救世の魔女と時渡りの竜
その日、アーデルは自分が世界で一番幸せだと自負していた。
普段なら絶対に着ないような白いドレスに身を包み、相手の迎えを待つこの時間は説明ができないほどの幸福な時間だ。
自分よりもはるかに張り切っている親友を冷めた目で見ていた時期もあったが、その準備が進むたびに気持ちが乗ってきた。派手にするつもりはなかったのだが、そのおせっかいな親友のおかげで多くの人が集まり、それなりの規模になっている。
ただ、客が何人いようとも言葉が欲しいのは唯一人。そして今の自分の姿を見てなんと言うのかを想像する。
照れ臭そうにしながら綺麗だと言ってくれるだろうか、それとも言葉に詰まるだろうか。もしくは何も言わないという可能性もある。それを想像すると少しだけ怒りが湧いてきたが、期待する方が間違っているとも思えてくる。
そんなことを考えながら待っていると控室の扉がノックされた。
つい先ほどまで多くの知り合いが来ていたが、負担をかけてはいけないと親友が退散させた後だ。式の時間まではまだあるので、誰だろうと思いつつも「開いてるよ」と声をかける。
扉が開けて入ってきたのは初めて会う老婆。ただ、どこかで会ったことがあるような顔にも思える。
「どちら様だい? ここは花嫁の控室だ――教会の関係者なら、その通路の先だよ」
老婆はサリファ教の信者が着ているローブを纏っている。その身なりからして親友よりも高位な関係者。なので今日の結婚式のためにやってきた教会の人だとアーデルは判断した。
今日の式の進行に関しては親友に頼んである。むしろ他の人にやらせるくらいなら、そいつを殴り倒して代わるとまで言い出すほどだ。アーデルとしても他の人にやらせるつもりはないので快諾した経緯がある。
老婆は少しだけ目に涙を浮かべながらアーデルに笑顔を向けた。
「いえ、近くに寄ったものだから祝福の言葉を述べさせようと思って……本当に綺麗ね」
「え? ああ、それはありがとうよ。これはね、知り合いのドワーフやエルフ、それに魔族の王がお礼にと用意してくれた装飾品に合わせて親友が作ってくれたドレスなんだ。私よりもやる気になって作ってくれたけど、自分用に作っているんじゃないかって心配してたほどさ」
結婚式の主役は自分なのに乗っ取られるくらいの気概であったため、アーデルはつい先日まで心配していたほどだ。逆に他人でしかない自分のためにそこまでやってくれる友人は親友に昇格するほど感謝している。
「貴方の親友さん?」
「口よりも拳が先に出るようなガサツな奴だけどね、化け物並みの魔力を持っている私を人扱いしてくれる得難い奴さ」
そこまで言って、どうも今日は口が軽くなっちまうね、とアーデルは心の中でつぶやき、深呼吸をして心を落ち着けようとする。そして先ほどよりも嬉しそうにしている老婆に対して続けた。
「ガラじゃないけどそんな親友が作ってくれた服を着るのも悪くないよ。まあ、中身がこのドレスに釣り合っているかどうかは分からないけどね」
「もちろん釣り合っているわよ。それに綺麗といったのはドレスのことじゃなくて、貴方のことよ、アーデル」
「それこそありがとうよ。でも、そういう言葉は今日の相手に言われたいもんだね」
「言ってくれるわ。貴方はこんなにも綺麗な魔力をしているもの。それと相まって本当に綺麗よ」
「魔力が見えるのかい? プロポーズの時もアイツはそう言ってくれたね。目が潰れないことを祈ってやるさ」
「大丈夫よ、いざとなったら貴方の親友が治癒魔法で治すだろうから。それじゃそろそろ時間のようね。でも、その前にお祝いの言葉を言わせて」
老婆はそう言って綺麗で小さな蓋つきの籠をアーデルの前に差し出しながら微笑む。
「結婚おめでとう、アーデル」
「ありがとう。それで、これは?」
「中にクッキーが入っているの。式の後にでも食べて」
「クッキー? 言っておくけど、私はクッキーにうるさいよ?」
「もちろん知っているけど、貴方の親友にも負けない美味しさだと自負しているわ」
「そうかい、ならありがたくいただくよ。このドレスを着ているから今は食べられないけど、式が終わったら必ず食べるから」
「ええ、そうして。それじゃ式は大変だろうけど頑張って。私は遠くから見させてもらうから」
「近くで見なよ。それにさっき言った親友が腕によりをかけて大量の料理を用意したんだ。人数を考えろって言いたいほどにね」
「そうしたいのだけど、まだ巡礼の旅が終わっていないから――それではサリファ様のご加護があらんことを。貴方の人生が光り輝く素晴らしいものでありますように」
老婆は微笑んだまま、サリファ教の祝福をアーデルに与える。
アーデルはサリファ教の信者ではないが、普段から親友に祝福を受けているので慣れたものだ。少しだけ頭を下げてその祝福を受ける。
老婆は最後にもう一度だけアーデルに微笑むと控室を出て行った。
