時の守護者
膨大な魔力を纏うアーデルに死の象徴ともいえる死神は巨大な鎌を構えて警戒する様子を見せた。
アーデルは死神に右手をかざす。直後に極大の光線が死神を襲った。
だが、死神にはダメージがなかったようで鎌を持ったまま立っていた。消せたのは羽織っていたボロボロのマントだけだ。
「アーデル! そいつは倒せない!」
「あぁ? 倒せない?」
「今からお前を過去に戻す! それまで結界を張って耐えろ!」
過去に戻す。そう聞こえたが、アーデルは眉間にしわを寄せた。
そもそもその理由が分からない。それに今は喧嘩の最中。売られた喧嘩を買わずに逃げるのは先代アーデルの言葉に背く行為。敵に背中を見せて逃げるわけにはいかない。
「馬鹿言ってんじゃないよ。喧嘩はビビった方が負けなのさ」
死神はアーデルの魔力を警戒した。それは危険だと感じたから。倒せないのなら危険を感じることもない。
「そいつは時の守護者だぞ!」
「だからなんだい? 私は世界最高の魔女、アーデルの名を受け継いだんだ。その名前を名乗った以上、負けは許されないんだよ。それにコイツのマントは消えた。マントを消せるならコイツも消せるさ」
なんの根拠もない暴論に竜は一瞬呆けるが、アーデルは凶悪な笑みを浮かべて死神を見た。それと同時アーデルの周囲に複雑な魔法陣がいくつも展開される。
あらゆる属性の攻撃が死神を襲った。地水火風に光と闇、氷や雷もあれば、属性のない攻撃の魔法もある。そのすべてが死神一人に向かう。
死神はその攻撃を躱すことなく受けたが、とある攻撃だけは高速で避け、そのままの速さでアーデルに接近した。
「避けたね?」
本当に倒せないのなら避ける必要もない。避けたということは当たりたくない攻撃があったということ。嫌がった攻撃は属性のない攻撃魔法。
アーデルは周囲に強固な結界を展開する。
アーデルの首を狙っていた死神の鎌はその結界により遮られ、大きな音が鳴った。
「終いだ」
アーデルは両手を死神に向けた。なんの属性もなく、純粋な魔力の塊をぶつける魔法。それが視覚できない程の速さで、自身の結界すら破壊し、死神の頭を貫いた。
頭の右半分がなくなったままでも死神は立っていたが、青白い炎のような目が徐々に薄くなっていき、それが完全に消えると、死神は力を失ったようにその場に崩れ去った。
床に転がった骨や鎌は一瞬で砂に代わり、数秒でその砂もなくなった。そこには最初から何もなかったように床は綺麗になっている。
「一瞬で消えちまったよ。遺言くらいは聞いてやるべきだったんだが――何を呆けてんだい?」
竜が目を丸くしてアーデルを見ている。理解が追い付かない、もしくは理解したくないという気持ちが強いのか、目の前で起きた事象に脳の処理が遅れているようだった。
「お、お前……」
「人を化け物みたいに見るんじゃないよ。見た目はアンタの方が化け物だろうに」
「い、今の奴は時の守護者だぞ……?」
「さっきからそう言ってるが、だからなんだい?」
「神にも等しい者だということだ! お前は人の身でありながら神を殺したんだぞ!?」
「神? 人の信仰がなければ存在できないような奴に負けるわけないだろう?」
「違う! お前が言っているのは単に強大な力を持っている思念体のことだ! そんな亜神ではなく、この世界を創造した本物の神だと言っているんだ!」
「そんな奴がいるのかい? いや、あの骸骨はそうじゃないね。もしそんな神だったなら倒せるわけがないじゃないか」
「そ、それはそうかもしれないが……」
「そんなことよりも、だ」
アーデルは床に転がった椅子を元に戻して座った。そして足を組んで背もたれに体を預けてから竜を見つめる。
「さっき、私を過去に戻すと言っていたね? どういう意味だい?」
「言葉通りの意味だ。お前をこの時代に送ったのは世界の滅亡を早める行為。なら、元の時代に戻すことが最善だろう……その上で頼みがある」
「頼み?」
