第634話 【アーリア】の騒がしい日
アーリアの朝は騒がしいのが普通だ。
夜明けを告げる鐘が鳴るより早くから行商人たちは市場の良い場所を取ろうと待ち構えるし、町の外から農作物を売りに来た農民が門に列を成しているものだ。
だがこの日は様子が違っていた。
町の門は固く閉ざされ、人が出ることも入ることも許可されなかった。
それは町の住民であっても、農民でも、旅商人であっても同じことだった。
夜間外出禁止令は当然ながら夜間のみの外出を禁じるもので、一点鐘を聞いたアーリア市民たちは、周囲を覗いつつもぞろぞろと町に出てきた。
人々は硬貨を握りしめて保存食の買い付けに走った。
この夜間外出禁止令が、いつ昼間にも適用されるようになるかわからなかったからだ。
いまのアーリア市民に戦災を経験したことがあるものはほぼいない。
アーリアが何度も戦火に見舞われたのは古い話だ。
だが歴史として人々は知っている。
アーリアという土地は外敵に狙われやすいということを。
領主からは夜間外出禁止令の布告しか行われていないが、市民たちは戦争が近付いている可能性に思い至ったのだ。
食料品、特に保存食の価格は跳ね上がった。
夏の終わり、農作物の収穫が多い時期ではあるが、町の門が閉ざされたことで供給は絶え、市内に残る食料品を奪い合って硬貨が舞い乱れた。
そんな人々の狂乱の最中に、布告官が現れ、声を張り上げた。
「静聴せよ。静聴せよ。領主エインフィル伯爵様より布告である。異邦の商人カズヤに告ぐ。汝の求めたる娘ヴィーシャはエインフィル伯爵様によって保護されている。エインフィル伯爵邸にて引き渡しを行うため、独りで出頭せよ。武器や道具などの所持は禁じるものとする。民よ。カズヤを知る者がいれば当人に伝えよ。娘の無事は汝次第である!」
布告官は三度繰り返し、そしてまた場所を移して三度布告を行った。
町中で布告が行われ、すぐにその内容はすべてのアーリア市民が知るものとなった。
カズヤという商人はアーリアではよく知られている。
大商会であるレザス商会を通じ、領主に鏡を売る商人。
異邦の顔立ちで、パワーレベリングで強くなった冒険者。
アデルネン人と、ルリュール人の混じったアーリアでも一際目立つ風貌の男。
アーリアの市民は理解した。
この夜間外出禁止令も、町の封鎖も、カズヤと領主様の間に起きた何らかのトラブルが原因なのだ。
カズヤを見つけ出し、領主様に引き渡せば、元の生活が戻ってくるに違いない。
それが正しいかどうかはともかく、アーリアの市民たちはそうだと信じた。
人々はわざわざカズヤを探して回るようなことはしなかったが、目に映る人々の顔をそれとなく注意していた。
カズヤを見つけ衛兵なり、騎士なりに連絡すれば、少しは報酬がもらえるかもしれない。
ほとんどのアーリア市民は自分がカズヤには敵わないと知っているので、妙な騒ぎが起きるようなことはなかったが、それでも妙な通報は相次いだ。
多くの場合、それはカズヤをどこそこで見かけたというような目撃情報で、信憑性が高くなかったとしても衛兵たちは動かなければならなかった。
この日はアーリアの十二監視塔すべてに[灯火]の魔術を扱える者が集められて、発光信号による連絡網ができあがっていた。
ただし昼間は発光信号を読み取るのは難しく、効果的であるかは疑問符がついた。
衛兵たちは四人組で、騎士たちはより厳重に騎士が四人に魔法使いが二人の六人パーティを組んでカズヤの捜索を行っている。
これはそれぞれの目的が違うためで、衛兵はカズヤを発見した場合、追跡と報告に分かれ、その捕縛までは担わない。
一方で騎士たちは戦闘になったとしてもカズヤを捕縛することを目的としていた。
こうして民衆、衛兵、騎士、監視塔、アーリアという町そのものがカズヤを捜索する網となった。
カズヤがアーリア市内に残っているのであれば、見つかるのは時間の問題だ。
誰もがそう思っていた。
しかし昼になってもカズヤが見つかったという話はなく、鐘が鳴り、鐘が鳴り、やがて日が沈む直前の鐘が鳴った。
カズヤはすでに町を出たのだろうか?
市民たちはそう考えた。
ヴィーシャという娘を知る人はそう多くはない。
彼女は必要以上に外に出て人と関わることがなかったからだ。
それに対してカズヤは大金を稼ぐ行商人である。
アーリアの外に出てしまえば、どこへだって行って商売のできる男だ。
これだけ時間が経っても見つからないのだから、ヴィーシャなどという娘のことは諦めて、きっともうどこかに行ってしまったに違いない。
レベルの高い冒険者であればアーリアの市壁を越えるのが容易なことは誰だって知っている。
明日になれば領主様も諦めて門を開けてくれるだろうか?
明日の夜には夜間外出禁止令も解かれるだろうか?
市民たちの興味はもはやそちらに移っていた。
だから異邦の顔立ちをした青年が大通りを歩いていても、まさかそれが件のカズヤだなどと思う者はほとんどいなかった。
何人かは衛兵に通報に走ったが、衛兵は他の通報の対処に追われており、本当の報せを優先することができなかった。
結果的に、そう結果的にではあるが、カズヤは大通りを堂々と貴族街の前まで到達することができた。
彼は布告で指定されたとおり、武器も道具も、鞄すら持たずに現れた。
アーリアでは一般的な服装で、顔立ちのことさえなければ出で立ちは普通のアーリア市民だ。
だから貴族街への立ち入りを監視している衛兵が、単に市民の立ち入りを止めようと近づいて、初めてそれがカズヤであることに気付いた。
驚き、槍を構える衛兵に、カズヤは苦笑していった。
「領主様に伝えてください。取引をしにきました、と」




