名前
深紅の鱗を持つドラゴン、クリムドア。
本来の姿を見たことがあるのはアーデルだけであり、オフィーリア達は初めて見るクリムドアの姿に驚きの表情を見せる。
オフィーリア達はクリムドアが魔力不足により本来の姿ではないとは聞いており、その魔力が戻るのはもっと先の未来とも聞いていた。
そんなクリムドアが本来の姿に戻って魔女アーデルの姿をした亜神と対峙している。
クリムドアの口が大きく開く。それと同時にその周囲に魔法陣が作られ、クリムドアの口の前に赤く輝く灼熱の球体が出現した。
さすがに危険だと感じたのか、亜神はすぐさま自分の周囲に結界を張った。
直後にレーザー光線のような攻撃が亜神を襲う。さらに口の周辺に出現していた魔法陣がクリムドアの口を中心に回転を始め、光線をさらに太く、強力にした。
亜神は結界を張っていたものの、その場にとどまることは許されず、神殿のような場所の最奥まで吹き飛ぶ。
その威力は凄まじく、クリムドアの口元から亜神が吹き飛ばされた場所まで地面がえぐれるほど。さらにはその攻撃からかなり離れていたパペットとコンスタンツが、その風圧で地面を転がるほどだった。
「パペット、コニー! すぐにこちらへ!」
満身創痍の二人を呼び寄せるクリムドア。二人はすぐにその意図に気付き、クリムドアの方へと駆け寄る。
「あれで倒せないとは驚きです。褒めませんが」
「ようやく神と戦っていると認識しましたわ……!」
吹き飛ばされた亜神は壁にめり込むほどではあったが、何事もなかったように壁から出てきて、服のホコリを払う。
亜神は目を細めながら口を開く。
「さすがは竜王の血筋と言ったところか」
「俺のことを知っているのか?」
「お前や竜王のおかげで歴史の分岐――世界の分岐が増えてしまった。力を取り戻すことはないと思っていたが、まさか魔王クリムドアの魂から魔力を奪うとはな」
「お前の真似をしただけだ。もともとは俺の魔力なのだから問題ないだろう?」
「ああ、問題はない。そんなことをしても俺には勝てないからな」
クリムドアは亜神の言葉に対してその認識は正しいと評価した。
今の攻撃で大したダメージを与えられないのならクリムドアに勝てる要素はない。魔王クリムドアから魔力を貰ったとしても、無限ではないし、その魔力は汚染されている。竜王の卵を通して浄化した魔力を吸収したが、時間が短く完全には浄化できていないので、取り続ければ新たな魔王クリムドアになりかねない状態なのだ。
だが、クリムドアは最初からそんなことは分かっている。そもそも亜神に勝てるとは思っていないし、今のは時間稼ぎに過ぎない。
「お前を倒すのは俺じゃない。それはお前も分かっているだろう?」
クリムドアの言葉の意味に気付いたのか亜神が笑う。
「すでに魔法は完成している。アーデルがあの中で生き残っている可能性はない」
「だからお前は亜神止まり、本物の神にはなれないんだ」
余裕そうな亜神から笑みが消え、周囲に殺気をまき散らす。
「怖いな。どうやら神に対して相当な対抗意識があると見える」
「俺に騙される程度の奴らが神だと? すでにいくつかの世界は滅んだ。それは俺が神よりも優れている証拠では?」
「すべての世界を滅ぼしたのなら、そうかもしれない。だが、まだ多くの世界が残っているだろう? 少し優勢になっている程度で勝ち誇るのは神としては情けないと思わないか?」
「貴様……!」
亜神がそう言った直後、魔王を殺す魔法の結界が輝く。そして魔法陣で囲まれた結界がその役目を終えたように壊れ、雪のような粒子が降り注いだ。
亜神の勝ち誇ったような顔。だが、それが徐々に険しいものになり、最終的には目を見開いた。
「……馬鹿な!」
「アーデルさん!」
亜神やオフィーリアたちの声がこの空間に響く。
雪のように降り注ぐ粒子の中、アーデルは白い光に飲み込まれた時の状態のまま、片膝をついていたのだ。
そしてゆっくりと立ち上がる。
怪我がないわけではない。ところどころから血がにじみ出ているうえに服や羽織っているマントがボロボロになっている。だが、そんな状況でもアーデルは亜神を見て不敵に笑った。
「ギリギリ間に合ったようだね」
アーデルがやったことは自分自身に「魔王を殺す魔法」を使ったこと。当然それだけではなく、反射を内側ではなく外側に向けるという変更を行った。ただの結界では間に合わないと、白い光を反射する結界で身を守ったのだ。
