神を超えた証明
魔女アーデルに対峙するメイディー。決して魔女アーデルと同じだけの魔力があるわけではない。そして年齢による身体の衰えから、下手に魔力を放出しては身体の方が持たない。それでもその目には「必ずアーデルを止める」という決意が見える。
そんな状況で魔女アーデルが口を開いた。
「手紙を見るだけだって言ってるのに、よくもまあ、そこまでの魔力を練れるもんだ。若い時よりもすごいじゃないか」
「貴方相手にはこれでも足りないわ。それでどうなの、ウォルスからの手紙が貴方の心を満足させたら世界を滅亡させないって約束してくれるの?」
「なんでそんな約束をしなきゃならないんだい。そもそもメイディーを殺して手紙を読んだっていいんだよ?」
「ならそうしなさい。でも、その時はこの家ごと手紙を焼き払うわ」
その言葉にはさすがの魔女アーデルも驚いたのか、眉間にしわを寄せた。
「本気かい?」
「ええ。逆に聞くけど私を殺して手紙を読むのは冗談だったの?」
「……そもそもこれは何の交渉だい。たとえ約束したってただの口約束じゃないか。いつだって破れちまうよ」
「貴方は約束を守る。それがたとえどんな小さなことでもね」
「どこからその自信が来るのかは分からないけどね、私がアンタを殺せないと思ってるなら――」
「貴方の世界では私を殺せたの?」
魔女アーデルはメイディーの言葉に体を少し震わせた。そしてばつの悪そうな顔をして視線を外す。
それを見たメイディーは少しだけ頬を緩ませた。
「アーデル、貴方が五十年耐えたのは間違いないだろうけど、なんで五十年も耐えたの? 貴方ならすぐにでも世界を滅ぼせたはずよ」
魔女アーデルは何も答えない。視線すら合わせようとはせず、顔を背けたままだ。
「ウォルスや私が寿命で死ぬまで待っていたんじゃないの? ウォルスや私を殺せないから、ずっと耐えてくれていたんじゃないの?」
「そんなことは――」
「貴方はね、自分が思っているよりも優しいのよ。どれだけの破壊衝動を押さえ込んでいたのか私には想像もできない。でも、貴方はウォルスや私のためにずっとそれを押さえ込んできた」
「……優しい奴はね、世界を滅ぼしたりしないさ」
「貴方の世界のウォルスや私が死んだことで耐えきれなくなったのね。でも、耐えて。今度は私のためじゃなくて、ここにいるアーデルちゃんや貴方を慕っている村の人達のためにも」
「私を慕っている村の人……?」
「近くにアーデル村という貴方へ感謝している人が住む村があるわ」
「なんだい、そりゃ……」
「ここにいるアーデルちゃんがね、貴方への不当な評判を払拭しようと色々やってくれたのよ。今度、貴方の銅像を建てる予定よ」
魔女アーデルはちらりとアーデルの方へ視線を向ける。アーデルは肯定するように頷いた。
その後、数分黙っていた魔女アーデルは天を仰ぐと、大きく息を吸う。そして首を戻しながら大きく息を吐いた。
「私の親友は酷い奴だね。五十年耐えたのに、まだ耐えろっていうのかい……」
魔女アーデルは雑に頭を掻くと、メイディーを見て口を開く。
「分かったよ、でも、まずは手紙を見せな。書かれている内容によっては今度こそ止めないからね」
アーデルとしては本当に大丈夫なのかと心配だが、メイディーの方はそれを完全に信用しているようで、「少し待ってて」と言って家の中へ入っていった。
単なる口約束。だが、自分の親友とまで言った相手との約束。それは絶対に守ってくれるとメイディーは信じて疑っていないのだろう。二人の間にはどれだけの信頼関係があるのかとアーデルは思う。
「何をジロジロ見てんだい。言っておくけど、少しでも気に入らないことがあったら世界が滅ぶと思いなよ」
「少なくともメイディーがいる間は平気だと思うけどね」
アーデルがそう言うと、魔女アーデルは舌打ちしてから地面を軽く蹴った。そこで何かに気付いたのか動きが止まる。
「そこの墓には私が眠ってるのかい? 二人分あるようだけど」
「ウォルスの遺体も並べて埋めてあるよ。遺体を私が引き取ったんでね」
「そうかい……アイツと話をしたことは?」
「少しだけばあさんのことを教えてもらったよ。ばあさんの――アンタの隣に立つためにどれほどの想いで努力したのか分からないって言ってたね」
「……それは私の方さ。魔力しか誇るものしかない私が最強と言われたウォルスの隣にいるのがどれほど大変だったか……」
