閑話:魔女とゴーレム
アーデルは空を自由に飛んでいた。
鳥よりも速く飛び、雲を上に突き抜けては雲海を眺め、魔法を止めて重力のまま落ちることもある。そんな好き勝手な動きをしながら、アーデルは不規則に飛び回っていた。
どこかへ行こうとしてるわけではない。目的があるわけでもない。ただ、遮蔽物のない空を自由気ままに飛んでいただけだ。
もう何もすることがなくなってしまった。
生きている理由すらない。
かと言って死にたいわけでもない。
先代のアーデルを追放したウォルスや人間達に復讐をするつもりもなく、ただ、魔力の限り空を飛んでいるだけだ。
「どこかで静かに暮らそうかね……」
そう呟いたアーデルは移動を停止して、東の方へと視線を向ける。
魔の森のさらに東。海が広がっているだけでその先には何もないと言われている。
その先に飛んでいくのも悪くない。誰もいない島があるのか、もしくは別の文明があるのか、それとも何もないのか。どんな結果になってもここにいるよりはマシだと、そこへ行くことを決意する。
一瞬、頼まれたことを思い出し、何も無かったら約束を果たせないとも思った。
それは一瞬で数秒後には別にいいかと思い直す。勝手に押し付けられたようなもので、どうなってもアーデルには関係がないのだ。
さあ、行こうか。
そう思った直後に地上から強力な魔法の攻撃が襲ってきた。
炎の槍のような魔法が、下からではあるが土砂降りの雨の様に襲ってくる。
アーデルは瞬時に結界を張ってそれを防いだ。
少しだけ口角をあげる。
「そういやアイツがいたね。別れの挨拶でもしておこうか」
アーデルはそう言ってから炎の魔法を放ってくる相手の方へと向かった。
攻撃をしてきた相手が誰なのかは分かっている。地上からアーデルのいた場所まで魔法で攻撃してくる知り合いは一人だけ。
魔道具を無理矢理回収した後、しつこく付きまとってきたゴーレムだ。
人形師パペット。
今ではそう呼ばれ、自ら作り出したゴーレムの軍団を従えて事あるごとに襲ってくる。何度戦ったかは分からないが、決してあきらめることはない。
こちらに非があるわけではないが、完全に破壊するのは忍びない。追い払うだけだったが、会う度に体を改良して、最近はかなりの強さになった。
今日でそれも終わりだと、アーデルは地上へと向かう。
魔法を撃ってくる地点を見ると、アーデルの予想通り、百体近いゴーレムの軍団が地上に整列していた。
アーデルがゴーレム達の前に降り立つと、一糸乱れぬ行動でゴーレムの列が二つに分かれ、その中心から一体のゴーレムが近寄ってきた。
その姿は最初に会ったころとは違い、今ではかなり改良されている。
下半身は蜘蛛のようになり、足は八本、いくつもの関節がある腕は六本、背中には黒い翼、体は全てアダマンタイトと呼ばれる強固な金属で作られており、魔法を受け付けない対策もされている。
会った頃の原型を留めておらず、昔から同じなのは無表情の顔だけだ。
普通の人が見たら化け物だと怯えるだろう。こうなってしまったのは自分のせいかとアーデルは申し訳ない気持ちになった。
「パペット」
アーデルがそう言うと、パペットと呼ばれたゴーレムは複数ある右腕の一本を出した。
「魔道具を返してください。それはアーデル様に返すようにご主人様に言われています」
「これのことだね」
アーデルはそう言って亜空間から魔道具を取り出す。
周囲から魔力を吸収し永遠に燃え続けるランプ。
「それです。返してください」
「返しても何も、これは元々ばあさんの物なんだけどね」
「はい。なのでアーデル様に返さなくてはなりません。貴方に返す物ではありません」
「……本当に?」
アーデルの言った言葉が理解できなかったのか、パペットは首を傾げる。
「貴方はアーデル様ではありません。だから貴方に渡すことはありません」
「なら私がアーデルではないって証拠は? すくなくとも見た目はばあさん――先代のアーデルにそっくりなんだがね?」
「魂の色が違います」
「魂の色……?」
「魔力の色のことです。アーデル様とは一度お会いしたことがあります。ご主人様に連れられて魔の森まで行きました。当時は動くこともできず体も小さかったですが、分析能力はありました。アーデル様の魂――魔力を見たことがあります」
「なるほどね、私の魔力とは違うってことか……」
本来、魔力を可視化することはできない。膨大な魔力であれば空間が歪んで見え、触れれば痛みを感じることもあるが、それでも無色透明だ。
ただ、一部の魔法使いや分析の魔法に長けた者はその魔力を形として見ることができる。
