第396話 破滅に向かって突き進むのは楽しい
「思ったんだけど」
橘メイと二人でエレベーターに乗りながらふと思う。
「事務所にいた時ほどテンパってないというか、落ち着いてる?」
「あれは、なんというか、皆の前に私の彼氏がいるという状況に混乱していたというか」
「彼氏じゃないよ……」
部屋の鍵を開けて中へ。
間取りは白河ユイの部屋と同じで、家具家電が据え置かれているのも同じだが、柄などが違う。
なんでだろうか?
まとめて購入した方が割引とかしてもらいやすそうだけど。
「部屋の雰囲気を変えることで入居希望者が選択できるようにしてるんじゃない?」
「ああ、それはあるかも。この部屋の内装は気に入らないけど、こっちはいい、とかはありそうだし。選択の余地がないときは、結局その部屋が気に入るかどうかだけだもんな」
入居率を上げるには、部屋の雰囲気は異なっているほうが有利だと言えるかもしれない。
YouTubeでの配信を見て思ったけど、決してアホの子ではないんだよな。橘メイ。
ただ恋愛が絡むと頭がおかしくなるだけだ。
こっちの部屋もなにも問題がないと分かると、僕らはそれぞれ手近なものに腰を下ろした。
僕はテーブルの前にあった椅子に。
橘メイはシングルベッドに。
まあ、他に座れるところがないから仕方がないよね。
「じゃあ、僕らの間にある問題を解決しようか」
「どうすれば皆の前で彼氏がいてもあがらないようになれるかよね」
「違うよ! もっと根本的な話だよ! なんで一晩でそんな仕上がっちゃったの?」
「だって、あんなことされたら意識しちゃうに決まってるじゃない」
「それは、はい。そうですね」
だけどあれは男の欲望を煽るようなことを言った橘メイも悪いと思います。
「それにオリヴィアも誘惑していいって言ってたし。あ、これ言っちゃ駄目なんだっけ?」
「はい?」
「だから、その」
橘メイはその頬を朱色に染め、上目遣いに僕を見た。
体の前で組まれた腕が、その豊満な胸部を押しつぶすように主張している。
「……いいよ」
「いいよじゃないが。その前の話を詳しく聞かせてもらおうか」
僕が圧をかけると、橘メイは目を泳がせた。
「言っちゃ駄目って言われてたから忘れて欲しいな~って」
「誰にも言わないから、なにがどうしてそうなったのか教えてくれるかな?」
「あ、これ、詰んでる……」
多分、メルにも同じように圧をかけられたんだろうけど、流石にちょっと聞き逃せない。
「オリヴィアが言ったんだね? 僕を誘惑していい、と。君に」
「そのようなこともあったような~、なかったような~」
「配信の後か」
あの時、メルは僕と連絡が取れない状況だったはずだ。
つまり小鳥遊ユウと姿を消して、連絡を絶っていた。
ダンジョンに行くことは伝えてあったし、不測の事態が起これば僕がアーリアに脱出することはメルも分かっていたと思う。
だから僕らの身を案じるようなことはしていなかったはずだ。
むしろ翌朝、速攻で浮気がバレたことから察するに、その時点で疑われていたということか?
いや、まあ、時間的に絶賛そういう最中だった可能性もあるので、メルが疑うのも当然というか、正しい疑念だったわけだけど。
でもなんで橘メイが僕を誘惑していいという話になるんだ?
翌朝、僕の処罰装置になると宣言したことと何か関係が?
もちろんメルは僕とは違う人格を持った人で、僕の知らない思惑とかはあるのかもしれないけれど、一応とはいえ配偶者に他の女をけしかけることにどんな意味が?
え? あれ? 別れさせ屋みたいなこと?
僕はどんどん不安になってきて、メルに連絡を取りたいのをぐっと我慢する。
多分、これは聞いたことにはしないほうがいいだろう。
「そうだ。配信大変だったんだからね! オリヴィアってば事前に決めたのと全然違うことばっかり言うんだから」
話を誤魔化すように橘メイが話題を変える。
でもまあ確かに、急にお願いしたのに、快く引き受けてくれてありがたかった。
特にあんなことの直後だったし。
ん? あれ?
橘メイにしたことってメルに話したっけ?
話してないよな……。
「君、もしかしてオリヴィアにその日の昼にあったことを話したりした?」
「……ハナシテナイヨ」
「話したんだね」
あれは僕の中では浮気判定ではないから、メルに説明する必要はない案件だったんだけど、橘メイのフィルターがかかった状態でメルが知ったのであれば話は別だ。
うーん、メルが僕のことを処罰か、処刑か、したがっている可能性が否定できない。
知っているのに、再会のあの場では触れなかったというのが一番怖いのよ。
「過ぎたことは仕方がないし、君を責めるつもりは毛頭ない。ただ、頼むから夢から覚めてくれ」
つまりこれはメルからの試練なのだ。
橘メイとの一件を知ったからこそ、処罰装置の話がすぐに出てきたのだ。
あれはもうメルの中では決まっていたことだったんだ。
「君は彼氏がいたという過去をねつ造するために、僕という存在を一瞬だけ利用するはずだった。だけどそのやり方はあまりにも拙くて、僕は思わず君に教育してしまった。やりすぎだったのは認める」
実際のところメルの顔が思い浮かばなければ危なかっただろうけど、そのことは言わないほうがいいだろう。
「だけど僕を恋人だと喧伝されると困るんだ。僕も、君も」
「それは――分かってるけど」
橘メイはぎゅっと手を握りしめる。
そして僕の顔を伺うように見上げた。
「その危ない橋を渡るのが楽しいとこない? 恋愛って」
あるよなあ。そういうの。
結局、人が浮気するのってそういう側面あると思うし。
浮気は良くないよ。大前提だよ。分かってる。
だけど皆そういうお話が好きだろ?
「失うものが大きい方が盛り上がる、という性質が人間にはあるよなあ」
僕は頭を抱える。
つまり橘メイは横恋慕を楽しもうとしているのだ。
それによってアイドル生命を失うリスクを敢えて冒して。




