第522話 狂信者の行動を夢に見る
「やあ、はじめまして。米連邦議会連絡官のダニエル・オーウェルです。お噂はかねがね。樋口湊さん。ヒロさんとお呼びしたほうがいいですか? あるいは……」
連邦議会連絡員?
ちょっと聞いたことのない役職だ。
言葉のイメージからは、米国政府と横田基地に駐留する在日米軍との調整役という感じがするけれど、流れからするとCIA関係者なのかな?
初対面でいきなり親しげな人間は怪しい。という僕の偏見に満ちた意見からすると、CIAの線はかなり濃そうだ。
「ミナトでいいですよ。ダニエルさん。通訳してくれているのは僕の妻でアナスタシアです」
「はじめまして。ミセス。あなたについて、我々は厳重にチェックが必要でした」
そう言ってダニエルさんは両手を挙げる。
それは参ったのポーズなのだろう。
そういえば樋口アナスタシア恵里の両親はロシアの工作員の可能性が高いんだったか。
そりゃ確かに在日米軍基地に入れられないよね。
「でもこうしてここにいるということは、そのチェックをクリアした、ということですか?」
「少なくとも某国の協力者ではない、くらいには。答え合わせは……、させてくれませんよね。やっぱり」
なるほど。
本物の樋口アナスタシア恵里ではない、というところまではわかった、ということか。
でもどうやってそれを突き止めたんだろうか?
それはそれで答え合わせはさせてくれないんだろうな。
「腹の探り合いはこれくらいでいいでしょう。緋美子と名乗った女性についてなにかご存じなのですか?」
「非常に複雑な案件です。少なくとも彼女を善意の第三者と呼ぶのは難しい」
「というと?」
「宗教関係者ですよ。宗教。物事をもっとも複雑にする人間の歴史とは切っても切り離せない組織です」
「宗教ですか」
なんだか意外な感じがした。
世界のゲーム化でもっともダメージを受けたのが既存の宗教だ。
なんせ脳内に響くお告げを全人類が聞いたのだ。
そしてその存在は神を名乗らず、運営を名乗った。
「アセンディア研究会という団体をご存じですか?」
「いいえ、聞いたことありませんね」
「でしょうね。それほど規模の大きな団体ではない。宗教法人ですらありません。表向きは世界のゲーム化という現象の真実を研究する団体となっています」
「その実態が宗教だ、と?」
「ええ、運営を『神』あるいは『神々』だと解釈するタイプの新興宗教ですね。ミス・ヒミコはこの宗教の聖女のような役割を果たしています」
「聖女、ですか? [死者蘇生]スキルが使えるとか?」
聖女という言葉を使うとき、メルがちょっと困ったような顔になったのでダニエルさんに確認してみる。
アーリアで聖女というと[死者蘇生]スキルを持った女性のことだけど、少なくとも日本では聖女ってあんまり固定のイメージがない言葉だと思う。
ぱっと思い浮かぶのはジャンヌダルクだろうか。
この辺、自由の女神に絡んでフランスの歴史について考えたばかりだから出てきた説はある。
あとはナイチンゲールとか、マザー・テレサも聖女というか、聖人という印象があるな。
「[死者蘇生]スキルなんてものがあるんですか!?」
しまった、逆に食いつかれてしまった。
「いえ、聖女というのなら例えばそれくらいの奇跡が起こせるのかな、と。復活はキリスト教圏ではとても重要な奇跡ですよね」
ダニエルさんは明らかに疑いの目で僕を見ていたが、やがて諦めたように肩を落とした。
「そうですね。キリスト教の信者は復活の日がくることを信じています。ですが、その日を前に死者を蘇生できるというのであれば、バチカンは紛糾するでしょうね。認めるか、認めないかで。さておき、ミス・ヒミコが聖女と呼ばれる所以は死者の蘇生ではありません。いわゆる夢見と呼ばれている、占いのような力です」
「夢見、ですか?」
僕はメルに通訳しないように言い含めて聞く。
「[夢見]スキルってあるの?」
「あるね。わりとふんわりとしたスキルで、未来を予見するタイプのスキルなんだけど、それほど拘束力が強くないというか。簡単に外れちゃうんだよね。ただポイントがひとつあって、大抵の場合、予見から外れた未来は、予見よりも良くない」
「悲惨な未来を予見するんじゃなくて、最善の未来を予見する感じか。効果範囲は?」
「自身か接触した相手だね。スキルを行使した状態で入眠すると、対象は良い未来を夢に見る、って聞いたよ。伝聞だけど」
「なるほど。信者を集めるには便利そうなスキルだ。じゃあここからは通訳してね。夢見というものについて具体的なことはどれくらい掴まれているんですか?」
「正直なところまだなにも。普通の占いと明確に違うのは、言葉での伝達ではなく、直接夢を見せるという点でしょうか」
メルの言う[夢見]スキルと同一で間違いなさそうだな。
それで本人が[湧水]の魔術を伝授される場を夢に見たということか。
それならあの場にふらりと現れたのも説明がつく。
だけどその結果として彼女は命を狙われている。
あの場に現れなかった場合はより悪い状況だったということか?
「では、そのアセンディア研究会というところに行けば、彼女がいるということですね?」
「必ずいるわけではないでしょうが、他に接触方法がない、というのが本音ですね。こちらの追跡は振り切られてしまいましたので、いまは団体本部を外から監視しているという状況ですが」
「では、中にいると確認できる状況になれば、ということですか? すでに彼女が研究会の外で拡散している可能性もありますが」
「可能性としては。しかし普通に考えれば公表しないでしょう。公表するとしてもアセンディア研究会の名前で大々的に喧伝すると考えるのが自然です」
売名目的か。
でもそれって普通の組織が相手の場合だよね。
アセンディア研究会というものについて、僕はなにも知らない。
けれど、緋美子さんという女性はこの目で見た。
個や組織の損得で動くタイプではないのでは?
つまりだ。
人類にとってその方がメリットがあると信じるならやる。
本物の狂信者。
僕はそんな印象を持っている。
たぶん、ダニエルさんが考える以上に状況は危機的だ。
「例えばいまこの瞬間にも[湧水]の魔術が公開されたとします。その後に不幸な事故が起きても米国に利益はありませんよね? むしろアセンディア研究会の名で[湧水]の魔術が公開された直後に、不幸な事故が起きるなんてできすぎている」
「ええ、その場合は別の事故が起きることになるでしょう。やられっぱなしというわけにはいかないのですよ。メンツの問題ではなく、以後に同じようなことが起きないように、それが必要なのです」
火の付いた導火線はもう短い。
「アセンディア研究会の場所を教えてください。直接乗り込んで話をします。どこまでなら話しても?」
「[湧水]の魔術についてアメリカは注意深く見守っています」
つまりアメリカが公開は許さないと言っているくらいは伝えてもいいということか。
どうやら歓迎会は主役が欠席しなければならないようだ。




