第507話 信じるに足る
僕の有罪は確定したが、執行はまた後だ。
なにせ今日は予定が詰まりすぎている。
白河ユイに異世界に転移できるという話をしたらあっさりと受け入れられてしまう。
この子の常識どうなってんの?
いや、スキルで無数の動物たちを操っていた実績を持つ子だ。
彼女の常識などとっくの昔に壊れてしまっている。
「というわけで、あっちに用事があるから僕とメルは行ってくる」
「今度でいいので私も連れて行ってくださいね」
「機会があればね」
僕は室内からキャラクターデータコンバートする。
メルとはパーティを組んであるから、触れてなくとも一緒に転移できる。
アーリアの僕の部屋に転移した僕らは靴を履いて、まずは冒険者ギルドに向かった。
聖女ギルドに寄付するための現金が必要だったからだ。
「いつアーリアを発たないといけないかわからないよね」
「そうだね。最悪の場合だと今から逃げるということもありえる」
エインフィル伯爵やレザスさんが抑えてくれているはずだけど、冒険者ギルド長が僕の存在を許容しきれなくなったらそこで終わりだ。
できればその前にアーリアを発ちたい。
冒険者ギルドのカウンターでメルは少しの間悩んでいたけれど、白金貨を何枚かと、金貨に銀貨と銅貨。
つまり全財産を引き出した。
僕は白金貨で何枚かだけ。全財産からすると一部だけど、引き出しておく。
「あの、あんまり一度に引き出されますと、ですね」
カウンターの受付嬢にそう言われるけど、僕の見立てでは冒険者ギルドは相当貯め込んでいる。
だからこれはあくまで受付嬢の決済範囲を超えるという話だと思う。
「今日はこれで終わりです」
「次は別の人のところに行ってくださいね」
と耳打ちされるけど、たぶん覚えてないからそこは運だと思うよ。
僕らは冒険者ギルドを後にして聖女ギルドへと向かう。
なんか冒険者ギルドと聖女ギルドは雰囲気が全然違うんだよな。
冒険者ギルドが外資系企業だとすれば、聖女ギルドはNPO法人って感じ。
実際聖女ギルドがやっていることがほぼ奉仕活動のようなもので、個人や商会からの寄付金で運営されているらしいから、そのまんまなんだろうけれど。
なんで職員さんたちもガツガツしていないというか穏やかというか、のんびりしているというか。
「こんにちは! 寄付しに来ました!」
「メルシアちゃん、また来たの!?」
これだよ。
寄付しに来た相手にそう言っちゃうところがよくない。
寄付というのは金を持っている人間が行う施しなのだから、いかに気持ちよく金を支払わせるかだ。
そうやってまた寄付したいと思わせるべきなのだ。
いや、この考えがよくないな。
僕も聖女ギルドの職員さんたちを見習おう……。
「それとこの人の鍵を受け取ったので報告しにきました!」
「おおおお~~」
聖女ギルド内がどよめきに揺れた。
「あのメルちゃんがなあ」
「立派になって……」
「先を越されている!?」
ひとり悲しい人がいるなあ。
「それでまだわからないんだけど、アーリアを発つかもしれないのでどーんとお金持ってきました」
「それは旅に出るってこと?」
「メルシアちゃん、いなくなっちゃうの?」
「行き先は決まってるのかい?」
「ってこれ、白金貨だ!」
「初めて見た!」
「メルちゃん、先立つものが必要でしょ! お金は大事にしなさい!」
なんで寄付した側が怒られてるの?
「大丈夫。まだお金はあるから!」
「中層まで行ってる冒険者は稼いでるわねえ」
「いや、そっちの商人くんの稼ぎだろ」
「あ、僕も同額寄付しときますね」
「白金貨が2枚になった!?」
まあ、白金貨って使いどころないから見たことないよね。
少なくとも買い物で白金貨なんて出したら白い目で見られる。白金貨だけに。全然面白くないな、これ。
買い物で白金貨って感覚的には駄菓子屋でうまい棒を買って万札を出すような感じだ。いや、小切手かな。
白金貨というのはBtoBの取引で使われるもので、個人が支払いに使うものではない。
金貨に換えるにしても手数料でかなり持って行かれるし、メルも白金貨で寄付したくはなかっただろうけど、全財産金貨にすると持ちきれないからね。
ちょうどあまりの金貨がそれほど多くなかったから、白金貨で寄付したんだろう。
「こんなにもらえないですよ」
「孤児院やここの設備の修繕費に充ててください。だましだまし使ってますよね。大規模修繕が必要に見えます」
「それはそうなんだけど、そんな予算があったら炊き出しとかに充てたくて」
「その予算が降ってきたわけです。僕の寄付については目的を指定します。設備の修繕費に使ってください。それ以外への流用は認めません」
「そんな!」
自分たちの使うものなのに、どうしてそんな悲痛な声を。
別に贅沢しろって言ってるわけじゃないんだよなあ。
今の設備が老朽化してるように見えるから、せめて綺麗にってことなんだけど。
「孤児院の設備や、事務所が綺麗過ぎると寄付金を打ち切られちゃうのよ」
「あー!」
なるほど!
悲しい現実。
アフリカの泥水を啜る子どもたちは、泥水を啜り続けなければ、寄付金という金の流れが止まってしまうのだ。
もう大丈夫だなと思うと、当然寄付は止まる。
継続的な寄付というのは、一度止まると再開してもらうのがとても難しい。
泥水がどうにかなったところで、支援が必要なことに変わりはないのだ。
であれば、子どもたちには泥水を啜り続けてもらって、目的の指定されていない寄付金は他の支援に充てたほうが効率的だ。それこそ医療とか。
「では目的の指定を取り消します。うまく使ってください」
「助かるわぁ」
聖女ギルドの職員さんたちが私腹を肥やすようなことは考えられないから、別にいいように使ってくれていいんだ。
ただ自分たちのために使うように指定しないと、この人たちは際限なく誰かのために注ぎ込むと思ったんだ。
もちろん僕は他人の善意を信じたりはしない。
募金箱を持って立っている人が、本当にそのお金を寄付するのかなんてわからない。
だから僕は街角で募金したりしない。
その人を信用するに足る情報がないからだ。
だけど聖女ギルドの人たちは違う。
この人たちは奉仕に人生を捧げている。
もちろん給金をもらっているが、贅沢ができるほどではない。
人生を捧げたことに対する報酬としてはあまりにも些細だ。
僕の感覚としては価値の釣り合いが取れていない。
ゆえに僕の判断としては彼らは報酬以外になんらかの利益を得ている。
問題は寄付金をかすめとっていたとしても、かけたコストと釣り合わないということだ。
なぜなら寄付金の横領は、それがバレたときに失うものが大きすぎる。
ということは真っ当に足りていない分の価値を彼らは得ているのだ。
ではそれはなにかというと、すごく悪意のある言い方をすれば施しによる満足だと思う。
僕がお金を寄付するように、彼らは人生を寄付しているのだ。
人生は重く、報酬という対価があって、なんとか釣り合いの取れるあたりに収まる。
僕は本当に嫌な人間だな。
だけど裏のない善意をそのまま受け取ることはできない。
彼らが満足感を得るために奉仕的な労働をしているのだと思うからこそ、僕は彼らを信じられる。
信じるには理由が要るのだ。




