正しい歴史の世界
アーデルは創造神キュリアスがいる空間へとやってきた。
相変わらずキュリアスは本を読んでいるが、以前アーデルが来たときよりも机の上の本が片付いていた。だが、そんな状況は今のアーデルにとって取るに足らない些細なこと。むしろ何とも思っていない。
キュリアスが本から視線を外してアーデルの方を見る。
誰が見ても不満そうな顔をしているアーデル。それを隠そうともしておらず、明らかに機嫌が悪く、むしろキュリアスに殺気にも近い視線を送っていた。
そんな状況にキュリアスは苦笑いしているが、それがアーデルをさらにイラつかせた。
「ばあさんはアンタらの尻拭いをしてくれたよ。なにか言うことはないのかい?」
「そんな怖い顔をしないでくれ。君にそんな目をされるのは心苦しいからね」
「嘘をつくんじゃないよ。神のことだ、人にどう思われようとどうでもいいんだろう? 私だってそこらの虫にどう思われようと関係ないしね」
「神が人を虫だと思っているのかい? それに僕は、元、神だよ。今は単に魔力の強い神ではないなにか、というだけでしかない。気持ちは分かるが、まずは冷静になって欲しい。まずやるべきことをやってから話をしようじゃないか」
その言葉にもアーデルはイラっとしたが、他の世界に影響する行為だということは理解しているので、不満そうにしながらも竜王の卵をキュリアスに渡した。
キュリアスはその卵を確認してから一度だけ頷く。
「確かに受け取った。浄化されていないクリムドアの魂も入っているし、はるか未来に竜として転生したクリムドアが別の世界の君に会いに行くだろう。そうすれば、君の世界と同じようにその世界は救われる」
「世界を救うね……でもね、私を育ててくれたばあさんや、私の世界に来たばあさんが救われない」
「分かっていたことだろう。すべてを救うことはできない。それは神でも同じだ」
「役立たずな神だね。しかもばあさんにおんぶ抱っこだとはお笑いだ。アンタらは世界に必要ないんじゃないのかい?」
その言葉にキュリアスが笑顔になる。
アーデルは虚を突かれたように驚きの顔になった。
「君の言う通りだ。世界には必要のない存在だろうね――とはいえ、人は自分たちだけで歩いていくにはまだ力が足りない。それをほんの少しだけ手助けしないといけないんだよ」
「力が足りないだって?」
「いつか人は神を必要としない時がくるだろう。それこそが神の望みでもある。だが、それはもっと先の話。今はまだ見守る存在が必要なのだよ」
「上から目線は止めな。アンタらの尻拭いをしたのはばあさん――まぎれもない人なんだからね。アンタらは人を操ってこそこそしていただけだ」
「確かにその通りだね。それに今回の事象は初めて観測された。まさか魔女アーデルが亜神を倒すとは想像していなかったよ。僕としては君が亜神を倒すものだと思っていたんだけどね」
「私はばあさんの足元にも及ばないさ」
「そんなことはないが、そう思うことは大事かもしれないね。さて、まだまだ言いたいことはあるだろうが君にお願いがあるんだ。どうか聞いてもらえないかな?」
そう言ってにっこり笑うキュリアス。
その顔面にメイディーから教わった右ストレートをぶち込みたいと思ったが、まずは話を聞いてからだと冷静に努めるアーデルだった。
キュリアスの話を聞いたアーデルは教会にある扉から出てきた。
いつの間にかアーデル村にある教会内の扉とキュリアスとの空間が繋がっていたことを知ったアーデルは竜王の卵を持って入り、そして礼拝堂へと戻ってきた。
こちらの世界では一分もかかっていない状況ではあるが、あの空間にはかなり滞在していた。精神的に疲れているアーデルだったが、オフィーリアをはじめとする皆が待っていたようで、その顔を見ただけで疲れが癒える。
「アーデルお姉ちゃん、あの部屋で何かしてたの? すぐに出てきたけど?」
フロストの問いに、アーデルは少しだけ微笑んで答えた。
「まあ、ちょっとね。ところでメイディーは――」
「私はもう大丈夫よ」
アーデルの声が聞こえたのか、メイディーが自室から出てきて笑顔でそう言った。
アーデルが自らの魔法で消えてしまった日から一週間ほど経ったが、昨日までメイディーはかなりふさぎ込んでいた。オフィーリアやフロストの献身的な介護があったので回復していたが、今朝はまだ会っていなかったで心配していたのだ。
ただ今のメイディーはアーデルが思っているよりもはるかに顔色は良くなり、気力が充実している。
「アーデルが死んだくらいでへこんでいたらあの世から笑われちゃうから」
