第615話 【綾冬琥之佑】は覚悟を決めている
世界で唯一特別な人間などいない。
というよりはいるべきではない。
人は換えが利かなければならない。
どんな人間もいずれ死ぬのだし、同じ性能を発揮し続けられるわけでもない。
だからこそ私たちは『組織』を結成したし、後継を育てている。
自分にしかできないことなどあってはならないのだ。
しかし実際には換えの利かない人間が存在する。
その相手に必要とされた連絡であれば、どんな事情にも優先しなければならない。
だがそんなこちらの事情はできるだけ隠す。
対等ではない相手に、自分よりも遥かに重要度の高い相手に、あたかも対等、あるいは自分が優位であるかのように振る舞う。
危ない橋を渡っている。アメリカに囲い込まれる恐れがある。
彼はなんとしても日本に引き留めなければならない。
「自衛隊の装備を借りたいとのことだが?」
『ダンジョンの攻略に使用している装備があるはずです』
「火器の類いはモンスターには通用しない。知っているだろう?」
『ええ、ですから補助的なものです。自衛隊は探索者と比べるかなり深くまで潜っている。専業探索者に対して優位な部分があるはずです。だとしたらそれは市販されていない装備の中に、ダンジョンで有効なものがあるということでしょう。そういう装備と知識を取引したいんです』
「わかった。防衛省の実務担当者から連絡が行くようにする。上への根回しはこちらでしておこう」
『可能な限り急ぎでお願いします』
自衛隊はダンジョン攻略を進める上で装備品を使用する。
かつては一発の銃弾でも書類にない使用があれば大問題だったが、今はダンジョンで使用したことにして誤魔化せる。
だが容易なことではない。
『組織』には防衛省の大物や、自衛隊の幹部もいるが、これは明らかな法律違反だからだ。
「相応の対価はもらえるのだろうな?」
『アメリカ側と同じ条件になりますが、僕が出すカードは"スキルの獲得条件"です。もちろん僕が知っているものに限られますが』
「ひとつだけかね?」
『複数でも構いません。そこは価格交渉ということになるでしょう。僕が納得し、そちらも納得できるラインを交渉します』
「こちらが良い条件を出せばアメリカとの取引はなかったことにできるかね?」
『ならば、それを込みで条件を出してください。僕は可能であれば双方からの協力を得たいと考えています。その思惑を覆せるだけの条件を、どうぞ』
「わかった。可能な限り早く連絡し直す」
難題だ。
樋口湊の持つ情報はあまりにも価値が高い。
"スキルの獲得条件"だと?
ならば最優先は土魔法だ。
土魔法スキルの重要性は各国の共通認識だからだ。
実際には水魔法スキルの優先度が高かったが、[湧水]の魔術を獲得できる今、土魔法のほうが重要になった。
本来なら重機を使っても時間のかかる塹壕構築を、土魔法は易々と行う。
自衛隊でも土魔法スキル持ちを確保はしているが、人数が足りていない。
そもそも土魔法スキル持ちがそれほどいないのだ。
土を掘ることではない。
庭いじりでもない。
自衛隊は隊員を使って様々な実験を試みているが、今のところはっきりとした条件はわかっていない。
米軍も同じ状況だとすれば、向こうだって土魔法スキルの獲得条件を必ず入れてくる。
そして土魔法が駄目だったとしても、次の候補はいくらでもある。
私はスマホの連絡先をタップする。
何コール目かで相手は通話に応じた。
私はすぐに言葉を発する。
「来栖君。折り入って頼みがある」
彼は防衛省に在籍する『組織』の会員だ。
『大老、要請ではなく、頼みですか?』
「『組織』の合意を得る時間がない。自衛隊のダンジョン攻略用装備品を横流ししてもらいたい。その運用法に関する知識もだ」
『組織』は肥大化しすぎて正会員の合意を取るプロセスに時間がかかりすぎる。
これが米国と競争させられているというのであれば、合意形成の時間はない。
『はぁ!? ご冗談を! 『組織』の命令でもなくそんなことできませんよ』
「『組織』の合意は得る。後出しにはなるが、必ずそうする」
『しかし――』
「『組織』の命令であればできるのだろう? では私が『組織』の合意を得ていると嘘を吐いたことにしなさい」
『誰かが横やりを入れたらあなたは終わりですよ』
「この首ひとつで足りるなら安い」
私は特別な人間では無い。換えは利く。
米国は同盟国だが、ゲーム化以降その勢力は伸び悩んでいる。
日本は対等とまではいかないが、力の差は狭まっており、勢力が伸びているのは中国やインド、中東、そしてアフリカ諸国だ。
日米同盟にいつまでも縋っていては、共に転落する恐れがある。
この競争に日本が競り勝てば、米国との地位がまた一歩近くなる。
日本は米国の顔色を覗うことなく、他国と交渉がしやすくなる。
この取引、なんとしてでも日本で独占しなければならない。




