第462話 崩れたなら直せばいい
常森さんによれば咲良社長は別室を借りて、記者会見用の原稿を弁護士と相談して作成中ということだった。
なるほど、それでLINEの返信がなかったのか。
僕は咲良社長がいる部屋の扉をノックして、返事を待たずにそっと開けた。
ミーティングルームは6人掛けのテーブルがひとつあるだけの小さな部屋だ。
扉から一番奥の席に座った咲良社長は、ノートパソコンを前に画面の向こう側と話をしている。オンラインミーティングで弁護士に相談しているのだ。
「ではここは先生からいただいた文面に変更します」
『そうしてください。記者会見において重要なのは、まず印象です。それも記者に与える印象です。彼らだって人間ですから、受けた印象がその後記事にする内容に影響を与えます』
話の途中からなので推測することしかできないが、声明文の手直し中であるようだ。
「わかってはいるのですが、いざ当事者となると難しいですね」
『記者はある程度こういう記事を書こうと当たりを付けて記者会見に来ますから、それを覆させるだけの好印象を与えなければなりません』
「そこで芸能事務所社長としてではなく、東雲ひなのキャラクター性ですか」
咲良社長は僕にちらっと視線を寄越したが、何食わぬ顔でパソコン画面と話を続ける。
僕は邪魔にならないように、部屋の隅で咲良社長の原稿ができあがるのを待った。
スマホを見ると午後二時過ぎだ。
記者会見まではまだ時間があるけれど、原稿に加えて質疑応答の想定問答があるだろうし、余裕とはとても言えない。
話を外から聞いている限り、咲良社長は東雲ひなとして壇上に立つつもりだ。
それはつまりかつて枕営業の疑惑をかけられた当人がカメラの前に戻ってきたということになる。
事を大きくしたくないテレビ局やその系列メディアはともかく、独立系の、例えばWebメディアからはかなり突っ込んだ質問を受けることになるだろう。
「とんでもない悪女の誕生ですね」
しばらくして咲良社長はパソコンに向かって苦笑する。
メディア関係者と性的な関係があったこと。それは事実だ。
物理的、精神的を問わず、強要があった。それは否定できない。
一方で強要があったと告発もできない。
咲良社長は映像を使って加害者を脅迫し、金を引き出している。
ここを指摘されると、咲良社長も罪に問われかねない。
咲良社長の持つ映像は敵も味方も吹き飛ばす大型爆弾のようなものだから、もっと決定的な場面でなければ使えない。
篠峰羅鍛もそれを承知でしかけてきたのだ。
あいつは咲良社長に脅されたばかりだから、金を払う前に潰そうとしたに違いない。
「男をとっかえひっかえどころか、二股三股、不倫だろうが略奪だろうがお構いなし。自分でもちょっとないわーって感じです」
それはパートナーがいるにも関わらず、東雲ひなを陵辱した男たちの問題じゃないか。
とは思うが、それは僕から見た印象だ。
メディアというフィルターを通して、明らかになっている事実関係だけを観測すれば、とんでもない悪女のように見えるかもしれない。
僕はとにかく貝のように黙って、声明の内容から想定問答集ができあがるまで待っていた。
「ではこれで。ありがとうございました」
咲良社長はそう言ってマウスを操作し、長く息を吐いた。
僕がスマホを確認すると午後四時を回ったところで、思っていたより随分と早くまとまった。
聞いていた感じでは弁護士がこういう事例に慣れていて、想定問答集はほとんど完成したひな形があったようだ。
「待たせたわね。来てくれと言った覚えもないけれど」
咲良社長が僕の方を見て言った。
「ここを教えてくれたのはニャロさんと常森さんですよ。文句は彼女らに言ってください」
改めて見ると咲良社長の服装はいつものスーツ姿ではなく、白いワンピースに青いカーディガンを合わせている。僕が贈ったものではない。あまり高級とは言えない感じ。安っぽいとは言わないけれど。
髪のセットもいつもとは違った。
ビシッと決まっているいつものできる女って感じではなく、ふわりと広がったゆるい感じだ。
つまり目の前にいるのは咲良社長ではなく、東雲ひな、ということだ。
「会場の設営は終わったの?」
「そっちは常森さんが任せておけと。咲良社長を元気づけてやってくれって言われました」
メンタルケアって要はそういうことだよね。
「あんまり見られたくなかったんだけどな」
そう言って咲良社長はがくりと肩を落とす。
「そうですか? いつもの咲良社長も素敵ですけど、東雲ひなもちゃんと可愛く盛れてると思いますよ」
「もう10歳若かったらね」
そうは言うけど、咲良社長って三十歳未満にしか見えないんだよな。小柄なせいもあるとは思うけど、肌つやが若いというか。
僕は社長の隣に腰を下ろす。
そして気付いた。
東雲ひなとして武装した彼女の手が震えている。
「咲良社長?」
「はは、ダサいでしょ。強がってはいるけど、カメラの前に出ることを考えただけでこうなっちゃう。昔の私なら準備なんてせずにカメラの前に出られたのに、今の私は準備を整えないと怖くて仕方がない」
それだけ東雲ひなが受けた傷が深かったということだ。
アイドルから女優に転じてでも芸能界にしがみついていた東雲ひながなぜ引退したのか、僕はようやくわかった気がした。
単純に怖くてカメラの前に出られなくなったのだ。
僕は震える咲良社長の手を、自分の手で包み込んだ。
「僕は大丈夫だなんて気休めはいいません。震えを隠して戦ってください。人には戦うべきときがあって、今がそれです。どうしようもなくなったら僕も出て行きますからね」
「あなたね、それは脅しよ」
そう言って咲良社長は苦笑を浮かべる。
でも手の震えは止まらない。
それどころか肩まで震えだして……。
「ごめん。あなたのせいじゃないの。ただ、自分ではどうしようもなくて」
僕は我慢ならなくて、咲良社長を抱きしめる。
彼女の傷をなかったことにしたい。過去に戻って全部救いたい。
でもそれはできないから、こうして彼女の味方であることを示す以外にない。
「咲良社長、僕が後ろにいます。それしかできないですけど、すぐそこにいますから」
そもそも今回の件の発端は僕の短慮にある。
橘メイをホテルに連れ込んだあの画像がなければ、篠峰羅鍛だって攻撃をしかけようとはしなかったはずだ。
「バカ、メイクが崩れちゃうじゃない」
震えた声で咲良社長は言った。
「直せばいい」
僕はそう言って――、
「社長! テレビ局が機材を搬入したい――おじゃましましたあ」
「待って! 常森さん、変な誤解してそうだから出て行かないで!」