当然、それは簡単ではない。自分を包むだけの結界、反射の内側から外側への反転、亜神が使った魔法を反射できるだけの魔力注入、じっくりと時間をかければ問題ないことをほんの数秒でやり切った。
急遽構築したこということもあり、反射できない小さな光が入り込んでアーデルの身体に傷がついたが、致命傷ではない。
「あの魔法で魔王は殺せても私は殺せないよ。使う相手を間違えたね」
ギリギリではあったがアーデルは余裕そうに言った。そしてすぐさま新しい魔法陣を構築する。物理的な現象を飛ばすタイプの魔法ではなく、指定座標に現象を起こすタイプの魔法。空間をずらすという亜空間の魔法の応用をその場で構築した。
アーデルが生き残った驚きからか、その魔法に対応できなかった亜神。空間をずらすという魔法に対して結界など何の意味もなく、亜神がそれに気付いたときにはすでに手遅れ。
血しぶきをあげながら亜神の体から右腕が離れた。その右腕は回転しながら宙を舞い、床に落ちる。
痛みがあるのか、亜神は左手でなくなった右腕があった場所を抑えながら片膝をつきながらアーデルを睨んだ。
「真っ二つにするつもりだったけど、ちょっとずれちまったね」
「おのれ……!」
片膝をついたままの亜神が魔法陣を構築する。
だが、その魔法陣は魔力が通される前に破壊された。
「な……」
「芸がないね。使えると分かっていれば対処は簡単さ」
亜神が構築した魔法は、魔王を殺す魔法。だが、アーデルはその魔法に魔力が通される前にその魔法を成立させない魔壊を使って無効化する。
「さあ、ここまで――なんだい?」
アーデルは亜神にとどめを刺そうと近寄ろうとしたが、怪しげな魔力の流れを感じた。亜神――魔女アーデルの身体から信じられないほどの魔力が溢れているのだ。
「な、なんだ、これは――」
魔力は間違いなく亜神から漏れているが、その状況に本人が驚いている。いつのまにか亜神を中心として地面に巨大な魔法陣が構築された。
アーデルはすぐさまその魔法を対処をしようとしたが、あまりにも複雑で全く理解できない内容だった。ただ、分かることもある。以前クリムドアが使った時渡りの魔法に近い。
そして分かったこともある。これは使用者の魔力量を無視している。こんな魔法を使ったら、亜神と言えども魔力が枯渇する。使用者を生贄にするような魔法だ。
「皆! 離れな!」
アーデルはクリムドア達に向かって叫ぶ。
慌ててその魔法陣から離れるオフィーリア達。使用者である亜神だけはその場を動けないのか、膝をついたままだ。
魔法陣が完成し、亜神から魔力が注ぎ込まれる。そしてその魔法陣から巨大な光の柱がたちのぼった。
目を開けていられないほどの輝きの後、それがようやく収まる。アーデル達がうっすらと目を開けながら周囲を確認すると、そこには二人の魔女アーデルがいた。
一人は間違いなく亜神が模倣している魔女アーデル。右腕がなく、今は床にうつ伏せで倒れている。意識はあるようで、うつぶせのまま顔を横にして、もう一人の魔女アーデルと話をしているようだった。
「き、貴様……!」
「アンタに貴様なんて言われる筋合いはないが、まあいいさ。そんなことよりも、色々な世界で私を使っていたようじゃないか。そろそろ貸してやった力を返してもらおうか」
「なぜ、ここに……!」
「私に時空の座標を探れないとでも思ったのかい? 詳しくは知らないがどうやら私の身体で傷を負ったようだね。そのおかげでアンタを操れたよ。そうそう、アンタがため込んでいた魔力は全部頂くよ。安心しな、世界を滅亡させるのは私がやってやる」
立っていた魔女アーデルは亜神が模倣している魔女アーデルのそばに座り込み、その頭に手を乗せる。亜神は声も出せずに干からびるように骨と皮だけになり、それも一瞬ですぐに灰となった。その灰もすぐに消える。
残った魔女アーデルは立ち上がりながら灰を落とすように手をはたく。そしてアーデルたちの方へ視線を向けた。
「へぇ、アンタは亜神じゃないし、私でもないね。なら自己紹介をしておこうか」
アーデルは理解した。目の前にいる自分にそっくりな女性が何者なのかを。
忘れるわけがない。巨大でどす黒いその魂を。
「私はアーデル。ここじゃない世界で滅亡の魔女と呼ばれているよ。アンタ、名前は?」
別の世界にいるはずの本物の魔女アーデルが目の前に現れたのだ。