第426話 正面から乗り込む
先ほど証券市場の取引が終了し、時計の針は十五時を回って十分の辺りを指している。広告の貼り替え作業が夜半に行われるとすれば、いわゆる営業時間の終了する前に話をつける必要があるだろう。
週刊火曜が全国誌であることを考えれば、どんなに遅くとも十七時までに結論を得たい。
残り二時間もない。
タクシーは株式会社ウイークの自社ビル前で止まる。
車の乗り入れができるエントランスだ。
運転手に一万円を握らせて、釣りは受け取らない。
その時間すら惜しい。
エントランスには警備員が立っていて、IDを持たない僕らが真正面から乗り込んでくるものだから、制止のために前に出てこようとした。
僕とメルは同時に戦闘態勢に入った。
レベル補正が効果を十全に発揮し、僕らの敵意ははっきりとその警備員に向いた。
おそらくある程度レベルを上げている熱心な警備員だ。
それが仇となった。
実力差を肌で感じられるようになるのにも、ある程度の実力が必要だ。
彼はそれに達していた。
銃刀法の改正された日本では、警備員は刃物で武装しているが、彼はそれを手に取ることができなかった。
震える手からこぼれ落ちた長剣がガランと硬い大理石の床で音を立てる。
漏らさなかったのは彼の意地か、あるいは膀胱が空だっただけか。
彼はその場に膝を突いて崩れ落ちた。
それだけ僕らの敵意が強かったということでもある。
「ど、どのようなご用件でしょうか!」
勇敢な、というよりはレベル差の理解できない受付嬢が声を張り上げた。
職務に熱心な良い従業員なのだろう。
だが良い従業員であることが、その人の善行を証明はしない。
雇用主にとって良い従業員とは、悪行もこなす人だ。
というか、僕はもう完全に株式会社ウイークを敵だと認定しているのだ。
その従業員は脅威かどうかはあるにせよ、敵は敵だ。
それでも表面上は冷静さを取り繕う。
警察が出てくるのが一番面倒だからだ。
「週刊火曜の加川さんにアポを取ろうとしていたんですけど、断られてしまいましてね。別にこちらの社長でもなんでもいいんですけど、至急お話をしたいんじゃないかと思いまして。ええ、TAKAメディアHDの株価暴落について、今すぐに」
横で咲良社長が頭を抱えている。
僕の暴走を止めるために付いてきたのに、なにもできなかったからだろう。
いや、でも咲良社長にはいてもらったほうがいいんだよね。
この後のことを考えると。
「あとその非常ボタンを押すのはオススメできませんね。僕らはまだなにもしていない。ただエントランスで受付の前に来ただけだ」
ビクリと受付嬢が身を竦ませる。
僕は指先でトントンと受付さんの立つ台の上を叩いた。
デジタルで時刻が表示されている。
15:14。
残り時間が減るほど一秒の価値は上がるのに、実際に体感する経過時間は変わらないか、むしろ加速するの人生のバグだ。
「僕らは取引に来たんです。別に御社に損害を与えようってわけじゃない。TAKAメディアHDの空売りについて情報提供に来たと社長に連絡を入れてください」
受付嬢は涙目で内線電話を取り上げる。
「受付の朱川です。いまエントランスに社長に会いたいと言う方がいらっしゃっていて。そのTAKAメディアHDの空売りについて情報を提供したいと」
受話器の向こうから息を呑む音が聞こえてくる。
『その人を逃がさないで。エントランスの、いえ、19階の応接室Bをいま抑えました。社長に話を通すので、そこに案内を』
[聞き耳]スキルで聞こえてくる内容から察するに秘書的な誰かが通話に出たのかな?
「分かりました」
受付さんは了承して受話器を置いて、僕らに目線を向けた。
「……こちらの入館証を首から提げて奥のエレベーターから39階へお進みください。館内図に従って応接室Bでお待ちいただけますでしょうか?」
「分かりました。僕らは急いでいます。今すぐに対応していただけるようにお願いしますね」
受け取った入館証は首からかける名札入れみたいになっている。メルと咲良社長にも入館証を渡し、僕らは奥へと進む。
エレベーターホールには四機のエレベーターがある。それだけ人の行き来が多いということだ。
エレベーターに乗り込んで、19階のボタンを押した。
途中でエレベーターが止まり、人が乗ってきたり、降りたりする。
見知らぬ三人組に向けられる好奇の視線を感じながら、僕らは19階でエレベーターを降りた。
エレベーターホールにはちゃんと館内図があって、応接室Bはすぐに分かった。
奥がガラスになっていて、風景を見下ろせる開放感のある応接室だ。
ただ僕の貧相なイメージから応接室というと革張りのソファだと思っていたら、実際にあったのはガラステーブルとビジネスチェアだった。
まあ、確かにこっちのほうが現代的だよね。
ただテーブルの片側にはそれぞれ二脚ずつしか椅子がなかったので、メルと咲良社長に座ってもらって、僕は立って待つ。
数分も待たずにドアをノックして入って来たのは一人の女性だ。
社員証を首から下げ、片手にタブレット、もう片手にペットボトルのお茶を三本も持っている。あれ、僕はきっとできないな。
社員証によると秘書の黒川三奈というらしい。
彼女は僕らに一礼すると、一旦タブレットをガラステーブルに置いて、ペットボトルのお茶を置いて、椅子を一脚反対側からこちら側に移動させた。
「お待たせしております。どうぞお掛けください」
冒険者としての感覚で、完全な素人ではないな、と思った。
それほど高くはないが、戦闘経験のある人だ。
20代前半に見えるので大学生の頃なんかにダンジョンアタックの経験があるだけかもしれないけれど。
あと咲良社長の例があるので人間見た目で年齢を断定はできない。
「先触れとしてお話を伺ってもよろしいでしょうか? この後のお話も早くなるかと」
タブレットを再び装備した黒川さんはしれっとそう言った。
総会屋の類いを疑われただろうか? 少なくとも本気の対応ではない。
まあ、子どもの雰囲気を残した二人と、うら若く見える女性の三人組だからね。
メルは変装もしているし、怪しいことこの上ないだろう。
「先ほど発生した御社の親会社であるTAKAメディアHDへの空売りについて情報を持っています。これ以上は社長本人以外に話す気はないですね」
「株価の暴落については把握しています。情報がどういうものかだけでも教えていただけませんか?」
「誰がこの空売りを仕掛けたのか個人名やその目的まで知っています」
「なぜ当社に? TAKAメディアHDにはテレビ局もありますよ」
「さて、どうしてでしょうね?」
応接室には秒針がスムーズに回り続けるタイプのアナログ時計がかかっていた。
もうすぐ長針は真下を向く。
残り一時間半。




