第639話 【ヴィーシャ】は大きく口を開いた
638話と639話は非常に残酷な描写があります。
過剰な暴力を見たくないという方は同時投稿されている640話まで飛ばしてください。
[回復魔法]による治癒に意味がないのであれば、魔力は温存した方がいい。
そうわかっていても、[回復魔法]を使えば痛みが和らぐと知ってしまった体は、意思とは無関係に[回復魔法]を発動させる。
焼かれ、治して、焼かれ、治して、焼かれ、また治した。
悲鳴も絶叫も口枷によってくぐもった音にしかならない。
布を巻いてあるのに、口枷に歯を立てるとガチガチと音がした。
今また鉄鏝は貼り付いた皮膚ごと引き剥がされ、私は[回復魔法]が発動しないことに気がついた。
ステータスを確認すると魔力が尽きている。
涙を溢れさせながら、私は私の限界に感謝した。
これでようやく終わるのだ。
額が焼かれた痛みはまだ耐えがたいけれど、それもいずれは薄まっていくだろう。
そして魔力が回復したら折を見て回復すればいい。
私は残り滓のような自尊心を掻き集め、パトリック様を睨み付けた。
心はまだ折れていない。
いずれ何らかの報復はしてみせる。
そう思ったのに、パトリック様の手には新しい鉄鏝が用意されていた。
「なんだ、終わったとでも思ったのか? まだ一文字しか終わっていないぞ」
一文字?
私はパトリック様の言葉がうまく飲み込めない。
誰から見ても所有物とわかるように焼き印を押したのではなかったのか。
混乱する私の顔を見て、ようやくパトリック様の顔に表情が生まれた。
愉悦の笑みだ。
「額にはまだまだ隙間があるぞ。ちゃんと『パトリック様の』と書いて、最後にハートマークも付けてやろう」
一文字。
それを一文字ずつ焼き入れようと言うのか。私の額に。
この責め苦がどれくらい続くのか想像して、私は泣きそうになった。懇願しそうになった。謝罪しそうになった。
でもこの下種にされたことを考えれば、まだ耐えられる。
いつかは終わるのだ。
永遠にこの責め苦が続くわけではないのだ。
それでも涙が溢れて止まない。ヒクヒクと恐怖に体は震えた。
「あとひとつ、いいことを教えておいてやろう。火傷痕は[回復魔法]によって消すことができるが、それは傷である状態であればのことだ」
パトリック様の言葉は意味がわからなかった。
「火傷痕を回復魔術で癒やしたらどうなると思う? なあ、奴隷に消えぬ焼き印を入れる方法が確立されていないとでも思ったか? ちゃんと癒やしてやろう。二度と消えぬように」
心が折れそうになったが、大丈夫だ。
私が犠牲になれば済むことであれば、それでいい。
どうせ私は最初から囚われていたのだ。逃げ出すことなど夢だったのだ。
「さて、続きを始めようか」
鉄鏝の熱が迫ってきて、私はまたあの痛みが襲ってくるのだと体を震わせる。
ジュッと言う音と、それを掻き消すような痛み。
四肢は痙攣し、体は暴れた。
だが頭は完全に固定されていて、熱を、痛みを、刻印を受け入れることしかできない。
喉から声にならない声を張り上げ、乾くことを知らない涙を零し続ける。
一文字。
一文字。
また一文字。
私を所有物に変える刻印が刻まれていく。
もはや体は痙攣することもできないほどに疲弊し、叫び声すら上がらず、ただ喉からヒューヒューと空気が漏れるだけになった。
次の鉄鏝が迫り、肌に触れた瞬間、信じがたいことにこれまで以上の痛みが私を貫いた。
いだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだいいだい!
もういやだ。
だれかたすけて。
ゆるして。
なんでもするからこのいたいのをやめて。
泣いた。懇願した。失禁し、股を濡らした。
なにがどうして突然こうなったのかは自分でもわからない。
やめて。
やめてよぅ。
もういたいのはやだ。
やだよお。
いだいいだいいだいいだいいだいいだい!
もうやめて。
わたしにあついのをあてないで。
いたい!
いたいの!
ゆるしてよお。
「ふはは、体力が尽きたか。レベル補正が失われ、抵抗値が減少したらこの様か」
べりべりとはがれるとすごくいたい。
ひゅーひゅーといきをはく。
「まるで幼子の泣き顔だ。いまのおまえはとてもそそるぞ」
おねがい。
もうあついのはやめて。
なにをしてもいいから、それだけは。
それだけはやめてください。
おねがいします。
おねがいしますから。
おねがいしてるのに、あついのがちかづいてくる。
わたしはもうなくことしかできない。
そう、おもったとき、ふっと熱がはなれていく。
ガチャガチャと音を立てて、口枷が外される。
「もういたいのやなの。おねがいします。やめてください」
心からの懇願だった。救いを求めた。痛くないならなんでも良かった。
自分が痛みから逃れられるなら、なんだって犠牲にできた。
「ならどうすればいいと思う? おまえは知っているだろう。どうすれば僕が喜ぶのかを」
優しい声音だった。
言うとおりにすれば本当に止めてくれるんだと思った。
もう私にはそうするしかなかった。
私はパトリック様のほうに顔を向けた。
「すきにつかって。おにいちゃん」
そうして私は大きく口を開いた。




