閑話:実の娘のように
「き、貴様……!」
「そんな目で睨むんじゃないよ。ばあさんの魔道具を返さない方が悪いんじゃないか」
魔女アーデルと共に四英雄と呼ばれたリンエールは、世界樹の一番上にある空間にいた。
エルフたちの話によれば大昔に神が降臨した場所であるとのことだが、アーデルにとってそれはどうでもいいことだ。
目的は魔女アーデルがリンエールに貸したとされる魔道具の回収。そのためだけにエルフたちがいる辺境までやってきた。
頑なに魔道具を返そうとしないリンエールを束縛の魔法で拘束したが、いまだにアーデルを睨んでいる。どちらが悪いのかといえば間違いなくリンエールのはずだが、なんでこうも睨むのかとアーデルは少し困惑気味だ。
アーデルには魔道具の場所が大体わかる。
話をしても仕方がないと、拘束したリンエールをそのままにアーデルは魔道具がありそうな場所へと移動する。
「なんだいこりゃ?」
魔道具で作られた水晶のようなものに幼いエルフが閉じ込められている。アーデルがそう思ったのは一瞬で、すぐにこの幼いエルフの魔道具で成長を止めているのだと理解した。
「それに触れるな!」
「……アンタの娘かい?」
「そうだ! その子は病気なんだ! 外に出たら苦しむ……治療法を見つけるまで……頼む……外に出さないでくれ……」
怒っていたリンエールの言葉は徐々に懇願となる。
アーデルは苦虫をかみつぶしたような顔になってから頭を掻いた。
「……仕方ないね。他の魔道具を回収してまた来るから、それまでになんとかしな。次は容赦しないよ」
「……わかった、それでいい……」
リンエールはしぶしぶそう言うと、アーデルは拘束の魔法を解除する。光のロープのようなものがなくなると、リンエールはその場に膝をついた。
次は本当に返してくれるんだろうね、とアーデルが思った直後、頭の中に声が響いた。
『友よ、こちらへ』
「……なにか言ったかい?」
リンエールは訝し気な顔をするが何も言わない。
アーデルは気のせいかと思ったところで、また頭の中に声が響いた。
『友よ、上だ』
アーデルはその言葉に従うように上を見る。
世界樹は意外と穴が開いており、太陽の光がそこから入っている。比較的明るい世界樹の中で真っ黒な円型の空間が見えた。
「あの天井にあるのはなんだい?」
「……何を言っている? 天井には何もないだろう?」
「アンタには見えないのかい……?」
アーデルはそこへ近づこうと飛行の魔法を使う。
友などと言ってくる相手を信用はできないが、なぜか危険な感じはしない。それでにどこかで聞いたことがあるような声なので、特に警戒もせずに黒い穴へ近づいた。
そして黒い穴に手を入れる。
目を開けていられないほどの光が溢れ、次の瞬間には草原にいた。
天気がよく、穏やかな風が吹く見渡す限りの草原。驚きもあるが、ここはどこだと警戒する。
周囲を注意深く見ていると、アーデルの耳に背後から声が聞こえた。
「こちらだ、友よ」
アーデルは振り向くとまた驚いた。
さっきまでは何もなかった場所に家があるのだ。しかもよく知っている家。魔女アーデルと共に住んでいた魔の森にある家と全く同じものだ。
アーデルは警戒しながらもその家に近づく。
模倣したと言うよりは全く同じものでアーデルは驚きを隠せない。立て付けの悪い扉、蔓が絡まった柱に、アーデルが昔に魔法を放って少し焦がした床と、まったく同じものなのだ。
アーデルは覚悟を決めて扉を開ける。
中も全く同じだったが、中には老人がいた。白い長髪に白い髭、眉まで白い。うぐいす色のローブを着た老人は椅子に座ってアーデルを見ている。
アーデルは会ったことがないはずなのに、なぜか懐かしいと感じた。
「よく来た、友よ。さあ、座ってくれ。ここはお主の家でもある」
「アンタ、何者だい?」
「儂はオーベック」
「オーベック……? 私にそんな知り合いはいないよ。勝手に友なんて言わないで欲しいね」
「いや、友だ。儂のことだが、創造神だと言えば分かるか?」
「創造神……? 神にも友達なんていないね。サリファ教の奴なら知ってるけど」
「そうか。だが、儂が何者であろうと関係ないと思ってくれていい」
