魔族の大陸
「あれが魔国の大陸かい……それにしても寒すぎだろう?」
アーデルは船の上から遠くに見える大地を見てそう言った。
雪が降る中、アーデルは白い息を吐く。暖かい服に身を包んでいるが、それでも寒く足踏みをしながら自分の息を手に当ててこする。体を覆うような結界を張って寒さをしのごうかとも思ったが自分だけとなると罪悪感があるので皆と同じ状況のままにしていた。
アーデル村を離れて陸路で一週間、海路で八日かけてようやく魔国のある大陸までやってきた。アルデガロー王国だと季節的にそこまで寒い時期ではないのだが、北に行くほど寒くなり、体験したこともないような雪が降っている。
太陽が出ることは少なく、年の大半は雪が降り、風も強い。魔族という強靭な肉体を持つ者以外は一年も住めないと言われている場所でもあり、生きる環境が厳しいところだ。
そして海上はアーデルが用意した船用の大きな波を防ぐ魔道具がなければ命の危険があるほど。そのおかげで本来なら出航しない時期でも貿易ができると船員たちは喜んでいる。
ブラッドも喜んでいる一人で、これで魔国とのやり取りが増えるとアーデルに感謝していた。
「アーデルの魔道具のおかげで魔国との取引も頻繁に行えそうだ。かなりの利益になると思う」
「そりゃよかったね。でも、魔国と取引するような物があるのかい? あっちは食料を作るのが厳しいんだろう?」
「魔国はドワーフの国と同じで鉱石類が良く採れる。それに魔力が濃い場所だからそれを帯びた鉱石もあってな、それがかなりの高値で取引されているんだ」
魔鉄、魔石と呼ばれるものは魔国で多く採れ、魔力を通しやすいという性質から魔道具にも良く使われている。純度の高い物はそれこそ国宝とも言うべき魔道具に使われているほどだった。
それを知っているアーデルは感心したように声を出す。自分もお土産にいくつか買って帰ろうと思っているが、ブラッドの表情が気になった。なぜか眉間にしわを寄せているのだ。
「なんか気になることでもあるのかい?」
「魔族の王が暴れたことで魔国が他国に頭が上がらないのは知っているだろう? 鉱石をこれでもかというくらい安い金で買われているんだよ。商人として足元を見るやり方はちょっとな」
「そんなことに悩むなんてブラッドは商人に向いていないんだろうね」
「俺は自分だけが儲かるような商売をしたくないだけだ。お互いの利益になるようにやっていきたい」
「商人として志があるのは悪いことじゃないね。でも、どうするつもりなんだい? 理想や志だけを言うなら、その辺の商人と変わらないだろう?」
「残念ながらまだ決まってない。ただ、こちらは食料関係に重点を置きたいと思っている。魔国は全体的に食料不足だからな。それに俺の故郷は食料関係に強いから」
「いいんじゃないかい。オフィーリアが言ってるけど、どんな状況でも美味い物を腹いっぱい食べている時だけは幸せになれるって言ってたから」
「それ、メイディーの修行の話か?」
「詳しくは聞いていないけど、そうだろうね」
サリファ教の教えなのかメイディー独自の教えなのか、その修業は肉体的にかなり厳しい。少なくともアーデルには無理だと思えるレベルだが、そんな修行に耐えているオフィーリアは食事で乗り切っている可能性がある。
そのオフィーリアは修行のおかげなのか、甲板でパペットと雪合戦をしているほどだ。
「孤児院の冬はこんなもんじゃないですよ!」
オフィーリアはそんなことを言って笑う。素質があったというべきか、過酷な孤児院で強靭な肉体を手に入れたのか、オフィーリアなら魔国でも普通に暮らせるのではないかと思えるほど元気だ。
逆にコンスタンツは何枚着ているのかと思うほど暖かそうな服を重ね着している。そしてクリムドアは雪が降り出してからは部屋の外へ一歩も出ていない。
こんなメンバーで大丈夫かねとアーデルは心配しながら遠くに見える大陸を眺めるのだった。
この時期に他国からの船が来るのは相当珍しいのか、港にいた魔族はアーデル達が乗ってきた船を遠巻きに見つめていた。
錨を降ろした船からブラッドだけが降りる。まずは話をしてくると言って、一人で魔族が集まっている方へと歩いて行った。すぐに話を始めたようで、アーデル達は船の甲板からそれを見ている。
