滅亡の魔女
「見つけたぞ! アーデル!」
「驚いたね、デカいトカゲがしゃべってるよ」
凶悪な魔物が徘徊する森で女と竜が対峙していた。
アーデルと呼ばれた女は十代後半の容姿。長い黒髪で目はルビーのような鮮やかな赤色。フード付きの黒いローブを身に着けて、野草が入った籠を左手に持っていた。
目の前に巨大な竜が現れたのなら死を覚悟する。もしくは現実逃避をするほどだが、アーデルはそのどれでもなく、本当にただのトカゲが出たくらいの反応だ。
人の言葉を話したことと飛んでいることに驚いているだけで、それ以外のことは特に気にしていないと言ってもいい。
竜は真紅の鱗を持ち、首が長く、尻尾まで含めた長さは十メートルほど。背中にはその体を全て覆えるほどの巨大な翼を持っていた。
その竜が上空からアーデルを見下ろしている。その目からは怒りが溢れており、親の仇を見るような睨み方だ。
竜はアーデルに向かって炎のブレスを吐いた。
その一帯は一瞬で焼き尽くされ、周囲から木が消えた。
そんな炎だったにもかかわらず、アーデルには火傷一つない。アーデルを中心に周囲十メートルは一瞬で燃やし尽くし何も残らない程だったにもかかわらず、何事もなかったように立っていた。
「なんだい、アンタ、喧嘩売ってんのかい? 確かに私の名前はアーデルだが、トカゲに殺される理由はないよ。というか、火が吹けるとはずいぶんと変わったトカゲだね」
「今の炎で傷一つ付かないとは……!」
「しゃべれるならちゃんと会話しな。だいたい、ここはいい薬草が採れたんだ。大事にしていたのになんてことしてくれるんだい」
「安心しろ。お前はここで死ぬ。そんなことはどうでもよくなる」
「へぇ、私が死ぬ? アンタは未来が分かるのかい?」
「……ああ、分かる」
竜は大きく息を吸い込んだ。
竜とは理不尽な生き物。巨大な体躯で空を飛び、そのブレスは種類によって異なるが色々な属性を持つ。炎、吹雪、雷――息を吹きかけるだけで大概の生き物の命を奪えることから、意思を持つ災害と言われるほどだ。
そんな生き物がいる世界で人が弱いままでいるわけがない。人はその長い歴史の中で抵抗できる術を編み出した。その一つが魔法。魔力を使って不可能を可能にする神秘の力だ。
「トカゲごときが舐めるんじゃないよ」
アーデルは右手に魔力を込めて開いたまま竜に向けた。
直後に竜の口から出た炎とアーデルの右手から放たれた魔法がぶつかり合う。
勝ったのはアーデルの魔法。極大の光線が炎を突き破り、竜に直撃した。竜はそのまま地面に落ちるが死んではない。大きな音を立てて着陸後、地面に四つん這いになりアーデルを睨む。
「やはり貴様は危険だ。世界を滅亡させる魔道具は作らせんぞ!」
「魔道具? もしかしてアンタ――」
「ここで消えるがいい!」
竜が口を大きく開けると、その身体から膨大な魔力があふれ出す。さらには周囲にいくつもの魔法陣が現れた。その魔法陣から何本もの剣が発射されアーデルへと向かう。
「そんなもんが効くわけないだろうが」
アーデルは右手を雑に横へ払う。一瞬で幾何学的な模様が描かれたガラスが現れて剣を弾いた。剣が何十本ぶつかろうともガラスはびくともしない。
一分ほど受けると、剣が飛んでこなくなった。
「終わりかい? ……ん?」
視線の先では竜が口を大きく開けたままだった。そしてその口の前には小さな火の玉が作られている。見た目とは裏腹にその火の玉に膨大な魔力が込められていた。
「燃え尽きろ」
魔力が凝縮された炎の光線とも言うべき攻撃が高速でアーデルへと向かう。
アーデルは左手に持っていた籠を地面に放り投げて両手を目の前でクロスさせた。
その動作の直後に幾何学的な模様が描かれたガラスは吹き飛び、炎がアーデルに当たる――ことはなく、薄い光の膜が炎を防いでいた。
「馬鹿な!」
炎の放出はまだ続いている。アーデルはその威力で徐々に後退しているが、全身を覆う光の膜が完全に攻撃を遮断していてダメージを受けている様子はなかった。
「やるじゃないか。私に両手を使わせたのはアンタが初めてだよ」
攻撃を受け、その威力で後退しつつも余裕そうなアーデル。
竜の方は諦めの表情でアーデルを見た。
「仕方あるまい。この手は使いたくなかったが最後の手段だ」
「これ以上のことがあるのかい? そいつは楽しみだね」
炎を両手で受け続けているアーデルの地面に巨大な魔法陣が作られた。うっすらと輝く青い光の魔法陣。模様は常人が見れば頭が痛くなるほどの複雑さだ。
炎を受けながらアーデルは視線を地面に向けた。
「初めて見る魔法陣だね……?」
アーデルのつぶやきに竜が答える。
「貴様を遥か未来へと飛ばす。その先にも私はいる。そしてさらに未来へと飛ばす。世界が終わるその日までお前を未来へと飛ばし続けよう」
「時渡りの魔法かい!」
「さらばだ、滅亡の魔女アーデル。この時代から――いや、この世界から消えろ」
炎を受け続けているアーデルにそれを防ぐ手段はない。炎を受けるのが精一杯で構えを解いて動こうものなら炎がアーデルを貫くだろう。
魔法陣から光が溢れ出しアーデルは為す術もなく飲みこまれた。
アーデルの視界は真っ白になり、身体の感覚がなくなった。ただ、地の底まで落ちていくような浮遊感だけはある。もしかしたら逆で上昇しているのかもしれないが、どちらなのかも分からないような不思議な感覚だった。
(時渡りの魔法。本当にそんなものがあるとはね。さすがにばあさんもその魔法は作れなかったが、本当にできるのかい……?)
いつまでも終わらない白い風景。未来に着いた瞬間にさらに未来に送られてしまっているのなら、この白い視界からは抜け出せない可能性がある。なにかしら対策をする必要があるのだが、思考はできても体は動かせず、魔力を練ることもできない。
永遠にこのままではさすがにまずいと思った瞬間に視界が戻った。
急に感じる重力。立っているのも困難な強風と耳が痛くなるほどの雷鳴。嗅いだこともないような嫌な匂い。状況はともかく五感が戻ってきたことに喜んだのも束の間、すぐに対策をしようと思いつく限りの抵抗魔法を周囲に展開した。
魔法の展開と同時に周囲を見たが何もない荒野だった。空は黒い雲が覆っており、雲の中で継続的に雷が光っている。
近くには竜どころか生き物がいるようにも思えない。本当に世界の終わりまで飛ばされたのかと思う程の状況だが、今の段階では判断できなかった。未来に送るなどと言っておいてどこか不毛な地へ飛ばしただけという可能性もある。
アーデルは魔法を使い宙に浮いた。三百メートルほど上昇して周囲を見渡す。
住んでいた魔の森がある大陸の形は覚えている。記憶よりも多少いびつな形になってはいるが間違いない。
「本当に世界の終りまで飛ばされたのかい……?」
それを確かめるためにアーデルは世界を見て回ろうとそのまま飛び去るのだった。