アーデルは警戒しながらも、オーベックと名乗る老人の前にテーブルを挟んで座った。
「茶を出そう」
オーベックがそう言うと、特に何もしてないはずだが、テーブルの上に茶が入ったカップが出現した。
「……何をしたんだい?」
「茶をご馳走しようとしただけだ。そう警戒するでない」
「それは無理ってものだろう? 神なのにそんなことも分からないのかい?」
「そうだな。そんなことも分からない神ではあるな。神が全知全能など誰が言ったのか」
それは冗談なのか本当に思っているのか微妙だが、アーデルとしてはまだ警戒しているのでカップには手を付けなかった。
「それで、私を呼んだのはアンタだろう? 何の用だい?」
「なに、助言を与えたいと思ってな」
「助言……? なんの?」
「未来のためと言えば良いだろうか。だが、残念ながらお主の未来ではなく、別の世界にいるお主の未来だ。だが、それがいつかお主自身を救うだろう」
アーデルは首を傾げる。
オーベックが何を言っているのか全く分からないのだ。
「私にも理解できるように言いな」
「前提知識が足りぬお主に説明している時間はない。ただ、助言に従って行動してくれるというならどんな質問にも一つだけ答えよう」
「……どんな質問でも?」
「どんな質問でもだ。これでも神でな。ただ、それを信じるかどうかはお主次第だ」
「詐欺みたいな話だね。ならまず助言を教えなよ」
「キュリアスという元創造神に会うといい。この世界なら最も高い山の上にいるはずだ」
「神々が住んでいるという山か。別にいいけど、それだけかい?」
「ああ、そうだ。そこでお主は頼みごとをされるだろうが、ちゃんとやっておくべきだろうな」
胡散臭いことこの上ないが、なぜかアーデルは目の前のオーベックに対してそこまで不快感はない。そもそも敵意をまったく感じず、どちらかといえば魔女アーデルが自分の面倒を見てくれていた時のような感じもする。
「なら、会うだけ会ってみるさ」
「そうするといい。では、何か聞きたいことがあるか?」
「なら、私はばあさんに作られた人間――ええと、ホムンクルスというものなのかい? 何のために作ったのかも知っているなら聞きたいね」
リンエールと戦う前、アーデルを見たリンエールは自分を魔女アーデルだと思っていた。魂の形を見て違うことは分かったが、自分が人工的に作られたホムンクルスとだとか、なんらかの魂を移したものだと言われていた。
そんなことはどうでもいいが、それが本当だとして魔女アーデルが何のために自分を作ったのか理由を知りたいとは思っていた。
「本当に知りたいのか?」
「ああ、知りたいね」
「いいだろう。魔女アーデルは自分の魂を移すための肉体を作った。それがお主だ」
「……その理由を聞いてもいいかい?」
「世界を滅ぼすためだ」
アーデルは息を呑む。そしてオーベックを睨んだ。
「そう睨むな。魔女アーデルのことはお主が良く知っているだろう。魂を移す先にお主がいた。だから諦めた――いや、魂のあるお主を見て、実の娘のように思っただろう。だから世界を滅ぼすのをやめた」
「……実の娘……」
アーデルは自分のことを魔女アーデルに聞いたことはない。魔女アーデルも言わなかったし、どうでもいいことだった。ちょっと似ているなとは思っていたが、それだけだ。
先ほど、リンエールも娘を水晶に閉じ込めるようなことをしていたが、病気だと言っていた。治療法を見つけるまで出さないで欲しいと。
英雄とも言えるエルフが娘のためにすべてを投げ出して治療法を探してる。アーデルには分からない感情だが親が子を思う気持ちはなんとなく想像はできる。
ばあさんと慕った魔女アーデルが、自分に対してそう思ってくれたと思うと、少しだけ胸が温かくなる。
「さすがは魔女アーデルと言うべきか。あの者は亜神と呼ばれる者に魂を汚染された。あらゆる破壊衝動があったはずだが、それを抑え込み、魔の森で生きた……残念ながら完全ではなかったが、魔道具を作ることでその破壊衝動を紛らわせていたのだろう」
「どういうことだい?」
「耐えがたい破壊衝動を紛らわせるために、世界を滅ぼす魔道具を作っていたということだ」
