第467話 自分が売国奴であることを知らない人たち
さすがにそろそろ代筆屋のところに行かなければ、歌舞伎町から第三次世界大戦が始まってしまう。
僕は控え室の隅で膝を抱えてブツブツとなにかを呟いている咲良社長を常森さんに任せてTKP東京駅カンファレンスセンターを後にした。
僕は中央線を使って新宿へと向かう。
マナー違反だと知りながら、電車内で代筆屋に電話をかけた。
ちなみに通話アプリの通知は二桁件数になっていた。
『遅いよ! こっちはもう終わりだよ!』
通話が繋がった瞬間、代筆屋はらしくもなく悲鳴のような声を上げた。
「もうちょっとわかりやすく状況を教えてください」
『運び込まれた人数が多すぎて、部屋に入りきらないの! 誰かが屋上への鍵ぶっ壊して、そっちでにらみ合いしてるよ!』
「にらみ合い? 誰と誰がですか?」
『わかんねーから終わりだっつってんの! 何カ国の工作員がいんのよ!』
「僕に聞かれても困ります。人種で判別できないんですか?」
『現地工作員なんて、現地人使うに決まってんでしょ!』
「あー」
スパイ映画だと白人の工作員が全世界を股にかけて大活躍するが、実際には白人を主とする国家以外で白人が大きな動きをするとかなり目立つ。
実際の諜報活動において、現地工作員とは、現地の国籍を持ったその国の人間なのだ。
あなたと幼い頃から知り合いの隣人が、実はある日を境に他国の工作員になっていたというのが現実だ。
人が入れ替わるという意味ではない。生粋の日本人が金や脅しなどで、祖国を裏切るのだ。
場合によっては裏切ったという感覚すらないかもしれない。自分の雇い主が外国の諜報機関だと気付いていない可能性すらある。
あなたが働いている会社は本当に日本のために活動している企業ですか?
闇バイトなんて生温い。
中小の株式会社なら、日本人投資家を通じて買うのは簡単だ。
後は息のかかった人物を代表に据えればいい。
あっという間に売国企業のできあがりというわけだ。
しかも社員はその事実を知らない。
「まあ、僕としては結果的にブリギット関係者が害されなければそれでいいんですが」
『記者会見が終わったんならもう手出しはしてこないだろ。それをなんとかしようとして暴走してんだろうし。早くこっちに来て回収してくれ』
「はいはい。1時間くらい待ってください」
新宿駅までは20分もかからないが、アーリアでの準備がある。また30層かな。あそこ不人気だし。
問題はどこでキャラクターデータコンバートするか。
今も僕の周りには十数人の尾行がついている。
多分二人組で行動してて、6組か7組だろうな。
国内組織と、アメリカ、中国、ロシア、韓国、あとどこだろうな。
いや、もう僕が転移できること自体は知られてもいいか。どうせ実行犯を回収する際に知られる。どこに飛んでいるかまではわからないだろう。
わかったところで、彼らが付いてくる手段は、僕が転移するときに接触する以外にない。しかも戻ってこられるとは限らないのだ。
普遍性のないものを技術とは呼べない。
僕のキャラクターデータコンバートは今のところユニークなスキルだ。
異世界の技術や知識を運んでこられるのは僕だけだ。
つまり転移を知られたところで僕の価値は揺るがない。
新宿駅についた僕は、トイレの個室の鍵を閉めてアーリアにキャラクターデータコンバートした。30分くらいじゃこじ開けられたりはしないでしょ。
ダンジョンに走って行って、ポータルから30層に移動して、トイレに戻ってくる。
ふー、こんなに狭い場所に飛ぶのは初めてだったから、位置ズレが怖かったけど、大丈夫だった。隣の個室に出現する可能性だってあるんだよな。その辺、運営はちょっと適当だから。
トイレを出た僕は今度こそ代筆屋のところに向かう。
目的の雑居ビルが視界に入る頃になると、監視の数が何倍かに増えた。この雑居ビル自体が相当な数に監視されているのだ。
感覚的だけど手練れも多い。
レベル30くらいの人もちらほらといるな。
全員が協力して僕を取り押さえに来たら、対処しきれない。
その時は何人かを巻き込んででもアーリアへキャラクターデータコンバートするしかない。スキルは念じるだけで発動するから、一瞬で意識を刈り取られない限りは転移ができるはずだ。
うーん、30層ポータルだと29層の出口ポータルに移動ができるから、レベル30が複数人いれば入口ポータルを目指せるかもしれない。
でも31層は人が多いからなあ。
アーリアでは魔石の価値は30層を境に跳ね上がる。
結界装置が動かせるようになるからだ。
でも30層のドラゴンは手強い。だから31層が人気になるというわけ。
まあ、何人いようが地図もなしに29層から1層入口ポータルまで脱出するのは水と食料の問題で不可能だ。ダンジョン内のモンスターは死ぬと靄になって消える。空腹を満たすことができない。
僕は符丁通りに代筆屋の扉を叩く。
扉を開けたのは代筆屋ではなく、見知らぬ壮年の男性だった。
なぜだかわからないが、怒りで顔が紅潮している。白人でもないのに、ここまで顔が真っ赤になるもんなんだな。なんて僕は考えていた。
「お前か! のこのことやってこれたもんだな! おかげさまで日本の平和はめちゃくちゃだ!」
「失礼ですが、僕は歌舞伎町の代筆屋に約束のモノを受け取りにきただけです。それとも、あなた自身が僕が受け取る荷物ですか?」
「私を誰だと――」
男性がスーツの内側に手を突っ込む。銃、じゃないな。
「警視庁警視正だぞ!」
突き出されたのは警察手帳だ。
いや、知らんがな。
僕がどうでもいいと思っているのが伝わったのか、男性はさらに声を荒らげた。
「こんな騒動を起こしやがって! 騒乱罪の首謀者として引っ張ってもいいんだぞ!」
そう言って男性は僕に指を突き付ける。
「それでこの手を振り払えば、公務執行妨害ですか。いいですね、法律に守られてキャンキャン吠えられる犬は」
「それは侮辱だぞ!」
真っ赤な顔を震えさせながら男性はキャンキャン吠える。
「侮辱罪の要件には、侮辱を公然と行うことですよね。おっと事実だから名誉毀損罪かな?」
このまま憤死してくれないかなと思いながら、僕は男性の横から部屋の奥に声をかける。
「おーい、代筆屋さん。もしかして拘束されてます? ああ、ブリギット関係者じゃないから危害を加えてもいいということですかね?」
返事は誰からも返ってこない。
「ヤツは逮捕だ! 証拠ならこの部屋にいくらでもある!」
「うーん、そんな理屈が外の人たちに通じるとも思えないし、まだそこにいますよね。連行しようと連れ出したら米軍が黙っていないでしょうし」
今や代筆屋は僕と米軍を繋いでいる。
その米軍が代筆屋がここから連れ出されるのを黙って見ているとは思えない。
「では失礼」
僕は右へフェイントをかけ、左から男性をすり抜けて室内に入った。
いくら不器用な僕でもレベルの上がってない相手ならこれくらいはできる。
室内に入った僕が見たのは二人がかりで床に組み伏せられている代筆屋だった。
僕は努めて冷静であろうとしながら言う。
「警官なら知ってますよね? 正当防衛って知人を助けるためでも成立するんですよ」




