第438話 現状を整理する
さて代筆屋のところを出たので状況を整理しよう。
僕は移動のために電車に乗る。
今も警察や内調に尾行されていると思うけど、気にしないことにする。
電車の中にはブリギットの事務所で見た覚えのある中吊り広告がぶら下がっていた。
低俗で、公共の場に出してよいのかすら怪しい雑誌の広告。
コンビニでこういう誌面の雑誌が普通に置いてあるけれど、ゾーニングはどうなってんの?
昨夜行われた橘メイの謝罪配信は無難な出来だったと思う。
メルが世間一般の興味を完全にかっさらったおかげで、配信を視聴していたのは相当なステラリアのファンくらいのものだろう。
まあ、そのメルの配信でミラーしてたから、橘メイの謝罪は多くの人が目にしたはずだ。
興味があったかどうかは怪しいが。
明日に発売される写真週刊誌で橘メイが男性とホテルに入る写真が記事になるが、その男性は臨時のマネージャーであること。
ホテルには打ち合わせのために入っただけであること。
記事として世に出るものの憶測部分はすべて間違っていること。
これらを橘メイはしっかりと説明していた。
橘メイは意味不明な暴走特急だが、駅ではちゃんと止まるのだ。
それでもファンの紛糾は避けられなかった。
男性のマネージャーというのは、ステラリアがこれまでしてきたユニコーン向けの営業とは一線を画すものであり、裏切られた! という声が出るのは当然だ。
荒れたコメント欄から橘メイは無難なものを選んで回答していたが、当然ながら橘メイに疑惑を向けるファンがそれで減るわけではない。
一周年ライブはかなり苦しいものになるだろう。
だけど想定された最悪というほどではない。
騒動はファンの間で収まっていたし、SNSで拡散されて世間一般に着火することもなかった。
もちろんそれはすぐ隣で大火事が起きていたからだ。
魔術の公開によってオリヴィアチャレンジチャンネルは世の中を混乱に陥れた。
テレビなどの大手メディアはまだ反応していない。
彼らは事実確認というか、出来事に対して自分たちの見解を決めてから、それに伴った映像作りをするので、真実を即座に報じる、ということは滅多にない。
まず小回復魔術が本当かどうか検証して、それぞれの局の見解から、それに応じた専門家に話を聞いて、自分たちに都合のいいように切り抜く、という流れになるだろう。
報道されるまで二日か三日はかかると思う。
しかしネットニュースや、SNSは苛烈に反応した。
一晩の間にYouTubeは検証動画であふれかえった。
中には自分の腕をわざと傷つけて、小回復魔術で回復する、というようなものまであった。
この動画はYouTubeの規約に触れたからか、すでに非公開となっているが、傷が治っていく部分だけを切り抜いた動画が別のチャンネルでアップロードされ、それが拡散している。
僕は当然知っているが、小回復魔術はかなり効果の幅が広い。
体力を回復させるだけでなく、ゆっくりではあるが傷も治るし、その他の肉体の不調にも効果がある。
それらのうち、目に見えて効果のある部分はかなり暴かれたと言っていい。
世界中がつながっていることによって、物事を検証する力は以前とは比べものにならない。
ネットではすでにこの現象に対して、【魔術】の名を与え、この構成を【回復】と名付けた。つまりアーリアでは小回復魔術と呼ばれていたものは、地球においては回復魔術となったわけだ。
もちろん国家などがどう反応するかは分からない。
だがネット上ではそうなった。
そして代筆屋によれば、公権力がすでに動いている。
メルは昨夜の配信で魔術に詳しいことを匂わせたから、魔術について情報が欲しい連中は彼女の元に殺到する。
だがメルが誰かということは分からないはずだ。
樋口アナスタシア恵里にしたって、表の場でその身分を使ったことはほとんどない。
だけどYouTubeのオリヴィアチャレンジチャンネルは父さんの名義で登録されている。
つまりYouTubeを運営するGoogle社か、親会社であるAlphabet社に問い合わせれば、父さんのところまでは追ってこれる。
アメリカ政府がそれを許すかどうかの問題はあるだろうけれど。
僕がうっかりしてたのが悪いんだけど、家族にはとんだ迷惑をかけてしまうことになる。
電話したいけど、きっと見張られてるんだよな。
日本の警察や内調ならまだいいけれど、諸外国の工作員にソーシャルエンジニアリングを仕掛けられている可能性を考えると、下手な手は打てない。
下手に通話すれば情報が筒抜けになってしまうだろう。
僕、というか樋口湊については代筆屋自身が情報を漏洩させたから、僕には警察や内調の尾行が張り付いているはずだ。
だけど警察や内調の尾行がついているのは悪いことばかりではない。
他国の工作員が僕らの拉致を試みるかもしれないと代筆屋がほのめかしたが、公権力の尾行がついているということは日本が僕らを守っている状態とも言えるからだ。
だからこそ彼らのことはあんまり気にしないことにしている。
魔術についてはいずれ世間に公開するつもりだった。
だけどステラリアが攻撃されたからといって、反射的に使っていいような武器ではなかった。
僕も焦っていたということだ。
本当ならデータのURLをQRコードにして都内やネットにばらまくことを考えていた。
まあ、今更言っても仕方がないことなんだけど。
ステラリアのライブはもう明後日に迫った。
みんなは最終調整のためにレッスンスタジオにこもっているはずだ。
とにかくそれだけ乗り切ってくれ。
状況はかなり悪いけど、みんなならきっと乗り越えられる。
僕はそう信じている。
そう思った時、スマホが震え、メッセージを受信した。
咲良社長からだ。
『やられたわ。これを見て』
そうして添付されたURLをクリックすると、こんなタイトルのネット記事が表示された。
【枕女優東雲ひなが立ち上げた芸能事務所ブリギットはやはり枕営業の温床だった】




