第653話 同じ言語でも話ができない
僕の蹴りに扉の錠前も蝶番も弾け飛んだ。
分厚い木製の扉だったけど、そんなものはレベル41にとって障害にはならない。
大きな扉は部屋の中に吹っ飛んでいって、そのまま奥の壁に激突して大きな音を立てる。
それからゆっくりと傾いて、床に倒れた。
分厚い絨毯が敷いてあるからだろうか。倒れたときには驚くほど音がしなかった。
この隙に逃げられたら困るのでまずはエインフィル伯爵を部屋の中に追い立てて、それから続いて僕も部屋の中に入った。
「父上!?」
そんな声が聞こえてくるということはパトリックは扉に挟まれ壁の染みにはならなかったということだ。
残念。事故は起きなかった。
声のした方に顔を向けると、天蓋付きの寝台の上で、なにやら布地を顔に当てた男が、下半身に手を置いている。
見たくはなかったけど、一人で致していたのだとわかる。
わかりたくなかった。
「ま、待って!」
男は慌てて顔に当てていた布地を放り捨て、股下を引っ張り上げた。
それから何事もなかったかのように寝台から床に降りて、前髪を掻き上げた。
見た感じは20代中頃だろうか。
金髪碧眼のいかにもイケメン貴族という印象だ。
強面のエインフィル伯爵とは違って、柔和な顔立ちをしている。母親に似たのだろうか?
女性に困るような容姿ではなくて、とても小児性愛者には見えないけれど、あるいはだからこそ、ということも考えられる。
ヴィクトルさんの話では30代ということだったから、実年齢よりもかなり若く見えるようだ。
ヴィーシャさんにしたことを知らなかったら第一印象は良かったに違いない。
だからこそ胡散臭さを感じる。
これは僕の陰キャな偏見だけども、今回に限っては間違いなく事実だ。
こいつがヴィーシャさんを傷つけた張本人なのだ。
「父上、そのお姿は一体?」
「黙れ! パトリック! おまえはもう儂の息子ではない! キサマの為出かしたことは一切儂には関係ない!」
「父上、それはどういうことですか!? ヘルミヤは? アルブレヒトはどうしたのです!? その異邦人は、まさか」
「そのまさかだ! すべての責任はおまえが取るのだ! いいな!」
「ちょっと待ってください。父上。状況がよく、飲み込めなくて……」
親子の心温まる会話だったけれど、僕は早々に口を挟むことに決めた。
「あなたがパトリックさんですね。ヴィーシャさんに、つまりヴィクトル商会の一人娘で、あなたの元婚約者に目を覆いたくなるような傷をつけた。間違いありませんか?」
パトリックはきょとんと目を丸くしてから、一拍おいて、あろうことか笑った。
「ハハッ、所有物に名前を書いて何が悪い? ちゃんと読めるように焼き印を入れるのは結構難しいんだよ。興味ある?」
「いえ、ちっとも」
僕は言いながら再装填を終えたBOLA WRAPをパトリックに向けて発射する。
「うわっ、いきなりなんだい」
不意をついたつもりだったけれど、パトリックは飛翔したボーラをしゃがんで回避する。
ケブラー繊維は寝台の天蓋を支える柱に巻き付いた。
レベル20の身体能力って結構なものだから、それくらいはできても不思議じゃない。
閃光音響手榴弾を使うべきだっただろうか?
だけど僕はもう少し話を聞きたいと思っている。
「そうか、キミがカズヤか。彼女を奪い返しに来た英雄さんってところかな。だがいくらなんでも不用意じゃないかな? 誰か! ここに侵入者がいるぞ!」
パトリックが叫ぶが当然ながらその声に応える者はいない。
会食の場に残っていた使用人たちは僕によって鏖殺された。
そして彼らの主が拘束され、連れて行かれていても誰も助けに来なかったのだ。
その息子を助けに来るはずもない。
だけどそんなことを知らないパトリックは余裕の表情で寝台に腰をかけた。
「すぐに人が来る。その間に話をしようか。彼女がどんな風に鳴いたのか、とか」
「パトリック! そのすぐに囀る口を閉じろ!」
怒りの声を上げたのはエインフィル伯爵だ。
彼は自分の命がかかっていると理解しているから、愚かな息子の所業に肝が冷えているのだろう。
そんな父親の姿にパトリックは冷笑を向ける。
「父上もいい気味だ。僕を蔑ろにするからそんな目に遭うんです。うまく警備の隙を突かれましたか? いや、待てよ、いっそ誰かが来る前に事故が起きれば僕が当主か。あーっと、僕はもうあなたの息子ではないんでしたっけ? それが周知される前にどうにかしないと困るなあ。どうだろう。カズヤくん。手違いでその男を害してしまうような事故は起きないものかな? そうすれば彼女をお返ししてもいいが?」
「愚か者が……」
エインフィル伯爵は立っていられなかったのか、その場に膝を突いて項垂れる。
両手が自由だったら頭を抱えていたことだろう。
「手放してもいい。それくらいの気持ちで彼女にあのような焼き印をしたのですか?」
「ああ、そうだった。あれは消せないな。申し訳ないことをした。あのような傷物で良ければ、という話になってしまう。他に欲しいものがあれば、可能な限り配慮しよう。僕はエインフィル領を手に入れる。キミは商人だろ。対価を秤に乗せたまえ」
話にもならない、とはこういうことか。
僕は比喩表現というものが時に、あまりにも正しく物事を正確に言っているだけだということを知った。
話にもならないのだ。
つまり話ができないのだ。
相手があまりにも愚かで、倫理の欠片も無くて、常識がかけ離れていると、言語が同一でも話をすることができない。
[異界言語理解]スキルを以てしても理解ができないのだ。




