第497話 白鯨だって丸呑み
大喝采はすぐに手拍子に変わった。
メイ! メイ! メイ!
観客の大合唱。
これはもう早すぎるアンコールなんてものじゃない。まるで革命家の解放を求めるデモだ。
警備員のふりをした自衛隊に連行されていく橘メイは、マイクを失った右手を高く掲げる。
「アイルビーバァーック!」
うおおおおおおおおお! と橘メイの宣言に観客のボルテージは最高潮だ。
『音源流せますけど、これどうしましょうか?』
『静かめの曲に変更して。メイのソロパートのないやつよ。ステージにもカンペを。メイをステージに戻す前提でやるわよ』
咲良社長の言葉を受けてスタッフの間に動揺が走る。
これだけのことをやらかした橘メイをステージに戻す?
だが観客はまだメイをコールして彼女の帰還を待ちわびている。
『絶対に立て直すわ。ライブも、メイも』
力強い宣言。
「みなさん!」
ステージの上で声を張り上げたのは白河ユイ。
彼女はこういうトラブル時に度胸がある。前のライブでもいち早く観客を動かしていた。
「メイは必ず戻ってきます。アイドルの、ステラリアの、橘メイになって、戻ってきます!」
わああああああ! と歓声。
なんなら今日初めてじゃない?
「でも!」
白河ユイはステージ上でポーズを取る。自分を可愛く魅せるための形になる。
「私たちもちゃんと見てくださいね!」
『音入れて!』
イントロが流れ出す。
熱狂を落ち着かせるような譚詩曲。
スタッフさんがすごく頭の回る人なのか、それともただの偶然か。
あなたの帰りをいつまでも待ちます、という歌詞の曲だ。
「みんなも一緒に!」
小鳥遊ユウが呼びかけて、合唱が始まる。
スローテンポな曲なので歌詞さえ覚えていれば、それっぽく歌うのが簡単だ。
いま会場は今日一番の一体感に包まれている。
帰ってきてくれ、いつもの宇宙一可愛いアイドルとして! と誰もが願っている。
僕はどうするべきだろうか。
僕が動けるのは裏側だけなのだから、橘メイのところに行く、という選択肢もある。
いや、違うな。
行くべきなのは僕じゃない。
あんな啖呵を切った女の子に、振った僕が会いにいくもんじゃない。
僕の腕を掴んでいたメルの手が離れた。
「行ってくるね」
「うん、お願い」
いま橘メイのところに行くべきなのは恋敵だ。
彼女を奮い立たせるにはきっとそのほうがいい。
メルは人を煽るの得意なところあるよね。そんなとこも好き。
メルが舞台袖から消えるのを見送って、僕はステージに視線を向ける。
ライブの進行に口出しはできない。僕は見守るしかできない。
前のライブは、ほら、ちょっと状況が違うよ。
橘メイの不在は、以前のステラリアであれば大きかっただろう。
言うならば橘メイと仲間たち、くらいにパワーの差があった。
だけどいまのステラリアは一人一人がソロでステージに立てるだけの魅力を手に入れている。
だから四人でもライブが成立する。
なんなら私たちだけで成功させるから帰ってこなくてもいいぞと言わんばかりに、みんなは観客へと訴えかける。
二曲目、三曲目、流石にそろそろMCを入れたい場面だ。
だけどステラリアのMCは橘メイが中心になってやってきた。
この規模のステージでMCの中心になれるのは……。
「みんな! 今日は来てくれてありがとう!」
流暢に言って前に出たのは九重ユラだった。
今日一番の想定外と言っていい。
「いきなりびっくりさせちゃったよね。メンゴメンゴ。メイは裏ではいつもあんな感じです。嘘です。流石に私もびっくりぽんのちゃんちゃらぽんぽぽん。すぐに戻ってくると思うので、先にメンバー紹介して仲間はずれにしちゃおう。九重ユラです! 恋愛はよくわからないですけど、ママとパパは募集中です! みんな、養育費をよろしくね!」