「お前が先代のアーデルが作った魔道具を回収したとしても二千年後には世界が滅びる。それはお前が全てを回収できなかったということだ」
「……まあ、そうなんだろうね」
「頼みと言うのは私の記憶――お前がいなかった世界の記憶を過去の私に渡してほしいということだ。元々の記憶とこの世界での記憶があればすべての魔道具を回収できる可能性が高い」
「言いたいことは色々あるが、記憶を渡すなんてできるのかい?」
竜は何もない空間から黒い玉を取り出した。直径十センチ程度の大きさで、中には小さな光がいくつか輝いている。夜空に見える星のような輝きだ。
「これは記憶の宝珠と呼ばれるものだ。これを昔の俺に見せればすべてを理解するはずだ。お前を改めて未来に送るような真似はしないだろう。まあ、やりたくともできないだろうが」
「アンタが過去に戻ればいいんじゃないかい?」
「俺はもうすぐ魔力がなくなって死ぬ。この世界と共に滅びる運命だ。だからお前に頼みたい」
「勝手に決めるんじゃないよ。そもそも私は帰りたいなんて言った覚えはないね」
アーデルの言葉に竜は思考が停止したように止まったがすぐに口を開く。
「待て、何を言っている? ここにいたところで世界は滅びる。ここへ来たときに見ただろう? あの黒い太陽の光は全てを消し去る。それはお前も例外ではない。この世界に留まったところで未来はないぞ」
「いつかは誰だって死ぬさ。それが早いか遅いかだけの話じゃないか」
「お前は自分の命が惜しくないのか?」
「ばあさんが死んじまってからあまり面白いことがないからね。そもそも私は人が嫌いなんだ。人間も魔族もエルフもドワーフもね。五百年で滅ぼうが、二千年で滅ぼうが私には関係ないよ。ばあさんのどんな魔道具が滅亡のきっかけになったのかは知らないが、自業自得な話じゃないのかい?」
アーデルはそう言うと笑い出した。
「人が嫌いな理由を聞いてもいいか? なぜそんな風に思っている。お前はアーデル――先代のアーデルを慕っているのだろう?」
「ばあさんは別さ。私を育ててくれた恩があるからね。でも、他の奴らはどうなろうと構わないさ。恩もなければ義理もないよ。だいたいね、ばあさんに頭を下げて魔道具の作製を依頼していた奴らは、ばあさんが亡くなったと分かった瞬間に罵ったよ。勝手に死にやがったとね。しかも貸してた魔道具はもう自分達の物だとも言いやがった。私が殺してやりたいほどさ」
アーデルは笑顔だが、身体からは殺気に近い魔力が溢れている。触れた瞬間に命を奪われると言っても過言ではない。
「それにばあさんがなんであんな危険な森に住んでいたと思う? 強すぎる力を持っていたから人の世界から追い出されたのさ。世界を救った英雄の一人だったのに用が済んだら今度は恐怖の対象さ。その上、自分達の手に負えない何かがあったら助けを借りに来る。滅んで当然の奴らだよ」
アーデルの言葉は止まらない。さらには魔力の濃さも尋常ではなくなってきた。
そんな状況にもかかわらず、竜はアーデルに近寄る。高濃度の魔力に竜の体はそれだけでダメージを受けていたが、それでも前に出た。
アーデルは呆れた顔をして魔力の放出を止めた。
「死ぬのは勝手だが、私の魔力で死のうとするんじゃないよ」
「人を嫌いな理由は分かった。だが、そんな一部の人のためだけにすべてが滅んでいいと思うのは早計だ。人には悪い奴もいればいい奴もいる。それだけの話だぞ」
アーデルはその言葉に驚きの表情を見せた。そんな表情を見せることに竜の方が驚いたほどだ。
「どうした?」
「……ばあさんも同じことを言ってたよ。人は悪い奴ばかりじゃない、いい奴もいるってね。それに変わることもできるとも言っていたよ。大したもんさ、あれだけの仕打ちを受けてそれでも人を信じようとするなんてね。でも、結果はこれさ。ばあさんが言っていたことで唯一間違っていることだと思えるよ」
「なら、こうしよう。過去に戻って先代アーデルの言葉が正しいかどうか確かめてみたらどうだ? もし間違っていたら世界を滅亡させてもいい。正しいなら世界を滅亡から救ってくれ」