「ばあさんがメイディーのことを笑うわけないだろ。でも、元気になってくれてよかったよ。メイディーやフィーのクッキーがないと調子が出ないからね」
「嬉しいことを言ってくれるわね、それじゃクッキーと一緒にお昼の用意をするからオフィーリアもフロストちゃんも手伝って」
「お任せください!」
「うん! 今日こそアーデルお姉ちゃんに美味しいって言わせる!」
メイディーとオフィーリア、そしてフロストの三人は食堂の方へと向かい、礼拝堂にはアーデル、クリムドア、コンスタンツが残った。
食堂からにぎやかな声が聞こえ、皆が笑顔になるが、しばらくするとクリムドアが真面目な顔になった。
「キュリアスとの話はどうだった?」
「それはこれから話すけど、その前にクリムはそのサイズで問題ないかい? 昨日までは教会に入れないくらい大きかっただろう?」
「問題ない。アーデルが作ってくれた術式の魔法陣で小さくなれたからな。むしろこの方が魔力消費が抑えられて効率的だ」
「そりゃよかった。ちなみに魔力の許容量に変化はないかい?」
「許容量? 特に変化はないぞ。本来なら魔力があると体が大きくなるが、さっきも言った通り魔法で身体を小さくしているだけだからな。今は身体の大小で魔力量は変わらないし、このサイズも維持できる」
「そうかい、それなら大丈夫かな」
「アーデルさん、一体何の話をされているんです?」
何の話をしているのか分からないコンスタンツが眉間にしわを寄せながらアーデルに尋ねる。
「ああ、悪いね。でも、クリムの身体の大きさがちょっと関係あるんだよ。身体の大きさと言うよりも魔力の許容量のことだけど」
「どういうことだ?」
アーデルの言い方にクリムドアもコンスタンツも首をかしげる。
「亜神の本体はばあさんが倒してくれたけど、亜神の分身体がまだ色々な世界にいるみたいなんだよ。そいつらを片付けて欲しいと頼まれちまってね」
「他の世界にいる分身体ということか? どうやって――まさか俺が時渡りを?」
「魔国で魔力をキュリアスがいる場所へ送っているだろう? あの場所でもちょっとは魔力の浄化できるようでね、それをクリムへ送るとか言ってたよ。そうすれば月に一回くらいは時渡りの魔法が使えるって寸法さ。小さくても魔力の許容量が変わらないようなら問題ないし、時渡りの魔法も神が改良してくれたから、好きな世界の好きな時間に行けるらしいよ」
「……つまりもう引き受けたのか?」
「他の世界のばあさんを助けられるって言われたら断れないさ」
「アーデルさん! そういうときはもっと交渉するべきですわ! 実質タダ働きではありませんか! そもそも魔女アーデル様の魔法で魔の森から魔力が失われそうなんです! うちの収入源が数年後にはなくなりそうなんですよ!?」
魔女アーデルが使った「魔王を殺す魔法」。魔法が完成した後の白い粒子がアーデルの家と森に降り注いだのだが、そこからゆっくりとではあるが魔の森の魔力が減っている。
その後の調査で判明したことだが、魔の森も亜神の支配地域だったようで、汚染も進んでいた。魔女アーデルの魔法はその魔力を浄化して綺麗な魔力にするというよりも、汚染された魔力を消すような効果があり、それがゆっくりではあるが魔の森全体に広がっている状態だった。
そんな効果があるのを知らなかったアーデルは驚いたのだが、問題は別にある。濃い魔力のおかげで魔物が多く、それを倒したときの素材で資金を稼いでいるコンスタンツとしてはまさに死活問題だ。
「魔力が減ったら普通に開拓すればいいじゃないか。今までは薬草に使えそうな花しか育たなかったけど、これからは農作物だって育つさ。それに魔の森は広大だよ。貴族の中じゃ一番土地を持っている奴になったんだから喜びなよ」
「そう言われるとそうなのですが」
「それにアルバッハとかベリフェスとかルベリーが来てくれるんだろ? それにドワーフやエルフが何人か移住してくるわけだし、獣人たちもいる。広さも人数もどの国にも劣らないような領地になるんじゃないのかい?」
アルデガロー王国の宮廷魔術師アルバッハ、ジーベイン王国の宮廷魔術師ベリフェス、そして魔国の議員であるルベリーがコンスタンツが治める領地にやってくる予定になっている。
その目的は魔女アーデルが使った「魔王を殺す魔法」の効果を調査するため。
時間がかかるとはいえ、魔力の性質を換えたり、もしくは完全に消すという魔法はどの国でも解析したいほど汎用性のある魔法となる。すぐに行きたいと連絡が来たほどだ。
「それはいいのですが、一体どこから情報が漏れたのか……ブラッドさんとパペットさんが漏らしたに違いありませんわ! 独占するつもりはありませんでしたが、せめて他国には恩を売りたかった……!」
