第468話 安全な場所から正義を振るう
床に組み伏せられた代筆屋は、襟元を絞められ声が出せないようだった。
呼吸ができているのかも怪しい。
顔色が青紫に変わりつつある。
緊急性があると僕は判断した。
室内にいたスーツ姿の警官は警視正を除くと5名で、うち2名が代筆屋を取り押さえている。
僕がボディバッグに手を入れると、フリーの3人がスーツの中に手を突っ込んだ。
今度こそ武器を掴んだに違いない。
僕はボディバッグの中で操作をして3秒待った。ひどく長い3秒だが、僕が武器を抜いたと確定したわけではないので、連中も武器を抜けない。そして手に持ったそれを山なりに部屋の中に放り投げた。
目を閉じ、耳を塞ぐ。
次の瞬間、手のひらを突き抜けて轟音が、そして閃光がまぶたを焼いた。
僕は目を閉じたまま、右手に移動する。
軽い破裂音が2度聞こえた。
たぶん銃声。
閃光に目が眩んで思わず撃ってしまったのだろう。
目を開けると、警官たちは目を閉じ、銃や警棒を抜いてはいたものの、ショック状態に陥っている。
そう、前からその有用性を考えていた閃光手榴弾を僕は持ち歩いていたのだ。
「発砲するな!」
誰かがそう言ったのが聞こえる。多分、警視正を名乗っていた男性だろう。
僕には聞こえた。けれど他の警官たちはどうかな?
僕はまず代筆屋の襟元を絞めている警官に駆け寄ると、その肩を足でそっと押すように蹴った。
多分レベル20かそれより下くらいの人なんだけど、僕が本気で蹴ると殺してしまう。レベル差があるときに相手を死なさずに制圧したいのであれば、打撃は禁止だ。
補正前の筋力は相手のほうが高いんだろうけど、レベルによる補正は残酷だ。
代筆屋を取り押さえていた警官は軽々と持ち上げられ、少し宙を舞った。
代筆屋を取り押さえるというよりはしがみつくようになっていたもう1人も、蹴り押して代筆屋から離れさせる。
代筆屋の体を抱き上げ、警官たちから距離を取り、中回復魔術を代筆屋にかける。
みるみるうちに顔色が良くなっていく。
「公務執行妨害の現行犯だ!」
警視正が叫ぶ。
部屋の入り口側にいたおかげで閃光手榴弾の影響が小さかったのだろう。
一回威圧で黙らせるかと僕は思ったけれど、一斉に部屋に押し寄せてくる別の気配を感じて、方針を変更する。
代筆屋を部屋の隅に移して、僕の体で彼を守る形にする。
次の瞬間、部屋の窓ガラスが一斉に割れた。オレンジ色のツナギを着た人影がいくつも窓側から、カーテンを押しのけるように、そして部屋の入り口からも突入してくる。
彼らはそれぞれに武器を持っていて、銃みたいなのもあれば、分かりやすく手斧を装備している人もいる。
僕はキャラクターデータコンバートするか迷った。
彼らの動きの鋭さからして、レベル20はゆうに超えている。30前後の者もいるようだ。武器を持ち、手練れだとすれば、僕だけでは対処しきれない。
だが彼らの目標は僕ではなかった。
彼らは閃光手榴弾の影響でまだ苦しんでいる警官を次々と制圧していく。そして部屋の中をクリアリングした。
「クリア!」
「クリア!」
ほんの数秒の出来事だった。
僕が狙われていれば、アーリアに脱出する以外になかった。
「なんだ、おまえら! こんなことしてただで済むと思うなよ!」
取り押さえられながらも警視正は元気に喚いている。
突入してきた彼らは東京消防庁のレスキュー隊員の制服、いわゆるオレンジを着ているのだけど、どう考えても本物ではないよね。
「樋口湊さんですね。突入が遅れて申し訳ない。ご安心ください。我々は自衛隊です。あなたの身に危険が及ばなければ動けなかったのです」
突入してきたオレンジのひとりが僕を守るように立って言った。
「えっと、その服装は?」
「はは、こんな東京のど真ん中で迷彩服を着たまま作戦行動などしません」
まあ確かにレスキュー隊員の制服を着ていたら、懸垂降下していても違和感が少ないだろう。しかし自衛隊に非合法な活動をする準備があったとは驚いた。
考えてみればそういう準備はあって当たり前だよな。
なんか自衛隊ってそういうところ生真面目すぎる印象があった。
「彼らの身柄をどうされますか? ブリギット関係者に脅迫があったとも取れますが」
あー、確かに僕もブリギット関係者か。その視点は抜けてたな。
ということは自衛隊としてはここで取り押さえた自称警官たちを僕に引き渡さなければならない。
でも多分本物の警官たちなんだよな。
「待ってくれ……、警視庁としては管内で自衛隊に好き勝手やられっぱなしではいられない。特に犯罪者の拘束を自衛隊がやって、その上、個人に身柄を渡すなんて認められるはずがないんだ。不可抗力だよ」
絞り出すように言ったのは代筆屋だった。
まだ首を絞められた苦しさが残っているのか、手を首に当てている。
警視庁ではなく警察庁所属だったとは言え、彼は元警察関係者だ。仲間の命がかかっているとなると黙っていられなかったらしい。
「事情はわかります。しかし僕が決めたルールを僕が破るわけにはいかない」
「ルールはお前さんに身柄を渡すところまでだろ。そこからの処分はよく考えてくれ。警察は身内をやられたらどこまでもしつこいぞ」
「そうやって法と身内に守られた結果が、今回の暴走でしょ。ちょっと警視正さんの言い分を聞いてみましょうか。あなたはどうしてここに? 上からの命令ではないでしょ?」
僕が質問すると、自衛隊員は警視正を拘束する手を少し緩めた。
「その警官崩れの言うとおりだ! いいか! 桜田門の目の届くところで犯罪捜査の邪魔は誰にもさせん! 日本は法治国家だぞ。守るべき法と秩序がある! ましてや我々に手出しをしてみろ。どこまでも追いかけて檻の中に放り込んでやる!」
「つまり自分たちの縄張りを守るためなら、主人の命令にも背くわけでしょ。とんだ狂犬だ。代筆屋さん、この牙が一般人に向くとき、誰がその人を、その人生を守ってくれるんですか? 僕は気に入らない。こいつらが安全な場所から一方的に正義の拳を振るっているのなら、噛み付き返してやる。お前らを守る法も、警察としてのメンツも、ただの飾りだと思い知らせてやる」
僕が本気だとわかったのか、あるいは彼自身に思い当たるところがあったのか、代筆屋は口を結んでそれ以上はなにも言わなかった。
「実行犯たちは拘束して屋上に運んでいるんですよね。彼らも同じように」
僕が自衛隊員にそう言うと、彼らはテキパキと作業を始めた。
代筆屋はまだ立ち上がれそうにないので、自衛隊員にひとり残ってもらって様子を見ていてもらうことにする。
他の面々は新しく拘束した実行犯を連れて屋上へと向かい、僕もそれに付いていった。
さあ、処刑の時間だ。