その後、アーデルは不思議な老婆だったと考えることになってしまった。どこかで会ったことがあるような感じもするし、自分の名前を知っていた。クッキー好きなのも知っているし、どこで会ったのだろうと記憶を漁る。
どうしても思い出せなかったのだが、扉が開いて親友が入ってきたところでようやく理解した。
「アーデル、準備は大丈夫?」
「ああ、待ちくたびれちまったくらいさ。そうそう、メイディー、アンタに似たばあさんが今祝ってくれたよ。もしかして親戚かい?」
「私に似たばあさん? 私の親戚にサリファ教を信仰している人なんていたかしら?」
「アンタよりも位が高そうなローブを身にまとったサリファ教の人だったね」
「え? 何それ? そんな人、呼んでないけど……」
「なんか巡礼の途中だとか言ってたけど」
「それなら可能性はあるかも……でもね、今日の進行はこの私がやるって決まってるから! サリファ様は言いました、『本当にやりたいことがあるなら手段を選ぶな』と!」
「……なんでアンタのところの神様が一番人気なのかいまだに信じられないんだけどね……」
「サリファ様に喧嘩売ってんの!?」
「むしろ神様が私に喧嘩を売ってるようなもんだけどねぇ……まあ、いいや、行こうか。早くウォルスの奴がどう反応するか知りたくてね」
「変なこと言いだしそうになったら殴って黙らせるから安心して」
「私の結婚式で流血沙汰は止めておくれよ」
アーデルはそう言いながら、親友のメイディーと共に控室を後にするのだった。
魔女アーデルが結婚式を挙げる村から少し離れた丘、そこにはアーデルとクリムドアがいた。
そこそこ遠い場所からでも村の中心で魔女アーデルとウォルスの結婚式が見える。決して大きくはないが、それでも派手にしようと入念に準備された結婚式。人は少ないながらも歌に踊りにと皆が楽しんでいる。
その場所へメイディーがゆっくりと歩いてきた。
「お待たせしてごめんなさいね」
メイディーがそう言うと、アーデルは首を横に振る。
「ばあさんの晴れ舞台だ。最後までじっくり見たらどうだい?」
「そうしたいけれど、あまり余計なことをしてこの世界の歴史を変えたくないもの」
「ちょっとくらいなら歴史の強制力が働くらしいから大丈夫らしいけどね」
「それでもよ。それに長居したらずっと居たくなってしまうわ……ありがとう、アーデルちゃん、それにクリムちゃん。アーデルの幸せそうな姿を見ることができて本当に幸せよ」
亜神がのこした分身体を倒すため、多くの世界を渡り歩いているアーデル達。たまたま、魔女アーデルの歴史を変えようとしていた分身体を倒した後、魔女アーデルとウォルスの結婚式があることを知った。
そしてそれを見たアーデルが元々いた世界のメイディーに伝えると、自分も連れて行ってとせがまれ、やってきたところだった。
「私がいた世界の歴史ではないけれど、この世界や他の世界のアーデルが幸せになっているのなら何も問題はないわ。それにアーデルが滅ぼした世界でも改めて繰り返されるのよね?」
「神が言うにはそうらしいね」
「素晴らしいわ。サリファ様はもういないらしいけど、改めてサリファ様に感謝しないと」
「サリファは何もしてないけど――いや、なんでもないから拳を握るのは止めておくれよ」
「もちろん冗談よ。こういうのは今後オフィーリアにやってもらいますから私は手を出さないわ」
「メイディーやフィーみたいなのを狂信者っていうんだろうね……さて、それじゃフロストがむくれるからすぐに戻ろうか」
アーデルの言葉にクリムドアが首を横に振った。
「何を言ってる。時間はいくらでも調整できるのだから、俺たちが時を渡った数秒後に戻ってこれる。フロストからすれば一瞬だ」
「そういやそうだったね――でも、すぐに戻ろうか。フロストもそうだが、政略結婚とはいえ、コニーとベリフェスの結婚式があるからってフィーが頑張っているからね。手伝わないと文句を言われちまう」
「そうだな。ブラッドやパペットも張り切っているから、手伝わなかったら後で何を言われるか分からん」
「確かに。それじゃこの前みたいに時間を間違えるんじゃないよ」
「任せろ。もう大丈夫だ……と思う」
クリムドアが時渡りの魔法を発動する。地面に作られた魔法陣が白く輝き、それが白い光となってアーデル達を包んだ。
その光の柱は結婚式をしている村からもはっきりと見えた。それは神がこの世界を祝福をしている事象と言われている。
そしてその光の柱ができる前は一人の女性と小竜が何度も確認され、多くの人を救っていたという。
いつしかその女性と小竜は神の遣い――女神サリファの遣いと言われ、世界を救っているのだと噂された。
それが村の近くで起こったことで、女神サリファもこの結婚を祝福しているのだと、村は大騒ぎになったのだった。
元・神であるキュリアスは自らが住む図書館で微笑みながら本を閉じた。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、本をもとにあった本棚へと戻す。そしてすぐ隣にある本を取り出すと、また座っていた場所に戻って本を開いた。