ブラッドとパペットは現在も魔国で農作物の研究をしている。それとアーデルが作った魔力を吸収する魔道具の設置も行っており、二人は魔国内を駆けまわっていた。
そんな二人にも鳥ゴーレムでこちらの情報を伝えたのだが、魔国の状況に同情しているブラッドか、情報の価値を分かっていないパペットがルベリーに伝えたのではないかというのがコンスタンツの意見だ。
ドワーフのグラスドやエルフのリンエールにも調査をお願いしたいので、それはコンスタンツ側から伝えたのだが、アルバッハとベリフェスだけはいまだにどこから漏れたのか謎だ。
「調査するなら優秀な奴らが多い方がいいだろうさ。ばあさんは静かにしてほしいかもしれないけど、誰もいない魔の森で眠ってるのは寂しいからね。ウォルスと一緒だからどうでもいいかもしれないけど、にぎやかなのは悪いことじゃないよ」
「にぎやかどころか術式に関しては騒音をまき散らすような人材になりかねませんが……そうそう、開拓していつかあの周辺に人が住めるようになったとしても、アーデルさんの家の周辺だけは保護いたしますから安心してくださいな」
「私の家でもあるからそうしてもらえると助かるよ」
コンスタンツは頷くと「さっそく受け入れの準備が必要ですわね!」と教会を出て行った。
アーデルはそれを呆れた目で見ている。
「話が終わってないのに行っちまったよ」
「コニーは領主として領民を富ませるのが好きなようだな。宮廷魔術師よりも向いているかもしれないぞ。それで、話の続きは?」
「どこまで説明したんだっけね……そうそう、他の世界にいる亜神の分身体を倒すわけだけど、時渡りの魔法をクリムに使ってほしいんだよ。私にもできなくはないが魔力がちょっと足りなくてね」
「確かに俺の方が魔力を貯め込めるな。それに神がいる場所から供給されるというなら問題はない。ただ……」
「ただ、なんだい?」
「それだけでいいのか? この世界に来た魔女アーデルを救うための交渉をしに行ったのでは?」
キュリアスに会いに行く前のアーデルは明らかに怒っていた。
許されないことをしたのは間違いなく魔女アーデル。だが、そこには自分ではどうしようもない理由があった。しかもそれは神の怠慢が起こしたことであり、その全てを背負ったのが自身の魔法で消えた魔女アーデルだ。
世界を滅ぼした罪、そして問題を起こしていた亜神を討伐した功績。それらを考えれば、この世界に来た魔女アーデルは救われるべきというのがアーデルの考えだ。
その交渉のために神に会いに行ったわけだが、戻ってきたアーデルは明らかに怒りがなくなっている。
「本当かどうかはこれから分かることだけどね、滅亡した世界はキュリアスが責任をもってもとに戻すそうだよ」
「世界を戻す……? そんなことができるのか?」
「正確にはまた同じ世界を創るようだけど、今度は亜神がいない正しい歴史の世界になるそうだね。そこでならばあさんも幸せに生きられるらしい。並行世界のことは良く分からないけど、消えてしまったばあさんが幸せになる世界がまた始まるというなら信じるしかないね」
「原理はともかく、正しい歴史の世界になるということか……だからそんなに機嫌がいいのか?」
「そういうのは気付いても言わないもんじゃないのかい?」
アーデルはそう言って笑う。
魔女アーデルがいなくなってふさぎ込んでいたのはメイディーだけではない。アーデルもメイディーほどではないがふさぎ込んでいた。
そのアーデルが元気を取り戻して嬉しいのかクリムドアも笑う。
「そうだな、空気が読めない発言だった。それじゃこの世界の魔道具は回収が終わったことだし、今度は亜神の分身体を倒すために色々な世界へ行くとするか」
「ずいぶんとやる気じゃないか。でも、フィー達を置いていくと怒られるから皆の用事が済んでからだね」
アーデルがそう発言すると食堂の扉が開く。
「私のこと呼びました?」
「なんでもないよ。お昼はもうできたのかい?」
「もう少しかかりますけど、座って待っててください。ちなみに控えめに言っても最高傑作だと言っておきましょう!」
「最高傑作かどうかは知らないけど、いつも美味いとは思ってるよ」
「……アーデルさんは大盛にしておきますね!」
「お、俺もいつも美味いと思ってるぞ!」
「クリムさんは量があれば何でもいい感じですからねぇ」
「そんなことはないから俺も大盛にしてくれ」
「どーしよっかなぁ?」
そんな二人のやり取りにアーデルは笑顔になると、クリムドアと共に食堂へと向かうのだった。
次回最終話「救世の魔女と時渡りの竜」です。