第482話 子の成長と巣立ちについて
控え室に入ると、九重ユラは椅子に座ってぼーっとしていた。
僕らが入ってきたことに気付いて、ぱっと顔が明るくなる。
「咲良! ヒロ! あとユイ!」
「なんだかおまけの扱いのようですけど、別に構いませんよ」
九重ユラは立ち上がってこちらに駆け寄ってくる。
「ヒロ、抱っこ!」
「はいはい」
僕は九重ユラを小さな子どもにするように抱き上げる。視線が高くなった九重ユラはキャッキャと歓声をあげる。
こういうところ本当に十歳なんだよなあ。
肉体的には白河ユイより成長してるから恐ろしい。
「ヒロさん、なにか変なことを考えてませんか?」
「まさか。結果的に早く来てよかった。ユラちゃんに寂しい思いをさせるところだったね」
「ん~、ひとりでも平気の助」
それが悲しいのだ。
まだ幼い子が独りでいることに慣れてしまっていることが辛い。
「それじゃ二人ともユラをよろしくね。私はいま手が離せないから。リハが始まるまでは自由にしてて」
そう言い残して咲良社長は控え室を出ていく。
本当に忙しそうだ。
そらそうか。
ライブの前日に記者会見やってたから、全然事前打ち合わせとかできてないだろうしな。
「じゃあユラちゃん、なにして遊ぼうか」
「台本読む!」
それ遊びの範疇なんだ。
そして台本読んでてあの自由さなんだ。
「いいよ。一緒に読もうか」
僕は椅子に座って、膝の上に九重ユラを乗せる。
九重ユラが指差したそんなに分厚くないホッチキス留めの台本を手に取った。
「ヒロさん、膝はふたつありますね」
僕の隣に立って白河ユイがそんな事実を確認する。
「人間だからね。膝はふたつあるね」
「では、失礼して」
「脈絡がないんだよなあ」
「ユイも一緒に読む」
じゃあ仕方ないか。
僕がちょっと脚を開くようにすると、なんの遠慮もなく白河ユイが滑り込んできた。
人の目がないからいいけど、見た目は成人女性をふたり膝に乗せている男がいる状態なんだよなあ。異様。
一旦、ペラペラと台本をめくってみる。
「へえ、結構ちゃんとMCの内容も決まってる感じなんだ」
僕はライブを見たこと自体がほとんどないというか、前回のステラリアの2daysが初だったんだけど、めちゃくちゃ自由にやってるように見えて、実はしっかり台本が決まってたんだなあ。
全然台本が守られていなかったような気がするけどな。
「ヒロ、はやい、もっとゆっくり」
「ごめんごめん。最初から読むよ」
僕がト書きを読み、二人が自分の担当分を口にして、他の三人のMCも僕が読み上げる。
「いや、僕の担当部分が多すぎない!?」
「ヒロのものまねおもしろーい」
「下手すぎてウケますね」
それっぽくしようとしてたのに、僕が泣いちゃう。
「似せようとするのやめようか」
「えー、もっと聞きたい~」
「じゃあ仕方ないか」
僕が観念して続きを読もうとすると、白河ユイの手が僕の頬をつねった。
「ヒロさん、ユラにだけ甘すぎません?」
「僕はユラちゃんのことは甘やかすって決めてるから」
「だったら私も甘やかすべきです」
「脈絡がないんだよなあ」
「そうでもないでしょう。マネージャーが担当グループのメンバーで扱いに差を設けるのはよろしくありません」
むにむにと僕の頬をつねりながら、白河ユイは正論を口にする。
「じゃあ考えてみてよ。僕が鳴海カノンにこんなことしたら、どうなると思う?」
「婚姻届が提出されます」
「不受理届け出しとかなきゃ……」
まあ、いまは結婚できる戸籍を持ってないけど。
「ヒロは咲良と結婚しないの?」
九重ユラが爆弾を渡してきた。
ここに咲良社長がいなくてよかったなあ!
「ユラちゃん、人と人の関係性は結婚だけじゃないんだ」
「そうです。結婚とは関係なく愛し合うこともできます」
シャラップ。白河ユイ。
九重ユラがわからないだろうからいいけど。
いや教育によくない!
「私もヒロのこと好きー!」
「僕もユラちゃんのこと好きだよ」
「私もヒロさんが好きです」
「ユイちゃんのこともちゃんと大事に思ってるよ。うん。マネージャーとして」
「納得できないです。好きと言ってください」
「じゃあそのスマホのアプリを全部落としていったんカバンにしまおうか」
「……あとで編集するのでもう好きって言ってもらわなくて大丈夫です」
「大丈夫じゃないんだよなあ!」
声をコラージュするのやめてもらっていい?
「第一、ユラにそんなにかまいすぎて、その後はどうするんですか? ユラが独り立ちするまで面倒を見るんですか?」
「面倒を見るとまではいかなくても、いきなり関わりを断ったりはしないよ」
「ここにも餌付けされた女がいますが」
「君はもう成人してるでしょ……」
そうなんだよなあ。白河ユイは成人しているのだ。
しかも三年先まで部屋を借りてる。十分じゃない?
「ちなみにユイちゃんは大学はどうするの?」
「東京女子大学を受験するよう言われてましたけど、今はどうするか迷っています。永久就職口はありませんか?」
「あいにくと僕は知らないなあ」
東京女子大学は知らないけど、女子大は確かにあの親が行かせたがりそう。
「正直、今の稼ぎでは自力で大学に行くとなると、なにか夜にお酒が出るようなお仕事をしないと難しそうです」
「学費と生活費の心配はしなくていいからね。大学を出るまではお金で苦労はさせないと約束する」
きっちり言質を取られてしまった。
それにしてもステラリアは中堅くらいのアイドルだと思うんだけど、それでもお給料はそんなもんなんだ。世知辛いね。




