日の夕食はそれにしようじゃないか。料理長とやらに頼んでおいておくれよ?」
アーデル達の会話に執事やメイド達は驚いているようで、何度も瞬きをしている。
「あ、あの、高名な冒険者でさえワイバーンを倒すのは数人掛かりだと聞きますが……」
「私なら倒せるよ。何度か経験もあるし。ダンジョンの中ってのは初めてだけど」
そもそも魔の森に住んでいたアーデルはワイバーンよりも強く凶暴なモンスターと戦ったこともある。むしろ魔の森でワイバーンは弱い部類だ。
「朝食を食べ終わったら腹ごなしに行ってこようじゃないか。ほら、皆も急ぎなよ」
「わ、私も行くんですか!?」
「大丈夫だとは思うけどワイバーンは毒を持っているからね、何かあった時のために解毒の魔法が使えるフィーが必要なんだよ」
それを聞いたフィーが体を震わせた。そして満面の笑みになる。
「そういうことなら仕方ないですね! フロストちゃんのためにも頑張りますか! いやー、アーデルさんに頼られちゃったなー!」
それをずっと黙って聞いていたパペットが口を開く。
「そのダンジョンに超強力なゴーレムが必要だと思います。むしろ必須と言ってもいいと思いますが。明かりとかマッピングとかすごく重要」
「たしかにそういうのも必要だね。よし、頼りにしているよ」
「仕方ありませんね。そこまで頼られたら行かざるを得ません」
アーデルは訝し気な顔をしたが、クリムドアの方へ視線を向ける。というよりも全員が向けた。
「俺はここで待って――行くよ、行くからそんな目で見ないでくれ」
「クリムは知識でサポートしてくれればいいよ。ダンジョンのことに詳しそうだからね」
「それくらいならなんとかなるか。しかし、またダンジョンに行くことになるとは……」
「なんか言ったかい?」
「いや、なんでもない。それじゃ、フロストのためにも頑張るか。治せるなら早く治してあげるべきだろうからな」
そんな会話を聞いていた執事とメイド達は目に涙を浮かべながら深く頭を下げるのだった。