「魔族さんは危険だと言われていますけど、大丈夫ですかね?」
オフィーリアが心配そうにそう言うと、アーデルは少し考えてから口を開いた。
「魔王の復権を望んでいるような奴らじゃなければ大丈夫だろう。それにブラッドも数分なら全力を出せるから命の危険もないさ。いざってときは魔法で守るから安心しなよ」
「それは安心ですね!」
オフィーリアはそう言って笑顔になるが、すぐに顔をしかめた。
「それにしても魔族さんは大変ですね、こんな寒い土地で過ごさなくちゃいけないなんて。私は鍛えてますから平気ですけど」
「鍛えてどうにかなるレベルじゃないと思うけどね。でも、なんだか変だね、魔道具が一つもなさそうだ。灯りや暖を取るような魔道具を置いておけばいいのに」
アルデガロー王国の王都も寒い時期はある。魔力を通すだけで暖かくなる魔道具が王都のそこらに置かれているのを見たことがあるので、真似ればいいと思うのだが町には魔道具が一つも見当たらないのだ。
それどころか、街灯のようなものもない。港だからという理由なのかもしれないが、それらが一つもないのは明らかにおかしいとアーデルは首を傾げる。
「もしかすると魔道具を作れないのかもしれませんね……いえ、作る必要がない、ですかね?」
「作る必要がない?」
「魔族さんは元々魔力が高いんですよ。それに術式なんかも研究が活発で子供のころから色々と教わるそうです。つまり魔道具に頼らなくても自前の魔法でなんとかできちゃうみたいな」
「なるほど。それなら納得だ。私も魔道具に頼ることは少ないからね」
アーデルは寒ければ体を温める魔法をその場で使える。光源が欲しければ光を作ることもできる。アーデルには常識的なことだが、オフィーリア達のような平民にはそうでもない。
コンスタンツのような貴族ならまた話は別だが、平民はお金を払って教えてもらうしかない。
「そう考えると魔族ってのは子供のころから強いわけだ。なんでこんな土地にいたのかね?」
魔族の王クリムドアのことがなかったとしても、過酷な土地で生きているくらいなら他国を攻めて領地を奪うことはできた。魔族にはそれだけの力がある。
アーデルはフロストと共にメイディーから歴史を学んだが、そんな歴史はまったくないと聞いた。それは不思議に思えることだ。
「なんででしょうね? だからこそ、魔族の王が攻め込んできた時はとうとう来たかってことだったらしいですけど」
「詳しくは知らないけど、世界の三分の一とか半分近くは魔族に支配されたとか聞いたね。それなら今だって理不尽な要求を突っぱねるくらいの強さがあるのに」
「他国へ攻め込んだことよりも魔族の王を止められなかったことを恥じているとか聞いたことがありますよ。だからこそ、他国の理不尽な要求もずっと受けているとか」
「よく分からない感情だけど、魔族には恥だったというわけか」
何をもって恥だと思ったのかは分からないが、結果の謝罪として理不尽な要求を受けていることは理解した。それが魔族の出した答えならアーデルとしては何も言うことはない。
「ちなみにアーデルさんは魔族さんに対してなにかありますか?」
「なにかって何さ?」
「いえ、魔女アーデル様があんなことになったきっかけが魔族の王や魔族さんですから」
「ああ、そういうことか。昔はともかく今は別に何とも思ってないよ。悪いのは亜神であって、クリムも魔族も被害者じゃないか。恨むのはお門違いだろう?」
それを聞いたオフィーリアはニコリと笑う。
「大丈夫だとは思ってましたけど、言葉で聞けて安心しました。これで安心してサリファ教を広められますよ!」
「なんだいそりゃ?」
「いえ、魔族さんは特定の宗教がないようなので、聖女としてサリファ教を広めて来て欲しいと教会から連絡がありまして」
「普通に布教すればいいじゃないか。安心する要素なんてないだろう?」
「サリファ教になった魔族さんをアーデルさんが倒したらウチと全面戦争になっちゃいますよ! サリファ様は言いました、たとえ相手が誰であろうとも、やられたらやり返せ、と」
「魔族向きだよ、サリファ教は」
相変わらず変な女神だと思いつつ、アーデルは船からブラッドが話を終えるのを待つのだった。