九重ユラらしさを残しつつ、いつもの彼女ではない。
まるで橘メイが乗り移ったかのようだ。
「じゃあまずメンバーの蒼一点。小鳥遊ユウくん!」
「いや、ボク別に男の子じゃないし……。というかそれ紅一点の男版なの? 聞いたことないんだけど」
「私も初めて言いました!」
「だよね。みんな、こんばんは! そろそろ定型の口上作ってもいいんじゃない? って思ってる小鳥遊ユウです。いきなりこんなだけど、最後まで楽しんでいってね! みんなの新しい一面が見えるライブになるかもね」
「続いて突然キャラ変した白河ユイちゃん!」
「それ私が喋ってからにしてくれません? まだファンの皆さんは知らない情報ですよ、それ」
「いつものユイちゃんだった」
「そうでしょうか?」
白河ユイは九重ユラのところに行って、その頭をそっと撫でる。
「ユラ、司会が大変だったらいつでも変わりますからね」
「こんなのユイじゃない! 優しい!」
そう言った九重ユラのほっぺを白河ユイが軽くつねる。
「失礼な。私は前から優しさでできていますよ。半分だけ」
「いひゃいいひゃい。残りの半分はなに? とうがらしなの?」
「カプサイシンではありません。レシニフェラトキシンです。10gの摂取で死にます」
「毒だ!」
「まあ、トキシンって毒物みたいな意味だからね」
小鳥遊ユウが博識さでMCに割り込んで来る。
ほら、なにまごまごしてるんだ。鳴海カノン。仮面が剥がれかけてるぞ。
「デトックスとか言いますもんね。ユイちゃんがなかなか挨拶しないので先に挨拶しちゃうね。今日も元気いっぱい鳴海カノンです! 私だけでもいいから覚えて帰ってってね」
「チケット代を払って来ている時点で知らないはずがないのでは?」
「ユイちゃん、それを言ったらこのパートの半分くらいが意味消失しちゃうよ……」
「ではトリを務めます。白河ユイです。みなさん、今日は楽しんでいってくださいね」
「そのために挨拶を遅らせていた!?」
『メイを戻すわ。もうちょいMC引っ張って!』
インカムから咲良社長の声が聞こえ、カンペが出る。
その途端、九重ユラが白河ユイを引っ張り出した。
「ユラ、なに?」
「ひっぱってって書いてあるから」
「ユラ、カンペは読んじゃダメだよ」
うーん、楽屋ノリになってきたな。
この前のライブはこんなことなかったから、その辺も橘メイがうまくコントロールしていた、ということなのだろう。
いなくなって大切さがよく分かるってやつだ。
そして彼女たちがこのような即興のノリでMCをやっていることに観客は好意的な反応を返している。
大爆発した観客の感情も何曲か静かな曲を挟んだお陰で落ち着いている。
そして橘メイより先にメルが舞台袖に戻ってきた。
「おかえり。どうだった?」
「ばっちり。しっかり焚き付けてきたから」
それ本当に大丈夫なのかなあ?
僕がちょっと不安に思っていると、ステージの奈落から橘メイが飛び出してきて、ヒーロー着地を決める。
「みんな、こんばんは! 橘メイです!」
すかさず可愛いポーズ。
こいつ全部なかったことにする気だ!
もちろんなかったことにはならなくて、観客は英傑の帰還に沸く。
猫も杓子も大騒ぎの観客に、橘メイは腕を振り上げた。
「あー、もう、こうなりゃヤケだ。本気を出すからついてきてよね」
それはステラリアのみんなにも、観客にも向けられた橘メイの宣言。
――私はまだ本気を出していないぞ。
という、彼女を知る誰もが絶望を感じそうな、本気宣言で、
そして橘メイは本当に今夜のステージを丸呑みにした。




