第416話 ダメ
「さて、ひーくん、覚悟は決まったかな?」
ふらりと上半身を揺らして間合いに入ってきたのはメル。
この動きは地術を発動していますね。
処罰装置のスイッチが再び入ってしまった。
どうして?
咲良社長へのプレゼントは男が女性に何かを期待して贈るタイプのものではなかったから、怒られる筋合いはないと思うんだけど。
「そもそもひーくんは女好きすぎ! 周りみぃんな女の人じゃん」
ぐいぐいと圧をかけてくるメルに、僕は後ずさりしかできない。
でもメルさん、ハーレム容認派ではなかったでしたっけ?
作る気はないけどね!
「色んな女の人から好意を寄せられて、最近のひーくんはちょっと調子に乗ってるよ!」
あれ? 言ってることの正当性はともかく、なんかメルっぽくない発言が続くな?
顔を紅潮させて僕への不満をわめき立てるメルの手にはグラス。
言葉が途切れたところでメルはグラスをぐいと呷る。
僕はその手からグラスを奪い取って、香りを嗅いだ。
鼻に抜けるような刺激臭。
アルコールだ。
「ちょっと、誰ですか! オリヴィアにお酒を飲ませたの!」
「あ、それ私の飲んでた濃いめスクリュードライバーだ」
常森さん、よりによってなんでそんなの飲んでるの!?
「みんな席を入れ替えてたから分からなくなっちゃったのね」
まあ、確かにそれぞれ好きに移動して歓談してたけど……。
「ちょっと、ひーくん、聞いてる? まだまだ言い足りないんだけど!」
あー、もうどうにもなんないやつだな。
僕は諦めてボーイさんに声をかける。
「すみません。タクシー呼んでください。あと請求書も僕のところに。みんなは時間の許す限り楽しんで。好きに追加していいから」
この時間ならフロント前に大抵タクシーが客待ちをしているということで、僕は不満をぶちまけ続けるメルを支えながら、レストランの個室を後にする。
「ひーくんは私のことないがしろにしすぎだよね!」
「そうだったね。ごめんね」
僕はすっかり酔っ払ってしまったメルをあやしながら、そのホテルを後にする。
客待ちをしていたタクシーに乗り込んで、宿泊先のホテルのほうに行ってもらうことにした。
自分たちの部屋だと、メルが吐いたりしちゃったときに掃除が面倒だからね。
ホテルでなら金で許してもらいます。
「ユウくんとも、ユイちゃんともキスしてさぁ。どういうことなの!?」
「申し開きもございません」
メルのことを好きだと言いながら、最近の僕はステラリアに構いっきりだった。
僕からの気持ちを保留しているとは言え、自分に好意を持つ男が他の女に手を出しているのは気分のいいものではないだろう。
きっとメルは不満を溜め込んで、我慢していたのだ。
ホテルに到着して、メルのバッグからカードキーを出して部屋に入る。
「大丈夫? 気持ち悪くない?」
「ちょっとだけ気持ち悪いかも……」
顔は相変わらず紅潮しているけど、吐く直前の青白い感じではない。
「お水飲もうか」
部屋の冷蔵庫から水のペットボトルを取り出して、蓋を開けてメルに手渡す。
ベッドに座ったメルは受け取った水をこくこくと飲んだ。
そしてペットボトルを僕に突き返すと、なにかもぞもぞとしている。
ペットボトルの蓋を閉めながら、僕は訊ねる。
「どうしたの?」
「服、苦しいけど、脱げない」
あー、ドレスって体にぴっちりしてるからなあ。
「ひーくん、脱がせて」
「え、でも……」
「いいから! 今更でしょ!」
まあ、ライブの時に下着姿も見てるし、今更と言えば今更か。
僕はメルが服を脱ぐのを手伝う。背中側のチャックを開いて、上着を脱がす。
「下も」
言われるがままに僕はメルのスカートに手をかける。
メルは腰を浮かせて、僕がスカートを抜き取りやすくした。
するりとスカートがメルの脚から離れて、ふと目線を上げるとメルと目があった。
僕の好きな女の子が、扇情的なレースのついた下着姿でベッドに腰掛けている。
その胸元には僕がプレゼントしたネックレスが輝く。
その頬が紅潮しているのはアルコールのせいか、それとも羞恥のせいか。
僕の心臓がうるさいのは多分メルからの処罰が怖いからではない。
前に男の欲望の話はしたと思う。
ガソリンでできた男の欲望は、女の子の持つ火打ち石でいつでも着火できるというやつだ。
「メル……」
唇がカラカラに乾いている。
自然と呼吸が速くなった。
全身が焼けるように熱くなる。
僕はいま脱がせたばかりのメルのスカートから手を離した。
これはいけないことだ。
メルは不意に酔ってしまって正常な判断ができなくなっている。
そんなメルに欲望をぶつけるなんてことがあってはいけない。
理性はそう囁くけど、その理屈は焼け石に垂らした水のように蒸発する。
だって目の前にほとんど素肌を晒したメルがいるのだ。
ライブの時は緊急事態だったし、周りの人の目線のほうが気になってそれどころではなかった。
だけど今は二人きりで、誰も邪魔もなくて、メルは頬を紅潮させて、とろんとした目で僕を見下ろしている。
自由になった僕の手はメルに向かって伸ばされた。
メルは避けない。
僕の手がその体を抱きしめた。
ああ、もっとちゃんとしたシチュエーションでこうしたかった。
酔ったメルに付け込むような形でなんて望んでいなかった。
でもこうすることを止められない。
心も体もメルを求めている。
腕の中にある体は細く柔らかい。
指先に触れる肌は火照って熱く、なめらかで、気持ちいい。
少し動かすと、メルが吐息を吐いた。
そして言った。
「ダメだよ。ひーくん」
ああ、でも僕がもうダメなんだ。
「酷いことをしてると思う。でも無理だ。我慢できないよ」
橘メイを押し倒した経験が、小鳥遊ユウに触れた経験が、僕の中でこういうことをするハードルを下げてしまったのだと分かっている。
酔いが覚めたらメルに怒られるだろう。嫌われてしまうかもしれない。
でも僕は僕を止められない。
僕は自分勝手に君を奪いたい。
「ダメ」
メルは重ねて拒絶の言葉を口にする。
「ダメでもいい」
僕はメルを抱きしめたまま、手で首をつかまえて、無理矢理に唇を奪う。
唇を合わせるだけのキス。
メルには拒絶を態度で示す方法もあったはずだ。
だけど抵抗らしい抵抗はなかった。
僕の唇を受け入れて、お互いにその感触を貪り合っている。
すりあわせて、離して付けて、吸い付いて、また離す。
「ダメなのに。これ以上ひーくんを好きになったら変になっちゃうよぉ」
僕の胸に顔を擦りつけながらメルがそう呟いた。
「変になって。僕にだけの顔を見せて」
「じゃあ……」
メルのほうから僕にキス。
「ひーくんの好きを全部ぶつけて」
僕の気持ちは燃え上がり、爆発した。




