閑話:魔女と聖女
アーデルは魔の森よりも遥か東にある海の上空で人を待っていた。
ここに来るためには飛行の魔法が必要になるので密会には最適だといえるだろう。
相手が来るかどうかは分からない。詳しい内容は書かず、ただ、指定の時間にここへ来て欲しいと手紙に書いて送っただけだ。名前は書かなかったが、場所から考えて自分だと分かるはず。
そろそろ時間になるが手紙を送った相手は見えない。
もう来ないかと思い、移動しようとしたところで遠くからこちらに向かって飛んでくる人が目に映った。
その人物がアーデルの目の前で止まる。
「やっぱりアーデルだったのね」
「悪いね、こんなところまで呼んじまって」
「名前くらい書きなさいよ。誰かと思ったじゃない」
「そんなことしたらまずいじゃないか。今じゃ聖女と呼ばれているほどなんだからね」
聖女オフィーリア。アーデルに村を滅ぼされ、血の滲むような努力の末にアーデルに匹敵する魔力と魔法を手に入れた女性。
この十年、アーデルと事あるごとに戦ったが、決着がついたことはない。とはいえ、強引な方法で魔道具を奪っていくアーデルに対抗できる唯一の人間として尊敬を集めていた。
「別に平気よ。果たし状が来たくらいにしか思われないから。それで何の用? ここで戦いたいってわけじゃないんでしょ?」
アーデルはオフィーリアをジッと見つめる。だが、見つめるだけで何も言わなかった。
「どうかした?」
「……いや、ずいぶんと長い腐れ縁だと思ってね。まあ、それも今日までだ。別れの挨拶をしようと思ったんだよ。柄じゃないけどね」
「別れの挨拶?」
「私はもう人の世界には関わらない。無人島に引きこもるよ。だから会うのは今日で最後だ」
「ちょ、ちょっと何を言ってるのよ!」
「オフィーリアに討たれても良かったんだけどね、何度も言っているように私はあの村を襲ってなんかいない。私を殺しても本当の意味で仇を取ったことにならないと思うから止めておくよ」
「……そうね。この十年、貴方とずっと戦った。でも、どう考えても貴方が村を襲ったとは思えない。それくらいは私でも分かるわ」
アーデルは驚いた顔になったが、すぐに微笑む。
「そいつはありがとうよ。それじゃもう会うことはないが――」
「待ちなさいよ。理由も言わずに消える気?」
オフィーリアはそう言ってからアーデルをジッと見つめる。
「腐れ縁なんでしょ? いなくなるにしてもちゃんと理由を言いなさいよ。手紙をよこしたのも挨拶だけじゃなくて、私に言いたいことがあるんじゃないの?」
「……そうだね。私のやっていたことを覚えているかい?」
「魔道具の回収?」
「ああ、そうだ。でも、それはもうやめることにした。やめると決めたら――私にはもうやることがなくなっちまった」
「……やめる理由は?」
「ばあさんの意図に気付いたから、だね」
アーデルはそう言ってから自分の両手の手のひらを交互に見つめた。そして儚げに笑う。
「ばあさんは魔道具を使って人を試しているんだよ。それを私がどうこうしていいはずがない。それに自分が何者なのかも分かっちまった。だからもう何もしない」
「……何を言っているのか分からないんだけど?」
「だろうね。でも、分かる必要はないよ。これは私の問題だからね」
「そう……なら、もう行くの?」
「そうだね。どこか誰もない島を見つけてそこでゆっくり暮らすよ。まあ、その、なんだ、言わないつもりだったけど言っておくよ。オフィーリアとの戦いは楽しかった。私の大事な思い出だよ」
オフィーリアは目を見開いて驚くが、すぐに微笑む。
「大事な思い出は戦利品としていつも持ち帰っていたクッキーの方じゃないの?」
「ああ、それもあるね。あれは美味い。でも、負けたんだから文句を言うんじゃないよ。それにクッキーの代わりに薬を置いていったじゃないか」
「塗ると死ぬほど痛いやつね」
「でも、効果は抜群だったろ?」
アーデルがそう言うとお互いに笑った。
しばらくそうしていたが、アーデルは笑いを止めてオフィーリアを見る。
「それじゃ、もう行くよ」
「待って」
オフィーリアはそう言うと、亜空間から何かの包みを取り出した。それをアーデルに渡す。
「餞別よ。あまりないけど持っていきなさい」
アーデルは包みを開けて中を見る。そこにはクッキーが入っていた。
「悪いね、大事に食べさせてもらうよ」
「味わって食べなさいよ?」
「……お礼といっちゃなんだけどね、一つだけ忠告しておくよ」
「忠告?」
「ばあさんの魔道具に惑わされないように世の中をいい人でいっぱいにしな」
「惑わされる……?」
「強力な魔道具は悪い奴を誘惑する。自分を使えとね。でも、魔道具を使い続けた先は破滅や滅亡さ」
「それって――」
「クッキーの礼はここまでだよ。オフィーリアが聖女として世の中をいい人だらけにすれば問題ないから安心しな」
「分かった。心に留めておくわ」
そこで会話が途切れる。二人は一分程そうしていた。
話は終わった。アーデルはそう思って飛び去ろうとしたが、それをオフィーリアが止める。
「最後に聞いておきたいんだけど」
「……言ってみな」
「私達、出会い方が違えば友達になれたと思う?」
「はぁ? 何を言ってんだい?」
オフィーリアは顔が真っ赤になった。照れと怒り半々だが、それが両方顔に出ているのだろう。
「もう! 真顔で返さないでよ! ここは、もちろんだよ、とか言って返すところじゃない! あー、言って損した! もう、どこにでも行きなさいよ! しっ、しっ」
オフィーリアは右手で追い払うようにしているが、アーデルは首を傾げたままだ。
「何怒ってんだい。十年近く戦ったけど、いまだにオフィーリアのことはよく分かんないね。そもそも私達は友達だろ?」
「……え?」
「友達は友達でも喧嘩友達ってやつだけどね。最初は本気で私を殺そうとしてたけど、途中から単に戦っただけだろ?」
「まあ、そうね。でも、私が言いたいのはもっと別の友達よ。一緒に遊びに行ったり、恋バナしたり、そんな感じの友達になれたのかなって」
「……さあね。出会い方が違えばそんな可能性もあったのかもしれないね。もしそうなっていたら、クッキーの作り方を教えておくれよ。オフィーリアが作るクッキーは私の好物なんだ」
「いいけど、私は厳しいわよ?」
「お手柔らかに頼むよ――さて、それじゃ、本当に最後だ。もう会うことはないけど、達者で暮らしなよ」
「……ねえ、アーデル、このまま私と一緒に――」
アーデルは目をつぶり何も言わずに首を横に振る。そして微笑んでから軽く右手を振り、東へと飛び去った。
オフィーリアはアーデルが見えなくなるまでずっとその場に居たが、アーデルは一度もこちらを振り向くことはなかった。
アーデルが見えなくなってからもしばらくそうしていたが、これ以上いたところで戻ってくるわけがないと、オフィーリアはアーデルとは反対の方向へ飛び去るのだった。