本には何も書かれていない。だが、キュリアスが本を指でなぞると、文字のようなものが浮かび上がり、それがつらつらと白紙のページを埋め尽くす。
それを読み、また微笑むキュリアス。ただ、その笑顔がすぐに、しまった、という顔になった。キュリアスと同じ時間軸に生きる神との約束があったのを思い出したのだ。
キュリアスは名残り惜しそうに本にしおりを挟めてから、机の上へ大事そうに置いた。そして椅子から立ち上がると、急いで図書館の奥にある扉を開ける。
扉の先は地平線まで続く草原。快晴で雲一つなく、さわやかな風が流れ、鳥のさえずる声と川のせせらぎが聞こえる楽園とも言える場所。
キュリアスはその楽園へと足を踏み入れた。
視線のすぐ先にはシンプルな白いテーブルと椅子が三つ。その一つには友人であるオーベックが座っていた。
「ごめん、待たせたね」
「構わん。たまには休みたいからな。むしろ来るのが早いと文句を言いたいほどだ」
それは本音だったようで、テーブルの上にはまだ飲みかけの紅茶や食べかけの茶菓子が置かれていた。
「さて、来てしまった以上、仕事だ。さっそく状況を聞こうか?」
「そうだね、世界の大半は元に戻ったよ。いくつかの世界ではまだ亜神の分身体がいるが、それは私達の友が倒してくれるだろう」
「そうか。なら世界は持ちこたえたわけだ」
「不満かい?」
そう問いかけるキュリアスに対してオーベックは少しだけ苦い顔をする。そして少しだけ息を吐いてから紅茶を少し飲み、また息を吐いた。
「そうは言ってない。だが、いまだに我々が介入するべきだったのかという思いがある」
「……また殴られるよ?」
「それは御免だが……しかし、あの亜神エイブリルも元はと言えば人の負の感情が意思を持った魔力だろう。それを何とかするのは我々ではなく人なのではないだろうか。たとえそれで世界が滅んだとしても、それは人の選択によるものだと思うが」
「君が言っていることもわからなくはないが、その議論に関してはもう結果が出ているだろう?」
「あれは議論ではなく暴力だろうが」
「たしかにそうだけどね、友は『人を救わずして何が神だ』と言っただろう? それに反論できなかった君の負けだ」
「……分かっている。だからお前達の仕事も私が引き受けてやっているじゃないか。全部押し付けおって」
「それはありがたく思っているよ。まあ、もうしばらく頼むよ。図書館の整理がまた済んでいないからね。それが終わったらこっちに戻るよ」
「ああ、早めにお願いする……それはそれとして一つ聞きたのだが」
「なんだい?」
「友は戻ってくるだろうか?」
オーベックの不安げな問いかけにキュリアスは空いているもう一つの椅子を見る。釣られたようにオーベックもまたその椅子を見た。
そこには本来座るべき友がいるのだ。
しばらく沈黙が続いたが、キュリアスは微笑んだ。
「戻ってくるさ――ただ、その時になんと名乗るのかは知らないけどね」
「……人の身で神に至ると?」
「彼女にできないことがあると思うかい? それに本人が神を目指さないとしても、間違った歴史が正しく戻るように、友もまた、自分がいるべき場所に戻るさ」
「そうだといいのだがな」
「どれほどの時間がかかるのかは分からない。だが、待とうじゃないか。友がまたその椅子に座る時をね」
キュリアスはそう言ってテーブルの上にある紅茶を飲む。
少々味気ないのは友がいないからだろうか。だが、いつかこの紅茶を美味しく飲めるときが来ると信じている。その時、どちらの名を名乗るのかを想像するのが今の密かな楽しみだ。
おそらく友は魔女の名前を名乗って座るだろうなと思いながら、キュリアスは束の間の休日を楽しむのだった。
人を慈しむ女神がいた。
人に危険が迫ったとき、自らの命を絶って助けることにした。
神が人として生きられるようにと多くの力と記憶を捨てた。
祝福されるべき人の元へと向かい、友人たちの助けを得て全てを元に戻す。
全てが終わったら彼女は本来いるべき場所へと戻るだろう。
だが、それは遥か遠い未来の話。
世界最高の魔女の名を受け継いだ彼女は、その名に恥じぬようにまだまだ多くの世界を救わなくてはならないのだから。
滅亡の魔女と時渡りの竜 完
作者のぺんぎんです。
主人公の正体が何だったのかは途中からお気づきの方も多かったとは思いますが、それも含めて少しでも楽しんでもらえたのなら幸いです。
パラレルワールド物というほど別の世界を行ったり来たりするような内容ではなかったのですが、複雑過ぎても分かりにくいかと思ってこんな形になりました。とはいえ、これでも分かりづらい内容だったと思います。
また、週一の投稿だったこともあって、完結まで時間がかかってしまいました。それでも最後までお付き合いいただけて本当にありがとうございます。
では、また別の作品でお会いしましょう!