人から発せられる魔力は大きさや色、それに波長などが微妙に異なり、同一の物はないと言われている。そういったことから魔力の色は魂の色とも言われていた。
「貴方の魔力は綺麗です。そしてアーデル様の魔力はもっとどす黒い」
パペットの言葉にアーデルは何かを言いかけるが、視線を下に向けてから息を吐いた。
「そうだね。ばあさんの魔力は汚れちまったんだ。魔族の王なんて放っておいて、ウォルスの奴と二人でどこか遠くへ逃げればよかったんだよ……」
そんなアーデルの様子をパペットは不思議そうに眺めている。
「話は終わりです。魔道具を返してください」
アーデルは燃え続けるランプを見てから、パペットの方へ放り投げた。
「え?」
パペットはアーデルの行動によほど驚いたのか、上手く受け取ることができず、六本もある腕がわたわたと動き、ランプをお手玉の様に扱った。
だが、ようやくしっかりと手に取る。
「やるよ。持ってきな」
パペットは無表情だが、警戒しているようだった。
「なぜ今になって返すのですか?」
「理由が必要かい? それが欲しかったんだろ?」
「貴方とは何年も戦いました。でも、絶対に返してくれなかった。変化に興味があります」
「別に何もないさ。ただ、魔道具の回収はもうやめたんだ」
「なぜやめたのです?」
「アンタには関係ない事さ。ただ、その魔道具、いつかは破壊しなよ。ソイツは危険だからね」
「危険? ですが、破壊したらアーデル様に返せません」
「ばあさんはもう死んでるんだ。永遠に返せないんだよ。それに貸してはいたが返してくれることを望んじゃないさ――いや、最初は望んでいたのかもしれないけどね」
「何を言っているのか分かりません」
「だろうね。まあ、いいさ、どうなろうともそれはアンタ達の決断だ。私が関与することじゃないよ――でも、そんな姿にさせちまった詫びだ。壊す時期を教えてやるよ」
「壊す時期?」
「そのランプの炎が黒くなったらすぐに破壊しな。黒い炎から出る光はあらゆるものを殺しちまうからね。ゴーレムだって例外じゃないよ」
パペットはランプを見た。
ランプの炎は紫色。それがゆらゆらと動いている。
「この炎が黒くなるのですか?」
「返しに来ていれば問題なかったんだけどね……ばあさんは魔道具を世界中にばらまいて人を試しているのさ。守った価値があったのかどうかってね」
「意味不明なことばかり言わないでください」
「ああ、悪かったね。とにかく、それはやるよ。だからもう会うこともない」
「そうですか。せっかく貴方を倒すために体を改良したのに無駄になりました。怒っていいですか?」
「それも悪かったね。昔の姿には戻れるのかい?」
「問題ありません。時間は掛かりますが戻せます」
「そりゃよかった。もう私を襲う必要もないんだから、昔の姿に戻ってどこかでひっそり暮らしな。私もそうするから」
パペットは無表情だ。それは昔から変わっていない――が、アーデルにはその表情が残念そうに見えた。
「私を倒せないのが不満なのかい?」
「貴方との戦いは刺激的でした。より強く、より高性能に改良する必要があったのですが、それは私にとって喜びでもあります。それがなくなると思うと少し残念です」
「そうかい。私もアンタとの戦いは楽しかったよ……そうだ、アイツにもちゃんと挨拶をしておかないとね。手紙でも送るか」
「なんです?」
「いや、こっちの事さ。それじゃ、さよならだ」
「はい――最後に一ついいですか?」
「なんだい?」
「貴方はいつも私に言ってました。すごいじゃないか、と」
「会う度に強くなってたからね。でも、それがどうしたんだい?」
「もう一度だけ言って貰えますか? 私はすごいと」
アーデルは首を傾げたが、少しだけ笑うと口を開いた。
「パペットはすごいよ。会う度に強くなっていったのもあるけど、一つのことを迷う事なくやり遂げようとする姿は本当にすごいと思ったね。私にはそれができなかった。アンタは私よりも遥かに優れた奴ってことさ」
アーデルがそう言うと、パペットの八本ある足や六本の腕がグネグネと動いた。その動きは気持ち悪いほどの滑らかさだ。
しばらくそのままだったが、それがピタリと止まった。
「もっと褒めてもいいですよ?」
「最後だから絶賛してやったんだよ。それで満足しな。それじゃ今度こそ本当にさよならだ。ゴーレムに言う事じゃないが、元気で過ごしなよ」
アーデルはそう言って飛行の魔法を使い宙に浮いた。そして高速で北の方へと飛んでいく。
パペットはずっとアーデルの姿を目で追ったが、それが見えなくなるとランプを亜空間へとしまった。
パペットに表情はない。
ただ、今はどことなく寂しげな表情でアーデルが飛んで行った方をずっと眺めるのだった。