第424話 ドラゴンの尾を踏む
広告が出ることはどうやっても止められないだろう。
本当にそうか?
芸能人の関与する大きな事件が発生して、広告が一気に交換されるようなことはあったはずだ。
今すぐ出版社を説得できれば、全部なかったことにできる。
今すぐ、だ。
僕はブリギットの事務所、その中の会議室に戻る。
「どうだった?」
橘メイが心配そうに聞いてくる。
彼女はこの件で矢面に立ってしまう。気が気でないのも仕方がない。
「出版社の意向を無視して止めるのは無理だって。だけど出版社が『販売を止める』と言えば止められる」
それを聞いて咲良社長が唸った。
「可能か不可能かで言えば可能なんでしょうけれど、出版社が受ける損害は莫大なものになるわよ」
「さっき調べました。雑誌の発行部数は十万部ほどで、販売価格は七百円弱です。一号の総売上が七千万円。たった七千万円です。売り上げの補填、回収の費用、失った信用の賠償金、十億円も用意しておけば足りるでしょ。札束でぶん殴りますよ」
「大手じゃないとは言え、出版社よ。特に週刊誌の連中はスクープを発表するということについてどこまでも貪欲なの。札束で叩くと意地になる可能性もあるわ」
「じゃあ他にいい案があるんですか?」
つい詰問口調になってしまい、咲良社長は押し黙る。
悔しそうに唇を噛んで、叫び出しそうなのを我慢している。
「業界からの圧力に屈した程度の連中じゃないですか。こっちは金と力でぶん殴ってやる」
「暴力は駄目よ!」
「ぶつけはしませんが、必要であれば示威行為は行います。いいですか。こいつらは僕らを攻撃してきた。僕は僕の論理と倫理で立ち向かうだけです。オリヴィア、手伝ってくれ」
「いいよ」
僕が本気で言っているのが分かったのだろう。
咲良社長がごくりと喉を鳴らした。
「私も行くわ。あなたたちだけで行っても門前払いが関の山よ。その門をぶち破るつもりでもあるんでしょうけれど、だからこそあなたたちだけで行かせることはできない」
咲良社長はステラリアのメンバーに決して事務所から出ないように言い含めて、身支度を調える。
僕らはタクシーを呼んで乗り込んだ。
移動中に咲良社長は電話をかける。
「こんにちは。御社で発行されている週刊火曜の責任者に取り次いでいただけますでしょうか。申し遅れました。私、芸能事務所ブリギットの代表を務めております花伝咲良と申します。明後日発売される週刊火曜の内容についてお話があると伝えていただけますか?」
『承知致しました。しばらくお待ちください』
いつもの[聞き耳]スキルが通話の音声を聞き取る。
しばらく保留音が鳴っていたが、5分ほどで通話が繋がる。
『お待たせいたしました。週間火曜のデスクである加川にお電話をお繋ぎします』
『あー、もしもし、花伝さん、いや、東雲ひなさんと言ったほうがいいかな?』
ねっとりとした口調に僕は確信する。
こいつは、敵だ。
「どうぞお好きに。メールでいただいた掲載予定の記事なのですが、明確に誤った結論へと誘導する内容で、当社としては容認できるものではありません。意図的な切り抜きではなく、客観的な事実はすべて開示していただかなければ困ります。当社としては次号の発売中止、回収を希望します」
『それは無理だねぇ。もう刷り上がって取次に渡ってるし、そもそも写真の事実はあったわけでしょう?』
「ホテルにはロビーもあればレストランだってあります。ラブホテルならともかく一般的なホテルの入り口を男女が通ったところで、性的関係であると決めつけることはできないと思いますが?」
『手を繋いでいればデートだって言えるでしょ。こちらはおたくのアイドルが未成年であることに配慮して[熱愛]って言葉を避けたわけで、むしろ感謝してもらいたいくらいだよ』
「あの広告レイアウトに悪意がないわけがないでしょ!」
『広告なんで別の記事の見出しが隣に並ぶなんていつものことでしょ。勘違いしたなら、読み違える方が悪いんだ。うちの責任じゃあ、ない。そもそもね、こちらはなにひとつ嘘は書いちゃいないんだ。文句を言うのはご自由に。記者会見して反論もどうぞ。ただ法的にだってうちが負ける根拠はありませんよ』
「あなた、ドラゴンの尾を踏んだわよ……」
僕の怒気が伝わったのだろう。
半分諦めたように咲良社長は言う。
『業界人を脅して回っている売女が今更なにを。あんたに恨みを抱いている男は山のようにいるんだ。なにをしたって助けはこないよ。恨むんならやりすぎた自分を恨むんだな』
「あなたのためを思って言ってるのよ。今すぐこちらに協力的になりなさい。あなたの罠に引っかかったのはネズミじゃなくて、オオカミなの。私の爆弾なんて目じゃないくらいの大爆発が起こることになる」
『なにを訳の分からんことを。こちらは忙しいんでもう切りますよ』
「タクシーでそちらに向かっています。面談できるようにしておいてください。なにが起きても知りませんよ」
『受付には追い返すように伝えておきますので、それでは』
ぷつりと電話が切れる。
加川とやらが切ったのは電話ではない。僕の堪忍袋の緒だ。
僕は登録してある番号に電話をかける。
『お電話ありがとうございます。五星JF銀行夏埜です。どのようなご用件でしょうか?』
ワンコールが終わる前に電話に出るのは流石というかなんというか。
「お世話になっています。三津崎湊です。ちょっと証券に興味がありましてね。ご教示いただきたいのですが、例えば――」
僕はそこまで言って一息ついた。
「出版社の株式会社ウイークの株式を百億円分くらい空売りしたらどうなりますか?」




