第611話 【エリス】は潜伏する
なーにが、昨日と変わらぬ日々を送ることができる、じゃい!
あたしはサーマルスコープで巡回の衛兵が遠くに去って行くのを確認して、ハンドサインで安全を後方に伝える。
屋内の緊張した空気が少しだけ弛緩する。
ハンドサインってのはカズヤに教えてもらった、というか、あっちの世界の手法らしいが、大変便利だ。こういう隠れてやり過ごすという場面では特に。
こうして息を潜めて巡回が通り過ぎるのを待つのは何回目だろうか。
「夜間外出禁止たぁ、めんどっくせぇな」
いつでも飛び出せるように武器を構えていたシャノンが、刃を鞘に収めながら言った。
「密会は夜が定番だ。叛乱の妨げになる人々が連携するのを恐れているんだろう」
疲れた顔でそう呟いたのはヴィクトル。
こいつは鉱石を扱う商会の会長だ。
要はヴィーシャの親父だな。
ここはヴィクトルが横領品を隠していた倉庫のひとつだ。
言い方が悪かったか?
まあ、商会で扱う品の量をちょいと誤魔化して税を減らそうってのは誰でもやってることだ。
別にそんな悪いことでもねぇ。
縛り首で済む。
同じ人間を二回処刑はできないからな。
「昼間も潜んでいたのが裏目に出たな。腹が減ってしょうがねえ」
シャノンが愚痴る。
夜に食料調達するつもりで昼の間は息を潜めていたのが結果的には失敗だった。
外出禁止が出された以上、外を出歩くだけで見咎められる。
衛兵はぶっ倒せばいいけど、騎士が出てきたら厄介だ。
「自分の腕でも食ってろ。減った分はニーナが治してくれっからよ。あ、あたしにも一口くれよ」
「なんか嫌だから嫌だ」
あたしの軽口にぶすっとした顔でシャノンは答えた。
「理由になってねえよ」
いや、気持ちはわかるけどさ。
多分腹が減りすぎて、あんまり考えられないんだろうな。
腹が満たされててもあんまり考えられないか、こいつは。
「やはり多少強引にでもアーリアを脱して、南に向かうべきでは?」
ロージアは主張を変えない。
彼女は最初からアーリアを脱出して、カズヤが南の村で借りたという家に向かうべきだと言っている。
「ニーナの家族が付いてこれないだろ。追手がかかったら終わりだぞ」
この場にいるのはあたし、シャノン、ロージア、ヴィクトル、その妻のエルセリーナ、ニーナとその家族だ。
つまり過半数をニーナの家族が占めている。
「追手がかかれば終わりなのは何人でも同じことです。私が殿で構いません」
「そりゃまあ、ロージアが殿を務めてくれるんなら、時間稼ぎはできるだろうけどさ」
騎乗して追ってこられても、ロージアが魔法で生み出す水量なら時間稼ぎになるだろう。それも地形次第ではあるけれど。
「カズヤくんとの合流がそんなに重要かね? まずは反エインフィル派と合流したほうが良いと思うが」
事情をあんまり知らないヴィクトルが言う。
定石としてはそちらが正しいのだろう。
「うーん」
あたしらパーティメンバーは顔を見合わせる。
カズヤの転移スキルについて話してもいいもんか判断がつかない。
「カズヤと合流できればあんたらとニーナの家族については安全が確保できる。完全確実安全安心だ」
結局言っていいのかわからなかったのだろう。
シャノンがシャノンなりに説得を試みる。
だけどこいつ言葉をあんまり知らんからな。あたしも人のことは言えんけど。
「私だってそれなりの戦力になるつもりではあるが」
「レベル22じゃなあ。衛兵相手なら戦えるだろうが、騎士相手だとバッサリやられて終わりだよ」
この辺は何度も話し合っているので、堂々巡りしている。
ヴィーシャの両親を助けに来たつもりが、結果的に隠れ家を提供してもらっているので、こちらとしても隠し事はあまりしたくないんだがな。
隠れ家を提供してもらっているから、隠し事はしたくない。だってさ。ちょっと面白くない? 面白くないか。あたしも疲れてるな。
「反エインフィル派が一カ所にまとまれば騎士たちに踏み込まれて終わりだよ」
シャノンは時々鋭いことを言う。
というか、今回もこいつの嗅覚に助けられたんだよな。
騎士の言動が信用ならないから、すぐに逃げるべきだって提案してきたのはシャノンだ。
おかげであたしらは首が胴とおさらばせずに、こうして腹が減ったと文句が言える。
「今のところ、あたしらは脅威だと思われていない。それはつまりカズヤがまだ無事だってことだと思いたいが……」
「すまん」
「何度も謝んなって。もうわかってるからさ」
ヴィクトルの推測になるが、今回のことはヴィクトルが鏡の製法と、その独占について領主に相談したのが発端だ。
とは言え領主も迷ったのだろう。
ヴィクトルはその場では退去を許されている。
ヴィーシャの捕縛は、なんというか、メンツの問題だよな。たぶん。
ヴィクトルは鏡の製法を知ったことを領主に伝えるのと同時に、製法はヴィーシャの身柄と引き換えに得られたものであることを領主に伝えている。
実際のところはヴィーシャがそう望んだからなのだが、言い訳は必要だからな。
息子のおもちゃを横取りされて、領主様は怒っているわけだ。
うーん、いくつもの状況が折り重なっていてややこしいんだよな。
「もう一度状況を確認しましょう」
ロージアがそう言って要点をまとめてくれる。
・エインフィル伯はまだ鏡の製法を知らない。
・ヴィクトルが知る鏡の製法はカズヤが出元であるとエインフィル伯は知っている。
・ヴィーシャはエインフィル伯の息子の婚約者だった。
・カズヤはヴィーシャ欲しさに鏡の製法をヴィクトルに渡したとエインフィル伯は思っている。
「なのでエインフィル伯としてはカズヤさんの身柄が最優先だったと思うんですよね。ところがダンジョンに騎士団を向かわせたところ、ヴィーシャさんの身柄が先に手に入った。私たち全員を拘束しなかったのは、抵抗させないためでしょう。あの状況ではダンジョンの中に逃げ込む手も、一応は使えましたから。一方でシャノンさんの判断のお陰でヴィクトルさんは捕まる前に身を潜めることに成功しています」
「多分、結構危ないところだったよな」
あたしは確認するように言った。
領主としては鉱石の商会を敵に回したくはないだろうから、まずはカズヤを押さえたかったんだろうけれど、逃した以上はヴィクトルだって狙われる。
「タイミングはギリギリだったでしょうね。ただエインフィル伯はヴィクトルさんか、カズヤさんから鏡の製法を聞き出さなければならない。ヴィーシャさんはそのために最大限に利用されるでしょう。逆に言えば、それまでは身の安全は確保されているはずです」
「人質は無事じゃないと意味がないからな」
「そういうことです。今後、エインフィル伯はこのどちらかでも確保しようと躍起になるでしょうね。私たちとしては包囲を固められる前に、せめてアーリアの外に出なければなりません」
「結局、その結論に持っていきたいだけじゃねーか!」
ロージアはこういう小狡いところがあるよな!