「なんだって……?」
「すぐに世界を滅ぼすような物ではない。魔道具は何百年もの間に魔力を蓄積し、いつか黒き炎となって世界を滅ぼす。そういう魔道具だ」
「ばあさんがそんなものを……」
「仕方あるまい。魔女アーデルはこの世界で魔族の王を討ったにも関わらず英雄扱いされておらぬ。その上、愛する者と一緒になれず、一人寂しく魔の森に住んでいたのだ。よくその程度で済んだと感心している」
まるで他人事のように言う目の前の老人にアーデルは怒りを覚える。
「アンタは神だろう! そこまで知ってるならなぜばあさんを助けなかった!」
「神の力は強すぎる。世界に影響を及ぼし過ぎるのだ。すべては我々が招いた不徳。だからこそ、こうやってお主に色々と頼んでおる」
「……いまさら何をしたってばあさんは――」
「そうでもない」
「……何かあるのかい?」
「すべてを元に戻し、亜神を倒せたら魔女アーデルを救う世界も創ることができる。お主にはこの世界しかないだろうが、別の世界の魔女アーデルを救うことができる」
「別の世界のばあさん……? アンタの言葉はよく分からないが、別の世界があって、そこのばあさんなら救えると言ってるのかい?」
「その通り。本来歴史とはただ一つ。神の介入により複数に分かれ、別の可能性がある世界がいくつも生まれたが、全てが元に戻れば滅亡した世界もまた元に戻るだろう。騙されたと思って世界を救ってくれないか?」
「本当に騙しているとしか思えないんだけどね……ちなみにこの世界はどうなるんだい?」
「世界の未来が決定していることはない。この世界もまた、あらゆる可能性がある。だが……」
「だが?」
「魔女アーデルはこの世界を試した。魔道具には返したくないと思う執着の魔法も付与されている。それでも約束を守り、貸出期限までに返せるかどうかを試しているのだ」
「……なんのために?」
「一つは破壊衝動を抑えるためそうするしかなかったということ。もう一つは自分を裏切った皆を試しているということだ。人は欲に弱い。魔道具を通して魔女アーデルは、お前達は救う価値があったのかと問いかけているのだ」
「そんなことを……」
「誰にも魔女アーデルを責めることはできぬ。そのせいで世界が滅んだとしてもな。そして別の世界では魔女アーデルは魂の移動に成功し、自ら世界を滅ぼした」
「なんだって?」
「お主の肉体、そこへ魂の移動を完成させた世界がある。その世界の魔女アーデルは魔道具などに頼らず自ら世界を滅ぼした」
「ばあさんがそんなことするわけがない……」
アーデルの言葉に力がない。そんなことは絶対にないとなぜか言い切れないのだ。見たわけでもないのに、なぜかそうなる世界が想像できる。
「もちろんだ。お主が知っている魔女アーデルならそんなことはしない」
「え……?」
「実の娘が見ている前で変なことはできないだろう?」
「私がいたから……?」
「さっき言った世界にお主はいなかった。だが、この世界にはお主がいた。胸を張って幸せだったと言える人生ではなかったはずだが、お主と共にいた十数年は幸せな日々だったと言えただろう。そのおかげで、魔女アーデルは普通に息を引き取ることができた」
「そうだと、いいんだけどね……」
「神の言うことは信じるものだぞ。さて、そろそろ時間だ。この世界でお主がどう行動するかはお主が決めるといい。私はまた別の世界のお主に助言を与えよう」
「……頭が痛くなる話だけどね、アンタの言った言葉は覚えておくよ」
「そうしてくれ。では、儂はもうこの世界のお主とは会えぬが、キュリアスがお主を導くだろう。いつかまた別の場所、別の時間で会おう」
「……会えないなら私にそれを言っても意味ないだろう?」
アーデルはそう言うと、その場から消えた。
残ったオーベックは少しだけ息を吐くと自分好みのお茶をカップ付きでテーブルの上に出現させる。
「……意味はある。いつかお主はまたこの場所へ来る――いや、帰ってくる。儂はその時を楽しみに待っておるよ、友よ」
オーベックはそう言ってお茶を飲み、長い白髭をなでる。そして次のアーデルを待つのだった。