第419話 別の女と監視塔に登る
観光地に来たらまず高いところに登るのってお約束だよね。
「もう、駄目。なんでエレベーターがないの」
「こっちの世界にはエレベーター自体が存在してないからだよ」
流石に監視塔の階段はレベルの上がっていない橘メイにはキツすぎたみたいだ。
仕方なく僕は橘メイの前でしゃがみ込む。
「なに?」
「上までおんぶしてあげるから、ほら、乗って」
「そう言って私に密着するのが目的だったのね! このスケベ!」
「自分の足で登りたいならそう言えばいいのに」
「ごめんなさい。おんぶしてください」
いつもこれだけ素直ならいいのに。
いや、よかったら困るんだけど。
橘メイを背負った僕は、彼女の靴を拾い上げる。
ヒールのあるパンプスで、確かにこの靴では階段を登るのはキツかっただろう。
今日はずっと歩きになることを説明しておくべきだった。
「なんか僕もごめん」
「素直に謝られると逆に怖い」
「失礼な。僕をなんだと思ってるんだ」
「やべえヤツ」
「あながち間違ってないからツラい」
ペースを上げて監視塔を登り切る。
例によって見張りがいるが、銀貨一枚を握らせて誤魔化した。
別に登るのが禁止なわけじゃないけれど、あんまりお行儀のいい行為ではないとされている。見張りの邪魔になるからだ。
いざ屋上に降り立つと、開放感のある屋上部に橘メイは足を竦ませた。
「高っか! これ大丈夫なの? 落ちたりしない?」
「普通に落ちるから気をつけてね」
至極当然のことを言うと、橘メイはその場にしゃがみ込んだ。
両手を床に突いて震えている。
「ぎええ――、倒れる心配はないわけ?」
「倒れたと言う話は聞いたことがないから平気なんじゃない?」
「アバウトぉ!」
「安心しな、お嬢ちゃん。土魔法使いが土台や基部をきっちり固めてっからよ。嵐の夜だって平気だぜ」
見張りの男性が補足情報をくれる。暇だったんだね。分かる。
「なら安心か。安心か?」
現代日本人にとって魔法は身近ではないから、なんかピンとこないよね。
「監視塔の建設に携われるのは中級からだからな。そこはプロの仕事よ」
「中級?」
「スキルの熟練度が60から80くらいかな」
「は? 凄すぎない? 聞いたことがないレベルなんだけど」
「実際凄い」
冒険者として土魔法を使い続けて、そろそろ年齢も限界だし引退かってくらいで熟練度60あるかないかだと思う。
現役で中級に達している土魔法使いというのは、おそらく幼い頃から建築に従事し、土魔法スキルを手に入れて、その後も建築に従事し続けたような人だろう。
多分だけど、建築作業として土魔法を使い続けてる人のほうが熟練度上がるんだよな。
冒険者だと案外魔法を必要とする場面は少ない。
予備の魔力は残さなければならないし、ずっと戦闘をしているわけではないからだ。
「跳んだり跳ねたりはやめてくれよ。たまにいるんだ、度胸試しでそのまま落ちるアホが」
うーん、酒に酔ってやる人はいそう。
監視塔にむやみに登ってはいけない風潮があるのは、それも一因かもしれない。
きゅっと手を握られる。
落ちるというのが急に現実味を帯びたのだろう。
見張りや僕が平気な顔でいられるのはある程度のレベルがあって風に耐えられる体幹の強さがあるからだ。
ひらひらの服を風にはためかせているレベルの上がっていないであろう橘メイが安定を手に入れる手段としては正しい。
「あそこに見えるのが市場。最初に行くなら市場かもね。売り切れたらお店畳んじゃうし。その後は服かな。君が気に入るような服だと伯爵ご用達みたいな店じゃないとダメかもね。えっと、あそこ、あの辺りは高級な商店が並んでいるから見て回るだけでも楽しめると思う」
「しれっと解説を始めないでよ。怖くて見られないんだから」
「大丈夫。落ちないよ。手を離したり、その真似事で驚かせたりもしない」
「なら――」
ふぅーと息を吐いて、橘メイは立ち上がり顔を上げた。
「いや、やっぱりはしゃげないわ。怖いし」
「もう降りる?」
「ううん。もうちょっとだけ」
風にたなびく髪を空いた方の手で押さえながら、橘メイはアーリアの町をその目に焼き付けている。
「思うに……」
「うん?」
「これはもう二度と目にすることができない光景よね」
橘メイは時々だけど妙に頭が回る。
アーリアを訪れるのはこれが最初で最後だと理解している。
「きっと忘れないわ。いつも思い続けはしないけれど、ふとしたときに思い出して、自分にこんな特別が起きたんだって、この景色が私を支えてくれる気がする」
僕は思わず笑う。
「終わり際の台詞だよ。それは」
「ぐぬぬ、だってそう思っちゃったんだもの」
「見張りの仕事をすりゃ、見飽きるほどに見られるぜ。まあ、お嬢ちゃんにはちょいとキツいか」
見張りさんもカラカラと笑った。
「でもアーリアに住んでいてもこの景色を知らないヤツがほとんどなんだよな。見張りの仕事がキツいのは有名だし、やりたがりはあんまりいない」
「報酬もあんまりですよね。まだ薪割りしてるほうが良くないですか?」
あそこはいつでも人手不足だよ。
「やだよ。あんな怒鳴られるのが基本の職場は。一人で静かにしてたいヤツにはちょうどいいの。これだけじゃ食っていけないけど、時間を潰すにはちょうどいいしな」
「なるほど」
一人になりたい時間を確保するには確かにいい仕事かもしれない。
監視塔に登ってくる物好きなんてほとんどいないし。
「それじゃお邪魔してしまいましたね。引き続きごゆっくり」
「いや、もうちょっと話していかね? ちょうど暇さがいまピークなんよ」
「行こうか。市場でなにか食べるものを見てみよう」
「こういう世界の食事って言ったらあれよね。分厚いベーコンと目玉焼き食べたい」
「薄情者ぉ!」
見張りさんの悲痛な声を背に、僕らは監視塔を降りる。
もちろん橘メイを背負ってね。
下りのほうが楽だけど、足を痛めやすいんだ。