その言葉にアーデルは笑った。
「世界を滅亡から救ってくれとか滅亡させていいとか、私をなんだと思ってんだい?」
「お前にはそれができる力――魔力がある。時の守護者を退けるほどの力があるなら、世界の滅亡も救済も思いのままだ。そうだろう?」
「ずいぶんと持ち上げるね……」
アーデルはそう言って腕を組み思案顔になる。
数秒後、竜に視線を向けた。
「一つ聞かせて欲しいんだけどね、地表を覆う黒い雲、あれはアンタの魔法かい?」
「そうだ。黒い太陽の光を遮るためにやった。本来の使い方とは違うが、地表を守るには仕方がなかった。この神殿も私の魔法で――」
「そっちはどうでもいい。聞きたいのは人――生物が何もいない地表をなんで守っていたんだい?」
「それは――」
「私のためかい?」
竜は目を大きく開いたが、観念したように口を開く。
「その通りだ。私はお前を未来――この時代に送った。それが間違いだった以上、私はお前を元の時代に返す責任がある」
「それでこんな何もない場所にずっといたのかい?」
「時の守護者に捕まったというのもあるが、お前ならいつかこの場所へ来ることができると思っていたからな。私が死ぬ前に来てくれて良かったよ」
アーデルは右手で自分の後頭部を雑に掻く。そして大きく息を吐いた。
「なら私をこの時代に送ったことはなかったことにしてやるよ。丸焼きにして食ってやろうかと思ったが、見逃してやろうじゃないか」
「そんなことを考えていたのか……いや、そんなことよりも過去に戻って世界を救ってくれるのか?」
「そんな義理はないんだが、アンタには恩がある」
「恩……? 戻ってくれるのは助かるが、お前の過去に戻すのは俺の責任だ。恩を感じる必要なんて――」
「違う違う。時の守護者とやらの攻撃から守ってくれただろう? その恩さ。そして恩があるならきっちり返さなきゃいけない。これはばあさんがいつも言っていたことだ。仕方ないから過去に戻ってやるよ」
「本当か!?」
「だが、世界を救うなんて話はなしだ。私はばあさんが残した魔道具を回収したいだけだからね」
「もちろんだ。それが世界を救うことになるのだから、俺としては同じことだ」
「期待はするんじゃないよ」
「期待くらいはさせてくれ。それだけを希望にいままで生きてきたんだ」
「……まあ、好きにしな。それじゃやるのかい?」
アーデルの言葉に竜は真剣な目つきで頷く。
直後にアーデルがいる場所に時渡りの魔法陣が出現した。そこへ竜の魔力が注がれていく。
アーデルは立ち上がって椅子を亜空間に入れると、何かに気付いたように竜を見た。
「私は過去に戻るがわけだが、アンタはどうなるんだい?」
「さあな。お前を過去に戻した瞬間に魔力がなくなって死んでしまうかもしれないし、しばらくは生きられるかもしれない。どうなるかは分からないが、少なくとも俺の役目は終わる。たとえこの世界が崩壊したとしても構わないさ」
「そうかい。なら、最後に聞いておきたいんだが」
「なんだ? もう時間がないぞ?」
「アンタの名前は?」
竜は目を大きく開く。そして笑った。
その行為に不満そうな顔をしたのがアーデルだ。
「面白いことを言ったつもりはないんだがね?」
「いや、悪気はないんだ。ただ、いまさらだと思ったら笑いがこみあげた。この二千年で初めて心から笑えたよ」
竜はそう言うと優し気な目でアーデルを見た。
「俺の名はクリムドアだ。クリムと呼んでくれていいぞ」
「愛称で呼んでいいのかい? なら友達だね」
「友達――そうか、友達か。ありがとう、アーデル。生まれて初めて友達ができたよ」
「そりゃお互い様だ。私にも初めての友達だからね」
「そうか。だが、せっかく友達になれたがそろそろお別れだ。過去の俺によろしくな」
「一応、過去のアンタにも友達として振舞ってやるから安心しな。それじゃ、クリム、ゆっくり休みなよ」
アーデルがそう言った瞬間に時渡りの魔法が発動する。
その瞬間に魔法陣からあふれ出した光がアーデルを包んだ。