第608話 祈りは届かないから
アーリアを囲む市壁の外側では農業が盛んだ。
水魔法使いがいれば水源が無くとも農業のできるこの世界だけど、アーリアは南側から北側に向けて大河が近くを流れているため、水魔法使いがいなくとも水の確保に困らない。
アーリアは近隣にダンジョンのあるダンジョン都市である一方で、農業地区の側面も持っているのだ。
とはいえ、アーリア自体は丘陵の上に作られた町なので、市壁の中では[湧水]の魔術が主な水源だ。
問題は排水を北側に向けて流す設計であるため、町の北側で栽培された作物が不人気であることくらいだろうか。
これらはそれとなく別の町に輸出されるらしい。
アーリアの中ではどの地区で栽培された作物かをはっきりさせないと売れないけれど、外に持って行けば全部アーリア産でひとまとめということだ。
そして僕らはそんなアーリア北に広がるトウモロコシ畑の中を東に向けて進んでいる。
アーリアの市壁からは十分に離れているので、背の高いトウモロコシに隠れて僕らの姿は見えないはずだ。
「ひーくん、みんな死んでたって言ったよね」
アーリアから離れたことで騎士と戦っていた興奮が引いたのかメルも状況が理解できてきたようだ。
「テオリアさんや、ミーミルさんも?」
「ちゃんと確認はできてないけど、たぶん」
メルがあげたのは冒険者ギルドの受付をしている女性たちの名前だ。
彼女たちをちゃんと確認したわけではない。
受付のカウンターに隠れていた可能性もある。
すすり泣く声は彼女たちのものだったかもしれない。
だけど僕はそれを口にしない。
生存者がいたことを知ればメルは戻ると言い出しかねないからだ。
僕たちは合わせて八人の騎士と対峙したわけだけど、一人として殺せてはいない。
戻ったところで捕まるなり、殺されるなりするのがオチだ。
「やったのはアーリア騎士団なんだよね」
「僕は騎士団については詳しくないけれど、そういうことだと思う」
「どうして!」
それは僕に向けられた言葉ではないだろう。
アーリアを守るための組織であるはずのアーリア騎士団に向けた慟哭だ。
「……騎士っていうのはどういう経歴の人たちなの?」
アーリアで普通に生活している分には騎士と関わることはまずない。
というより見かけたことすらない。
少なくとも騎士としての出で立ちで町にいるところを、僕は今回初めて目にした。
彼らはアーリアの冒険者やその職員を手にかけたことをどう思っているのだろうか。
「ほとんどは貴族の跡取りになれなかった人たちだと思う」
そういえば貴族は幼い頃からパワーレベリングを受けるんだっけ。
最初の頃にそんな話を聞いた覚えがある。
「普段から私たちを下に見て偉そうな人たちだったけど、こんなことまでするなんて!」
「アーリアに騎士が何人くらいいるとはわかる?」
「そんなにいないはずだけど、正確な数まではわかんない」
「確かに町中で騎士を見かけることってないもんね……」
騎士団が僕を探していたのだとしても、巡回してる騎士に僕らが見つかったのは相当に運が悪い。
あの巡回してた騎士が二人、冒険者ギルドに八人。
とりあえず騎士の数は十人が確定している。
領主の館を守る騎士は当然残しているとして、アーリアの市壁にいくつかある門すべてに派遣されているだろうか?
されているという仮定にしておこう。
「全部で二十人くらいかな?」
「数が大事なの?」
「貴族の子弟が騎士になるのだとしたら、王都に実家を持つ騎士もいるんじゃないかなって思って。そういう人たちはこの叛乱に反対しているかもしれない。味方にできないかな」
「難しいと思う。いるとしても数は少ないはずだよ。アーリアにも騎士家がいくつかあるから、そこの人たちで人数は足りると思う」
「そうなんだ」
てっきりアーリアに居を構える貴族はエインフィル伯爵だけなのかと思っていた。
他に騎士の家がいくつかあるというなら話は変わってくる。
アーリア騎士団はほぼエインフィル伯爵の味方だとすれば、彼らは叛乱に与していて、叛乱に反対する騎士たちとの間で互角の対立が起きている、ということにもならないだろう。
たとえ王都に実家のある騎士がいるとしても軟禁等されているに違いない。
つまり反乱軍であるエインフィル伯爵とアーリア騎士団は盤石だ、というわけだ。
「苦しいな」
アーリアにおける資産も装備も失ってしまった。
仲間と連絡を取る方法もない。どうなっているかもわからない。
わかっていることはエインフィル伯爵が王国に反旗を翻したということだけだ。
「衛兵たちはどうするんだろう?」
「領主様に雇われている人たちだし、家族もアーリアにいるだろうから、命令に逆らうのは難しいと思う」
「そりゃそうか。じゃあ普通の人はどうすると思う?」
「普通の市民たち? とりあえずは何もしないかな。領主様が勝手にやってることで、自分たちの生活に直結するとは思ってないから」
「だけど王国から討伐軍が派兵されてきたら騎士団だけでは対処できないでしょ。領民から徴兵が行われることになる」
「領主様が領民から徴兵するのは普通にあることだから、そんなに疑問には思わないかも。でも普通はまず冒険者ギルドに声がかかるから……」
「それを拒否してあの惨劇ってことか……」
冒険者ギルドは国の機関で、ルキウさんはエインフィル伯爵が独立を企てるのではないかと疑っていた。
もしかしたら冒険者ギルドは各地方に対する国からの監視役も兼ねているのかもしれない。
「なんとかみんなと合流したいところだけど……」
「今からアーリアに入るのは相当難しいよ」
そうなんだよなあ。
もちろん僕は壁をよじ登れるわけだけど、途中で見つかれば上から衛兵から槍とかで邪魔されるわけで、その攻撃でダメージを受けなかったとしても、壁から落ちることにはなるだろう。
レベル補正はダメージを受けなくなるだけで、衝撃なんかは伝わるからだ。
「高レベルの冒険者というだけで要注意人物になっちゃうだろうし、うまく逃げてくれてることを祈るしかないか」
「ニーナちゃんは相当厳しいね。捕まっても悪い扱いは受けないと思うけれど」
ニーナちゃんは家族を見捨てて逃げられるような性格ではない。
一方でレベルの高い回復魔法使いは戦争においてとても重宝するだろうから、ニーナちゃんが下手に抵抗さえしなければ、身の安全は保証されるだろう。
「とにかくみんなが無事でいることを祈るしかない」
「その“祈る”ってのは良くないよ。自分たちでなんとかするつもりでいないと」
「そうだね。手立てを考えよう」
そうだった。祈りを捧げる神は最初からいないのだから。