「そうそう、決まった時間にお気に入りのお茶を飲んでいたよ。アンタの分も用意してね。初めてウォルスに会った時、大事な時間だから邪魔しないでくれと言われたよ――ばあさんが亡くなった後もそれだけはしていたみたいだ」
「……そんなことをする暇があったなら、私を迎えに来ればよかったんだ。私の言葉を真に受けるなんて馬鹿な男だよ」
「ウォルスも死ぬ前にそう言ってたよ。惚れた女の本心も分からなかった馬鹿な男だってね」
「……死ぬ前に少しだけ賢くなったみたいだね……」
魔女アーデルはそういうと、墓の前に片膝をついた。そして指を絡ませ祈るように目を瞑る。
その辺りのことは経験がないのでアーデルには分からない。ただ、オフィーリアやコンスタンツ、それにフロスト曰く、女心は複雑らしい。
ただ、分かることもある。少なくとも今の魔女アーデルに殺気はない。魔力はどす黒いが、何もかも破壊するような感じはなくなった。
亜神の魔力に汚染され、相当な破壊衝動があるにもかかわらず、これほど心を平穏にできるものなのかとアーデルは改めて魔女アーデルを尊敬する。
亜神とはいえ、人が神を超えた証明であり証人。ばあさんと慕った魔女アーデルはその上で世界を滅ぼさなかった。それだけでアーデルは誇らしく感じる。
「アーデル、これがウォルスの手紙よ」
いつの間にか家から戻ってきていたメイディーが箱を両手に抱えて持ってくる。
それを見た魔女アーデルは少しだけ眉をひそめた。
「この箱一杯に手紙があるのかい? 偽物じゃないだろうね?」
「毎年、貴方の誕生日に一通だけ送っていたそうよ。返事が無かろうと毎年ずっとね。だから五十年分、五十通あるってことね」
「まめな奴だね……」
言葉は悪いが魔女アーデルは少しだけ嬉しそうにしながら、封のされた手紙を手に取った。その封を解き、手紙を読む。
顔を動かさず、視線だけが手紙を移動する。それはゆっくりと一文字一文字噛みしめるような動き。そして徐々に魔女アーデルの目が潤む。
読み終えるとすぐに別の手紙に手を伸ばし、封を解いて読み始めた。先ほどと同じようにまたゆっくりと時間をかけて読み続ける。
それを何回も繰り返し、十枚ほどの手紙を読み終えると、魔女アーデルは大きく息を吐いた。
「どう? 貴方の心は満足してる? ずいぶんと丁寧に読んでいたから大丈夫だとは思うけど……」
「……字が汚いから読むのに時間がかかっちまったよ。それに毎年書いてあることがたいして変わってないじゃないか。風邪をひいてないかとか、食事は大丈夫かとか、恋人に送る手紙ならもっと気の利いたことを書けないのかい。これじゃ業務連絡と変わらないよ」
「でも、貴方、嬉しそうよ?」
「……気のせいさ。まあ、許可をくれたらすぐにでも会いに行くって書いてくれたのは嬉しかったね……でも、そんなもんにいちいち許可を求めるんじゃないよ。まったく、男としては頼りないね……本当に頼りない……」
そんなことを言いつつも手紙を大事そうに胸に抱え込む。だが、すぐに手紙を箱に入れて閉めた。
「手紙を読ませてもらってありがとうよ。これは返しておく」
「何を言っているの、これはあなた宛ての手紙――」
魔女アーデルは首を横に振る。
「違うよ。勝手に封を開けたが、その手紙はここに眠ってる、この世界のアーデル宛さ。別の世界の私宛じゃない――私宛の手紙は世界と共に無くなっちまったからね」
「アーデル……」
魔女アーデルはアーデルの方を見る。その視線は切なげだとアーデルは思う。
「残念だよ、私にも心穏やかに過ごせる可能性があったのかと思うと本当に残念で仕方ない」
「何を言っているの、今からでも遅くない。この世界でやり直せば――」
「世界を一つ滅ぼしておいてそんなことが許されるわけがないだろう? それに神のなりそこないがご立腹だ……」
「なにを――」
魔女アーデルは急に両手で胸を押さえ込むようにして地面にうずくまる。そこにメイディーが駆け寄った。
「アーデル!」
「……亜神のやつ、他の世界の魔力をかき集めて私を操ろうとしているね……人間に出し抜かれるなんて亜神のプライドが許さないってわけだ……」
「アーデル! しっかりして!」
「大丈夫さ、メイディー。私を誰だと思ってるんだい。こうなることも想定済みさ……」
魔女アーデルはそう言うと、飛行の魔法を使って空を飛ぶ。
ほんの少し跳び上がった場所で魔女アーデルはさらに別の魔法を展開した。魔女アーデルが展開した魔法、それは「魔王を殺す魔法」。それを自分自身を中心に展開した。