第456話 娘の幸せを願う
ヴィクトル商会の商館は驚くほど実務的にまとめられていた。
つまり装飾品の類いがほとんどない。
金がないわけではないはずだ。
アーリアにおける鉱物の利権を独占しているヴィクトル商会は唸るほど儲けているに違いない。そうでなければ鉱物なんて金のかかるものを扱えない。
応接室で目に入った金がかかっていそうなものは、テーブルの端に置かれたブロックくらいだ。
親指の先くらいの大きさに揃えられた金属ブロックが綺麗に並べられている。
色合いがそれぞれに違う素材のブロックだ。
僕にわかるのは金と銀、銅、そして魔銀。真鍮と、おっと錫もあるな。
当然あると思っていたが、錫が鉱物としてあることが確認できて僕はほっとする。
すっかり冷めた紅茶に口をつける。
雑味の少なさからして、これは僕が持ち込んでレザスさんが販売している茶葉だ。
レザスさんの目論見通り、僕の持ち込んだ茶葉類は賓客をもてなす用に使われている。――んだよね? 嫌味じゃないよね、これ。
扉が開いて若い男性が入ってくる。後ろにヴィーシャさんを伴っていることからして、この人がヴィクトル商会の会頭なのだろう。
ヴィーシャさんの年齢から想像はしていたが、それ以上に若い。
僕の父さんよりももう少し若い。
アーリアでは男女で年齢差のある結婚も珍しくないから、もう少し年上の男性を想定していた。
僕は立ち上がり、アーリア流の礼をする。
「はじめまして。旅商人のカズヤです。お話を聞いていただけるようで安心しました」
「ヴィクトル商会の代表を務めていますヴィクトルです。はじめまして。カズヤさん」
丁寧な礼を返される。
ヴィクトル商会ではトップは代表を名乗るんだ。レザス商会とは違うんだな。
しかしもっと敵意をむき出しにしてくると思っていた。
なんだか思ったより歓迎されている?
応接室で待たされた時間からしてヴィーシャさんは僕が伝えたことを全部ヴィクトルさんに話したのだと思うのだけれど。
促されて着席する。ヴィクトルさんとヴィーシャさんも僕の向かいに並んで座った。
「娘から話は聞きました。鏡の製法と引き換えに娘が欲しい、と」
「そっちは主題では、いえ」
ヴィーシャさんがヴィクトルさんからは見えないように僕に向けて舌を出した。
好意的なものではない。あっかんべーに近いニュアンスだ。
なるほど。彼女なりの反撃らしい。
僕は彼女を妻として迎えたいとは言わなかった。だからそれを強制すれば、僕が嫌がると思ったんだろう。
僕は魔銀の話は後回しにすることにした。
「ヴィーシャさんがエインフィル伯爵の子を婿として望むというのなら、無理にとは言いません」
「だそうだよ。ヴィーシャ。君はどうしたい?」
ヴィーシャさんは父親の判断を仰がなければならないと言っていたが、その父親はヴィーシャさんの意見を尊重するつもりのようだ。
このなんというかすれ違いは気になる部分だな。
「どうしたいもなにも、お父様、新しい鏡の製法が手に入るのですよ! 商会が得る利益はあまりにも大きい」
「そんなのは些細なことだ。娘の幸せと比べたらね」
利益よりも子の幸せが大事だとヴィクトルさんは主張している。
僕に見せるためのパフォーマンスとは感じない。
ヴィクトルさんは心からヴィーシャさんの幸せを望んでいる。
騙されているんだとすれば、僕の目利きが間違っているということになる。
「僕はエインフィル伯爵の三男がどんな方なのかを知りません。ヴィクトル商会を任せるのに足る人物なのですか?」
「この場限りにしてくれよ。平凡で面白みに欠ける男だ。女性を見る目だけはある」
うーん、親バカだ。
「君はヴィーシャを娶りはするが、自由にさせると言ったそうだね。君は本当に娘を愛しているのか? この商会を手に入れるために、娘を利用しようとしているんじゃないだろうね」
「あ、そういうんではないです」
「違うのか」
なんでちょっとがっかりしてんの?
「そもそも僕が鏡の製法を譲渡するのはヴィーシャさんに対してです。僕の感覚からすると、その権利はヴィーシャさんのもので、あなたはヴィーシャさんから権利を買い取るか、借りるかして鏡の製造権を得ることになります」
「ふむ、興味深い考え方だ。ルリュール王国では一般的ではないね。女性がそのような権利を所有することはできないよ。暫定的に、ということであれば、ありうるが」
「暫定的に、ですか?」
「いずれ生まれてくる男児に権利を譲渡する前提で、一時的にその権利を保有することはできる。ただそれも独立している女性であればの話だね。ヴィーシャの場合は私の庇護下にあるから、君がヴィーシャに権利を譲ると言っても、それは成立しない。もしできたとしてもヴィーシャが得たその権利は、婚姻した途端に君のところに戻ってくるじゃないか」
「ああ、そうなるんですね。なるほど」
言われてみれば納得の理由だった。
「それに製法がわかれば模倣ができる。製造の権利を貸す、というのも意味がない」
そうなんだよなあ。
アーリアに知的財産権を守るような法があるとは僕も思っていない。
「どうやら君にはアーリアの常識から教えなければならないようだ」
しみじみと言われたその言葉でヴィクトルさんがまだ勘違いしているのだとわかった。
「あの、僕は婿入りする気もないです」
「じゃあダメだよ。ヴィーシャには婿を迎えてヴィクトル商会を盛り立ててもらわなければいけないんだ」
「商会のために婿を取るって言って、実は娘を家から出したくないだけじゃないですよね?」
「……」
おい、目を逸らすな。
「ヴィクトルさんには他にお子さんはいらっしゃらないのですか?」
僕が問うと二人は沈痛な表情になった。
「妻はヴィーシャを産んだときにね……」
「すみません」
無神経なことを聞いてしまった。
事前に情報を集めていればよかった。
ちょっと急ぎすぎて、情報収集を怠っていたのは事実だ。
そのときトントンとドアがノックされる。
「どうぞ」
ドアが開く。
「遅くなっちゃった。ヴィーシャに求婚したっていう男の子を見せて」
それはニャロさんくらいの年齢の女性だった。
明るく朗らかな笑みを浮かべ、座る僕を見つけて、パァとその笑顔がさらに輝いた。
「ねえ、私の娘のどこが魅力的だったの?」
僕はちょっと考え込んだ。
そして言った。
「生きてるんかい!」




