第631話 【ヤクスン】の慟哭
状態異常は恐ろしい。
もっとも代表的なものは毒だろう。
毒を持つ魔物は多く、また冒険者も毒を使う。
ダンジョンの罠としてもよく出現する、言わば定番の状態異常だ。
毒の種類にもよるがその効果は凄まじい。
即死に至る場合もあれば、ダメージこそ少なくとも激痛を伴うもの、痛みが無くとも立っていられなくなるもの、それ以外にも下痢や嘔吐などの症状は戦闘時において致命的だ。
どんなに屈強な戦士でも腹が緩んだ状態でまともには戦えない。
ヤクスンが受けた状態異常も、ダメージを受ける類いのものではなかったが、戦闘が続行できるようなものではなかった。
視覚と聴覚の喪失。
一時的なものではあったが、人間がこの二つの感覚に頼る部分は非常に大きい。
実際、地面に転がり暴れ回るヤクスンを、駆けつけた衛兵たちはどうすることもできなかった。
落ち着かせように声は届かず、拘束しように相手はレベル50の騎士である。
こうして衛兵たちが手をこまねいている間に、貴重な時間は失われた。
つまり誰も騎士たちを襲った誰かを追いかけようとはしなかったのである。
やがて駆けつけた騎士たちによってヤクスンは取り押さえられ、危害を加えられるわけではないと気付いたヤクスンがおとなしくなったことで、事態は沈静化した。
衛兵では緊急性が伝わらないと判断した騎士のうち二人が本部へと報告に走り、衛兵たちはようやく犯人の足取りを追うことに思い至った。
その頃にはヤクスンが受けた状態異常も回復の兆しがあり、まだ言葉は届かなかったが、ヤクスンからはまともな言葉が出てきて、それに体を軽く叩いて返事をするという簡単な会話が成り立つようになっていた。
「ちくしょう、エリスだ。カズヤの仲間のエリスがいやがった。あの女、絶対に殺してやる」
耳がまだ聞こえないからだろう。
その声は大きく深夜のアーリアに響くほどだった。
「エリスは見つかったか? 他にもう一人いた。そいつが何かを投げてきたんだ!」
ヤクスンに[中回復]魔術をかける騎士が、彼の肩をポンポンと二度叩いた。
一度は肯定、二度は否定である。
「レコフは無事か?」
二度。
ヤクスンは大きく身震いした。
「クソが! あいつにはまだ若い嫁と、利発なガキがいるんだぞ!」
レコフは最悪のクズだったが、いつでもどこでもクズだったわけではない。
アーリア北区の貧しい家に生まれたレコフは、荷物持ちを経て冒険者となり、トレーンサルトで成功して、レベル50になり、アーリアに凱旋した。
トレーンサルトで出会った女性と結婚した彼は、妻の勧めで冒険者より安定した仕事、つまり騎士になることにしたのだ。
騎士団にいるときはともかく、妻の前では良い夫だったし、子どもの前では良い父だった。
それは幼い子が父の背中に憧れ、いつかは騎士に、と夢を語るほどである。
騎士たちの反応はふたつに分かれた。
ヤクスンの怒りに同調を示す者と、無関心な者である。
同調を示したのは冒険者ギルドへの説得に参加し、結果的に音と光の暴虐を食らった騎士たちだ。
彼らは一歩間違えれば自分がレコフと同じになっていたという実感がある。
レコフの死から自分がそうなっていた可能性に思い至った。
もう一方の騎士たちはまだなんの実感も得ていない。
レコフたちが倒されたのは、彼らが油断していたからだと思い込んでいる。
自分たちに同じことが降りかかるとはこれっぽっちも思っていない者たちだ。
「大丈夫だ。ヤクスン。この報いは必ず受けさせる」
[中回復]魔術を使う騎士は前者だった。
冒険者ギルドの中で音と光に打ち倒され、なおかつその状態で殴打を受けた。
鎧のおかげで無事だったが、一歩間違えれば自分もそこで転がるレコフのようになっていたとようやく気がついた。
「あん? なんか言ったか? さっさとあいつらを殺しに行け! 俺も動けるようになったらすぐに追いかける! 行け! 行けよ!」
ヤクスンの懇願のような慟哭に、騎士たちは仕事のことを思い出す。
「すぐに[回復魔法]使いが来る。エリスどもはここに戻ってきたりはしないだろ。二人ばかり残して後は捜索に戻ろうぜ」
「じゃあ、俺たちが残る」
二人の騎士を残して、それ以外の騎士たちは北区の捜索に散った。
レコフとヤクスンがここでエリスと遭遇したということは、カズヤたちは北区に潜伏していると考えて間違いないだろう。
カズヤの仲間たちは若い女性ばかりであることが騎士たちを昂ぶらせる。
いずれ順番が回ってくるにせよ、早いほうが楽しめるというものだ。
彼女たちは領主に対する反逆者であり、生かしておく必要もない。
つまり何をしても構わない。
騎士たちはそう考えているし、事実そうだ。
エインフィル伯爵の統治が続くのであればそうなる。
一方で騎士たちの中には陵辱より報復を望む者もいた。
自分たちが味わった屈辱を晴らし、仲間を殺された報復をしなければならない者たちだ。
北区に狙いを定めた騎士と衛兵は町を蹂躙し始めた。
それはまるで病が人の身を侵すように広がっていく。




