第633話 【エインフィル伯爵】は夢を見ていた
夢を見ていた。
そこではエインフィル領が独立し、思うがままに繁栄していた。
エインフィル領は食糧を自給できる。
黒鉄までならば掘り出せる。
ダンジョンがあり、結界のための魔石が採れる。
そこに外貨を得る手段である鏡の製法まで手に入る。
鏡の製法さえ外に漏れなければ、ルリュール王国も、リアーノも、エインフィル領を攻められない。
戦乱の最中に鏡の製法が失われる恐れがあるからだ。
さらにエインフィル領はルリュール王国のある大陸中央平原地帯からアデルネン高地へと繋がる交通の要衝だ。
通行税を取ることでさらに儲けることができる。
まさに夢心地だった。
「ご当主様、お休みのところを失礼いたします」
そんな夢は女中の声に遮られて覚めた。
恐る恐ると言った様子の女中が寝台から少し離れた場所から声をかけてきている。
睡眠を妨害されたにもかかわらず、いつものような苛立ちはあまりなかった。
今夜ばかりは仕方あるまい。
事態に動きがあったのであれば、報告が来るべきだ。
たとえ儂が寝ていたとしてもだ。
苛立たしいのはその正しい判断をできる騎士が、アーリア騎士団には騎士団長ヘルミヤ以外にいないということだろう。
「ヘルミヤだな? 構わん。ここへ呼べ」
女中が扉の向こうにヘルミヤを呼びに行った。
儂は寝巻きのまま、ソファの上に移動する。
サイドテーブルに置いてあったパイプを手に取った。
木箱から煙草を摘まみ上げて、パイプに詰め[着火]の魔術で火を付ける。
紫煙をくゆらせると、心が落ち着く。
「領主様、お休みのところ申し訳ございません」
寝室に入ってきたヘルミヤは儂の前で膝を突いた。
「良い話が聞けるのだろうな?」
儂がそう言うとヘルミヤは言葉に詰まった。
「申し訳ございません。お預かりしている騎士を一名失いました」
「失った? 死んだのか?」
「はい。レコフという北区上がりの元冒険者ですが……」
「ならいい」
アーリアの騎士家に連なる者が死んだのであればなにかと面倒だが、外から迎え入れた者であれば、捨て駒になって当然だ。
むしろちゃんと役割を果たしたとさえ言える。
「状況からして連中は北区に潜伏しているものだと思われます。明朝までになんらかの成果は上げて見せます。しかし問題はそこではありません」
「ほう」
意外だった。
てっきり騎士を失ったことの謝罪と、今後の前向きな目標を表明して終わりだと思っていたからだ。
「騎士を無力化できる光と音の道具、そして空を明るくする偽の太陽についてですが、まったく違う場所でほぼ同時に使用されていることが判明しました。これらはおそらくカズヤが関わっていますが、彼自身がその場にいなくともよい。つまり誰にでも使える道具だということになります」
儂はすぐさまヘルミヤの言いたいことに気が付いた。
儂らを悩ませている騎士でさえ無力化する道具、夜を照らせるほどの光、それらを儂らが使えるようになるのであれば、それはエインフィル領を守るための代えがたい武器になる。
「カズヤの生け捕りがなによりも優先、ということだな」
「はい。つきましてはパトリック様が保護しているヴィクトルの娘を使いたいのですが、許可をいただけませんでしょうか?」
「あの娘か……」
確かヴィクトルはカズヤがその娘を欲しがって鏡の製法を差しだしてきたと言っていた。
パトリックも欲しがっていたくらいなのだから元は美しい娘だったのだろう。
カズヤが娘に執着しているということは考えられる。
「構わん。その娘ならパトリックから取り上げてある。上手く使え。ただ、今の娘を見たら価値を感じないかもしれんがな」
そう言って儂はため息を吐く。
ヘルミヤの案はカズヤがあの娘に興味を抱くことが前提だ。
だがパトリックに折檻された娘は、儂も一見したが、その相貌はもはや美しさよりも醜さ、いや我が息子の醜悪さが刻まれていた。
さらにその状態で[小回復]魔術で完治させたことにより、傷痕が残り、こうなると最早[回復魔法]でも元の美しい肌には戻せない。
これは奴隷に焼き印を押すときに使われる手法で、焼き印を付けた後に[小回復]魔術で傷を癒やすのだ。
[小回復]魔術は火傷の傷を癒やすが、火傷の跡までは消してくれない。
焼き印は奴隷の体に刻みつけられ、こうなるともう[回復]魔法でも消すことができない。
[回復]魔法は創傷でも火傷でも元の状態に戻せるが、古傷を無かったことにはできないからだ。
パトリックはあの娘の顔に傷が残るように処置をした。
あれではカズヤが見れば興味を失うだろう。
「状態を見て、最大限に利用させていただきます」
ヘルミヤも娘の状態についてある程度想像が付いたのだろう。
気に入らないが、ヘルミヤは優秀だ。
きっと上手くやるだろう。
あるいはヘマをして騎士団長の座から引きずり落とせるのであればそれでもいい。
ルリュール王国がエインフィル領に兵を送るのはまだまだ先のことだ。
時間ならたっぷりある。




